諸國里人談卷之三 野守鏡
○野守鏡(のもりかゞみ)
南都春日飛火野(とぶひの)に野守池(のもりのいけ)あり。雄略帝、御狩(みかり)の時、鷹、翦(それ)て野に來(きた)る。一人の野守、鷹のある所をしりて、これを奏す。池水(いけみづ)に其影のうつるを見て、居ながらこれを知〔しれ〕り。よつて「野守の鏡」と云。
箸たかの野守の鏡得てしがな思ひおもはずよそながら見ん
[やぶちゃん注:「南都春日飛火野(とぶひの)」奈良県奈良市街の東、春日大社に接する林野。「とびひの」とも呼ぶ。和銅五(七一二)年に急を告げるための烽火(のろし)台が置かれた地で、「万葉集」などの古歌に詠まれ、歌枕としても知られる。
「野守池(のもりのいけ)」能の「野守」などで知られ、何人かの方が位置を探しておられるが(例えばこちら、或いはこちら。前者では「鷹の井」なるものもあるらしい)、どうやら、確定比定出来る池は現在の飛火野にはないらしい。
「雄略帝」第二十一第天皇。在位は安康天皇三(四五六)年から雄略天皇二三(四七九)年とする。辞書には「袖中抄」などに見える故事とする。
「翦(それ)て」本字は「剪(き)る・挟み切る・切り揃える・挟む」、「削(そ)ぐ・削(けず)る」、「滅ぼす」の意であってピンとこない。狭義の御狩場から逸(そ)れるように周縁の野原に飛んで行って見失った、の謂いであろう。
「野守」御狩場ではなく、その周縁の禁足地である御料地の野の番人であろう。
「鷹のある所をしりて、これを奏す。池水(いけみづ)に其影のうつるを見て、居ながらこれを知〔しれ〕り」野中の溜まり水に物影が映るのを鏡に譬えたもの。能の「野守」を読むと、『来合わせた野守の老人に尋ねたところ、「ここの沼の底におります」と答えるので、狩人が水面を覗くと、確かに水底に鷹の姿が見えた。よく見ると、それは木の枝に止まった鷹の姿が水鏡に映ったものだった』とある(「喜多流流大島能楽堂」公式サイト内の「鑑賞の手引き 野守(のもり)」のページより引用)。なお、同能は複式夢幻能で、前シテの野守の老人が、後シテでは鬼神となって示現する展開となっていて、そこでは「野守の鏡」は発展して、実は、ありとある全宇宙の、恐れ慄くべき様態をまざまざと映し出す「禁断の鏡」として出現することになる。
「箸たかの野守の鏡得てしがな思ひおもはずよそながら見ん」「新古今和歌集」の巻第十五の「恋歌五」に載る、よみ人知らずの一首(一四三二番)、
はし鷹の野守の鏡得てしがな思ひ思はずよそながら見ん
――はしたかの居所を美事に映し出したという「野守の鏡」が欲しいものだ――あの人が私を思って呉れているかいないか、それに映し見られるように――。和歌では「野守の鏡」は「普通では見えないものを見ることが出来る鏡」の意で専ら使われる。「はしたか」は狭義の種としてはタカ目タカ科ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisus で、ハイタカ属オオタカ Accipiter gentilis とともに鷹狩に用いられた。ただ、「はいたか」は一般には「疾(はや)き鷹」の転訛とされるが、しかし、「箸鷹」とも書いた場合、これは鷹狩用に捕えたばかりの鷹を鳥屋(とや)に入れる前には、儀式として古い箸を焼いて入れることによる、ともあり、又は、神聖な箸を火に焼いて、その火影で鷹を鳥屋から出す、ともあった。されば、ここはハイタカに限定する必要はないようである。]