諸國里人談卷之五 橫山狐
○橫山狐(よこやまのきつね)
伯耆國大山(だいせん)に「橫山狐」といふ、あり。是、則(すなはち)、明神の仕者(ししや)なり。もろもろの願望、此狐を賴みて祈るに成就せずといふ事なし。盗人(ぬすびと)にあひたるもの、此狐を賴み祈れば、卽ち、狐、出〔いで〕て、道しるべして、かの盗(ぞく)が家(いへ)につれ行く事、妙なり。○大山は大智明神也。祭神、大己貴命。神領三千石。坊舎四十二院あり。當山の砂、昼は下(さが)り、夜は升(のぼる)と云〔いへ〕り。
[やぶちゃん注:「橫山狐」ネット上の記載は、悉くが本条に基づくものである。盗賊云々の話は妖狐譚としては特異点と言える。
「大山(だいせん)」は鳥取県(大山町・琴浦町・江府町等)にある標高千七百二十九メートルの成層火山で鳥取県及び中国地方の最高峰。ここ(グーグル・マップ・データ)。ここに出る寺社は西伯(さいはく)郡大山町(だいせんちょう)にある天台宗角磐山(かくばんさん)大山寺(だいせんじ:本尊・地蔵菩薩)と大神山神社(おおがみやまじんじゃ:本社(北麓)鳥取県米子市尾高/奥宮(中腹・標高約九百メートル位置)西伯郡大山町大山)。ウィキの「大神山神社」によれば、本社は大穴牟遅神、奥宮大己貴命を祀るが孰れも大国主神の別名。『当社の奥宮は、大山に登った修験者が』現在の奥宮のある位置に『簡易な遥拝所を設置したのが起源とされている』。『伯耆大山は、平安時代には修験道場として著名な山となっていたが、積雪により』、『祭事に支障が生じるため、麓に冬宮を設置し、冬期はそこで祭事を行うようになった』。『これにより、現在の「奥宮」は「夏宮」と呼ばれるようになった』。『大山は神体山として、大己貴命が鎮まるとされたが、神仏習合が広まると、当社は智明権現と称し、地蔵菩薩を本地仏とするようになった』。『その後、三院にして百八十坊の規模となり、三千人の僧兵を擁するようになった』。「勝見名跡誌」には『伯耆大山の智明大権現と因幡・鷲峰山』(じゅうぼうざん:鳥取県鳥取市鹿野町にある標高九百二十・六メートルの山)『の鷲岸大明神』(「じゅうがんだいみょうじん」と読んでおく)『が仲が悪く』、『戦をしたとの伝承が載っている』(ウィキの「大山の背比べ」を参照されたい)。元弘三(一三三三)年、『隠岐を脱出した後醍醐天皇が当社で鎌倉幕府打倒の祈願を行った』。明治八(一八七五)年に、かのおぞましき)廃仏毀釈によって大山寺は廃され、『冬宮を本社とし、山腹の智明権現の仏塔を廃し、地蔵菩薩を除いて、奥宮とした』。但し、大山寺は大日堂に本尊を移し、急激に衰退したが、明治三六(一九〇三)年に大山寺の号が復活、大日堂を現在の本堂として再興されてある(寺社位置は上記グーグル・マップ・データで確認出来る)。
「當山の砂、昼は下(さが)り、夜は升(のぼる)と云〔いへ〕り」意味不明。山砂が日夜こうした反復運動を繰り返す摩訶不思議の霊山ということか。ネットでお手軽に現代語訳しているものも、この部分は判らぬものか、カットしている。]
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