明恵上人夢記 68・69・70
68・69・70
一、同十月三日の夜、夢に云はく、木像の不空羂索(ふくけんざく)觀音は卽ち變じて生身(しやうじん)と爲り、小卷の大般若を賜はる。法の如く頭上に戴き、淚を流して喜悦すと云々。
一、同【正月】
一、同十月十七月の夜、夢に云はく、生身の釋迦一丈六尺許りの身に見參に入ると云々。上師、又、房(ばう)之(の)傍(かたはら)に在りと云々。
一、同夜、夢に、數輩(すはい)の同行(どうぎやう)とともに一處に行き、一身に覺えずして谷を下(くだ)る。上らむと欲すれども攀(よ)づることを得ず。うつぎの如き木に上らむと欲すれども、木弱くして能くせず。一人の無根の大童(おほわらは)有り。無根の大童、上より躍り下りて、具して上らむと欲すれども、我、之を受けず。此の下の道へ出でて、平地より登らむと欲して、卽ち、行く。漸(やうや)く、人家の下の如きに行き出でたる心地す。覺むるに、卽ち、宿物(よるのもの)を蒙れる夢の中に覺むる所也。
[やぶちゃん注:またしても、間に「一、同【正月】」(「正月」の意味は不詳。当初、閏月に対する「正月」かと思ったが、承久二年には閏月はない。或いは、ここで明恵は九ヶ月も前の同年正月に見た夢を、仮初、思い出したのかも知れぬ。しかし、しれが確かな夢記述、覚醒時の自分の意識が介在して変更していないという確証に疑問があって、結局、記述しなかったのかも知れない。私自身、そうした形で過去に見た夢を記載するのを止めた経験が何度もあるからである)という夢記述なしの条が挟まるので、以上を纏めて示した。しかし、最初の夢と「十月十七日」のそれは、仏菩薩が「生身」で現前するという点で強い親和性が認められるし、最後の夢は「十月十七日」と同夜(前後は判らぬ。例えば、私が明恵なら、釈迦の生身の夢を後に見たとしても、先にそれを記録するであろうからである)に見た夢であるから、併置するのが自然である。
「同十月三日」前条からの続きとして「67」と同じ承久二(一二二〇)年と採る。
「不空羂索(ふくけんざく)觀音」濁音は底本のルビである。現行では「ふくうけんさく」「ふくうけんじゃく」である(私は清音を好む)。三昧耶形(さんまやぎょう:密教に於いて仏を表わす象徴物を指す)は羂索(狩猟用の投げ繩或いは両端に金具を付けた捕縛繩)・開蓮華。尊名の「不空」とは「むなしからず」で「心念不空の捕縛索条をもってあらゆる衆生を洩れなく救済する観音」の意である。
「大般若」玄奘訳の「大般若波羅蜜多經」のこと。全六百巻。別々に成立した般若経典類(「仁王経」と「般若心経」を除く)を集大成したもの。空の思想を説き、真実の智慧(般若)を明らかにしているものとされる。
「一丈六尺」約四メートル八十五センチメートル。
「上師」既注通り、母方の叔父で出家当初よりの師である上覚房行慈ととっておく。嘉禄二(一二二六)年十月五日以前に八十歳で入寂しているから、この頃はまだ生きていたと思われる。
「一身に覺えずして」自分自身でそうしようと思っているわけではない(意識していない)のにも拘わらず、何故か判らないが。
「うつぎ」ミズキ目アジサイ科ウツギ属ウツギ
Deutzia crenata。山野の路傍や崖などの日当たりの良い場所に植生する。
「無根の大童(おほわらは)」「無根」は当初、髪を結っていないことかと考えたが、それでは「大童」と屋上屋であるから、ここは大きな裸の男子の童子であるが、男根がない(私が見た複数の菩薩像では内側に螺旋状に貫入しているのであって、去勢ではない)の意と採る。大方の御叱正を俟つ。されば、私はこれを仏・菩薩・明王などの眷属の童子と読むのである。
「宿物(よるのもの)を蒙れる夢」よく判らぬ。「宿物(よるのもの)」を旅宿・夜具の意と解するならば、旅の中にあって夜となってしまって宿屋も仮寝する臥所さえも得られない折りに、図らずも、暖かい寝床と夜具を得たような心持ちの夢という譬えであろうか?]
□やぶちゃん現代語訳
68
承久二年十月三日の夜、こんな夢を見た――
木像の不空羂索觀音(ふくうけんさくかんのん)が、即座に、変じて生身(しょうじん)の御姿となられ、小さな巻物になった「大般若経」を私に賜はられた。
私はそれを定法(じょうほう)の通りに頭上に戴き、涙を流して喜悦した。……
同(正月。)の夢[やぶちゃん注:以下、空白。]
69
承久二年十月十七月の夜、こんな夢を見た――
生身(しょうじん)の釈迦であらせられる。その丈(たけ)は一丈六尺ほどもあられ、その身を確かに私めが見申し上げるという光栄を得、御釈迦様のおられるその僧房に入って行く……。
……我が上師もまた、その房の傍らに在られるのが見えた。……
70
前の夢を見たのと同じ夜、別に、こんな夢も見ていた――
何人かの同行僧とともに、とある高い山に行った。
自分自身、何故か判らないままに、私は谷をいっさんに下っているのであった。
かくあればこそ、その目的が判らぬ故に、不思議に思って、
『ここは、不随意の下山に反して、登ろう!』
と欲したのであったが、いっこう、攀(よ)じ登ることが出来ない。
『よし! ここにある空木(うつぎ)のような木にとり着いて上ろう!』
と欲したのであったが、その木は軟弱で、私の身を支え得ずして、やはり攀じ登ることが出来ないのであった。
すると、遙か頭上の崖の上に、一人の男根のない、髪を結わずざんばらにした童子がいるのが見えた。
その無根の大童は、
「ずん!」
と、上より躍り下ってきて、私の体を支え、ともにそこを上らんとする仕草をしたのだけれども、私は、これを断った。
『この私のいる場所の、さらに下の方に道がある。よし! そこを下って、全くの平地に徹底して下(くだ)り、改めて自身の力だけで、一から登ろう!』
と欲して、直ちに彼方の下方へと行った。
暫くすると、やっとのことで、人家の下のような至って平たい場所に行き出(い)でたという気持ちがした。
*
というところで、夢から醒めた。
さても、その覚醒した瞬間、私は「夜の物(よるのもの)」を予期せず受け取ったような心持ち――旅中にあって夜となり、宿屋も仮寝する臥所さえも得られぬ折り、思いもしない、暖かい寝床と夜具を魔法のように得たような心持ち――の夢の内から、目覚めたような気持ちがしたのである。