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2018/07/25

諸國里人談卷之四 妙國寺蘇鉄

 

    ○妙國寺蘇鉄(みやうこくじのそてつ)

泉州堺、妙國寺に、番焦(そてつ)の大樹あり。高〔たかさ〕、一丈三尺、叢生(くさおひ)にして、十三本、周(めぐ)り株、二丈。比類なき名樹也。客殿の筑山(つき〔やま〕)にある故、こなたに格子を付〔つけ〕て、外より見ゆるやうにしけるなり。しかるに、田舍順禮など來りて、何(なに)と心得(こゝろへ[やぶちゃん注:ママ。])けるか。これを拜し、散米散錢を投(なげ)るによりて、近年、格子の際(きは)に賽錢箱を設(もう)く。

[やぶちゃん注:「泉州堺、妙國寺」現在の大阪府堺市堺区材木町にある日蓮宗広普山(こうふさん)妙国寺。ウィキの「妙国寺に「霊木・大蘇鉄の伝説」として、『境内の大蘇鉄は国指定の天然記念物』(大正十三(一九二四)年指定)で、樹齢千百年余と称して『次のような伝説が残っている』とあり、『織田信長は、その権力を以って』、天正七(一五七九)年に『この蘇鉄を安土城に移植させた。あるとき、夜更けの安土城で一人、天下を獲る想を練っていた信長は庭先で妙な声を聞き、森成利』(なりとし:近習として知られる森蘭丸のこと)『に探らせたところ、庭の蘇鉄が「堺妙國寺に帰ろう、帰ろう」とつぶやいていた。この怪しげな声に、信長は激怒し』、『士卒に命じ』、『蘇鉄の切り倒しを命じた。しかし家来が斧で蘇鉄を切りつけたところ、みな血を吐いて倒れ、さしもの信長もたたりを怖れ』、『即座に妙國寺に返還した。しかし』、『もとの場所に戻った蘇鉄は日々に弱り、枯れかけてきた。哀れに思った日珖』(にちこう:京の頂妙寺の三世。父は堺の豪商で薬剤商を営んでいた油屋伊達常言(じょうごん))『が蘇生のための法華経一千部を誦したところ、蘇鉄』の霊『が「鉄分のものを与え、仏法の加護で蘇生すれば、報恩のため、男の険難と女の安産を守ろう」と告げた。そこで日珖が早速門前の鍛冶屋に命じて鉄屑を根元に埋めさせたところ、見事に蘇った。寺では御堂を建て、守護神宇賀徳正竜神として祀っている。爾来、これを信じる善男善女たちが安産を念じ、折れた針や鉄屑をこの蘇鉄の根元に埋める姿が絶えない』とある。(同ウィキの写真)。

「番焦(そてつ)」裸子植物門ソテツ綱ソテツ目ソテツ科ソテツ属ソテツ Cycas revoluta。なお、ソテツは南西諸島で「蘇鉄地獄」と呼ばれた、可食(種子)ながら、処理を誤ると、死に至る有毒植物であるウィキの「ソテツによれば、『日本の南西諸島の島嶼域では、中世から近代まで食用にされてきた。ソテツは、有毒で発癌性物質のアゾキシメタンを含む配糖体であるサイカシン(Cycasin)を、種子を含めて全草に有』する。『サイカシンは、摂取後に人体内でホルムアルデヒドに変化して急性中毒症状を起こす。しかし』、『一方でソテツには澱粉も多く含まれ、幹の皮を剥ぎ、時間をかけて充分に水に晒し、発酵させ、乾燥するなどの処理を経てサイカシンを除去すれば』、『食用が可能になる』。『鹿児島県奄美群島や沖縄県においては、サゴヤシ』(単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科サゴヤシ属サゴヤシ(ホンサゴ)Metroxylon sagu)『のようにソテツの幹から澱粉を取り出して食用する伝統がある』。『また、種子から取った澱粉を加工して蘇鉄餅が作られたり、奄美大島や粟国島では、毒抜き処理と微生物による解毒作用を利用して無毒化された蘇鉄味噌が生産されたりしており、蘇鉄味噌を用いたアンダンスーが作られることもある』。『奄美・沖縄地域では、郷土食以外にも飢饉の際にソテツを救荒食として飢えを凌いだ歴史があったが、正しい加工処理をせずに食べたことで食中毒により死亡する者もいた。大正末期から昭和初期にかけて、干魃や経済不況により』、『重度の貧困と食糧不足に見舞われた沖縄地域は、ソテツ食中毒で死者を出すほどの悲惨な状況にまで陥り、これを指して「ソテツ地獄」と呼ばれるようになった』。『与論島でも、戦後から本土復帰』(昭和二八(一九五三)年)『後の数年間は島民の生活は大変貧しく、ソテツの種子で飢えを凌いでおり、その有り様も「ソテツ地獄」と称された』。『ソテツ澱粉を水に晒す時間が不十分で毒物が残留していたり、長期間にわたる食用で体内に毒素が蓄積されるケースが多く報告されており、例えばグアム島など、ソテツ澱粉を常食している住民がいる地域ではALS/PDC(筋萎縮性側索硬化症/パーキンソン認知症複合、いわゆる牟婁病)と呼ばれる神経難病が見られることがある』。『ソテツは、あくまで他の食料が乏しい時の救飢食として利用されているものであって、素人が安易に試すのは避けるべきとされる。また、同じソテツ属でも revoluta 以外のものは可食性は未確認である』とある。

「一丈三尺」三メートル九十四センチメートル。

「叢生(くさおひ)」草木が群がって生えること。

「二丈」六メートル六センチメートル。

「筑山(つき〔やま〕)」「築山」に同じい。]

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