諸國里人談卷之四 臥龍梅
○臥龍梅(ぐはりうばい)
武藏國葛飾郡龜戸(かめと)村にあり。「梅屋敷」と称す。実(じつ)に、木つきは、龍の蟠(わだかま)れるがごとく、その枝の末(すへ[やぶちゃん注:ママ。])、地中に入〔いり〕て幹(みき)と成(なり)、枝と成りて、這(はひ)わたる事、十余丈、小朶(こえだ)は左右に流れて、梢、高からず。花の盛(さかり)は芬々として四方(よも)に薰(くん)ず。葉は、大なる桃のごとし。味(あぢは)ひ、至(いたつ)て酸(す)し。毎とし、遊觀(ゆうくわん)の人、詩歌・連俳、紙筆、これがために尊(たつと)く、車馬に疊(かさな)る。
[やぶちゃん注これも既に私は「耳囊 卷之四 龜戸村道心者身の上の事」、及び「柴田宵曲 俳諧博物誌(6) 龍 二」で考証している。それを援用すると、この「梅屋敷」は現在の江東区亀戸(かめいど)のここ(グーグル・マップ・データ)で、元は浅草(本所埋堀とも)の伊勢屋彦右衛門の別荘であった。上記リンク先の通り、現在は建物も梅も全く存在せず、「梅屋敷跡」として位置だけが確認出来るに過ぎぬが、ここの絵は実は多くの方が見たことがあるのである。そう! かのゴッホも惚れ込んだ、あの歌川広重の「名所江戸百景」の中の有名な一枚――その画題はまさに「亀戸梅屋鋪」――はここで描かれたものだったのである! 英文ウィキの“Plum Park in
Kameido”のパブリック・ドメイン画像を挿入しちゃおっと!
「十余丈」十丈は約三十メートル三十センチメートル。
「芬々」(ふんぷん)は匂いの強いさま。
「毎とし」毎年。
「詩歌・連俳」を成さんとする有象無象の連中が雲霞の如く押し寄せては観梅し、その創作のために膨大な「紙筆」が費やされ、そのために「紙筆」の供給が枯渇して高値となってしまい(「尊(たつと)く」を私はその意で採る)、さらにまた高値で売らんかなという金の亡者のような商人(あきんど)が眼ん玉の飛び出るような値段を張り込んだ「紙筆」を「車馬に疊(かさな)る」ほど牽いてやって来る――という意味で私は全体を読んだ。大方の御叱正を俟つ。]