諸國里人談卷之三 ㊅光火部 火辨
㊅光火部(くうくはのぶ)
○火辨(ひのべん)
陽火(ようくは)は、金(かね)を戛(うつ)の火・石を擊(うつ)の火・木を鑽(うつ)の火、是(これ)、「地の陽火」也。太陽の心火・星精(せいせい)の飛火(ひくわ)は「天の陽火」、君火(くんくわ)は「人の陽火」也。○水中火・石油火は「地の陰火」、龍火・雷火は「天の陰火」、相火(さうくわ)・下火(あこ)は「人の陰火」也。陰火六ツ、陽火六ツ、天地人の火十二なり。又、狐・鼬(いたち)・鵁鶄(ごゐさぎ)・螢・蛛(くも)等(とう)の火は、火に似て火にあらず。連俳にて「似せものゝ火」といふなり。色靑く、焰(ほのふ[やぶちゃん注:ママ。])なし。寒火(かんくわ)・陽焰(ようゑん)・鬼燐(をにび)・金銀の精氣の火は陰火にて、物を焚(やか)ず。又、石灰(いしばい)・桐油(おうゆ)・麥糠(むぎかす)・馬糞(ばふん)・鳥糞(とりのふん)より出〔いづ〕る火は、陽火にて、ものをやくなり。雷火は天の陰火なれども、物を焚く。これ、陰中の陽火なり。淺間・阿蘇・雲仙・燒山(やけやま)の火は、砂石を燒(やく)。是また、陰中の陽火也。○「本草綱目」ニ云〔はく〕、『田野燐火(でんやりんくは[やぶちゃん注:ママ。])。人及〔および〕牛馬ノ兵死スル者ノ血、入(し)ミㇾ土(つち)ニ、年久(ひさ)シク所ㇾ化(け)ス。皆、精靈(せいれい)之極(ごく)也。其色、靑、狀(かた)チ、如ㇾ炬(たいまつ)ノ。或ハ聚(あつま)リ、或ハ散リ來(きた)ル。逼(せま)ツテ、奪(うぼ)ウ二人ノ精氣ヲ一【下略。】。
[やぶちゃん注:末尾の漢文部分は概ね読みを含んだ訓点(原典は読み・送り仮名は総てカタカナで、送り仮名の部分が分明でないところは私の判断で送り仮名にした。読みは読み易さを考え、ひらがなに代えた)が振られてあるので、特異的に以上のように原典の雰囲気を出して示した。基本、陰陽五行説に基づいた「火」の総論と分類学であるが、この箇所、沾涼は最後に徐ろに引いている明の本草家李時珍の「本草綱目」の「火之一」の「陽火・陰火」を実は下敷きにしている。中文の「維基文庫」のそれを見られたい(リンク先冒頭)。
「戛」(音「カツ」)元は金属製の戈(ほこ)で、そこから「打つ・叩く」の意が生まれ、さらに「擦(こす)れ合う・金属や石が触れ合って鳴る、或いは、その音」となり、ここではさらに金属同士をぶつけ合わせて火花を散らして火を起こす意として用いたのであろう。
「鑽」(音「サン」)は通常、本邦では「きる」と訓じ、木と木をこすり合わせて摩擦により火を取ることを指し、古神道では最も神聖な火を得るために行われる。但し、本来は直前にある、石と金属をぶつけて(「擊」)火花を起して火を採る意味にも用いる字でもある。
「太陽の心火」芯火の謂いか。中心から熱核融合を起こしている太陽の中心核には相応しい。
「星精の飛火」太陽以外の太陽の光を反射して光って=燃えて見える惑星や太陽系外の恒星だけでなく、「飛火」とするからには火花のようにも見える流星も含んだものと考えるべきであろう。
『「君火」は「人の陽火」也』は後の「相火」『は「人の陰火」也』と合わせて、陰陽五行説に基づいた漢方医学に於いて人体を暖める火とされるもの。「君火」別に漢方の臓腑としての『「心」の火』で、人体で最も重要な火とされる。「心」以外の臓腑に関係した火を「相火」と呼ぶ。特にその「相火」中でも「腎」の火を別に「命門の火」と呼び、この火は身体を温める火ではなく、最低限度の生命を維持する火、謂わば「種火」と考えてよいものとされる。
「水中火」不詳。プランクトンや水産の発光生物による水中での発光現象や不知火のような海上に見える蜃気楼現象を指すか?
「龍火」不詳。竜巻の中で発生する雷電現象を指すか?
「下火(あこ)」は「下炬」とも書き、限定的には、禅宗で火葬の際に僧が遺骸に火をつけることを指すが(元来は松明(たいまつ)に火を付ける意)、「人の陰火」と言っているところからは、遺体が燃える火を指すのではなく、所謂、死後の遺体から抜け出る限定的な「鬼火」「人魂」のことを指しているのかも知れない(後の「鬼燐(をにび)」をもっと広義に採る場合である)。
「鼬」は古来、本邦では狐と同じように妖怪視され、狐のように化けるとも言われてきたから、狐火同様の現象を引き起こしても不思議ではないので、ここに狐と並んで出るのは、私には腑に落ちる。「和漢三才圖會」の「鼬」(巻第三十九の掉尾)によれば、
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夜中有熖氣高外如立柱呼稱火柱其消倒處必有火災蓋群鼬作妖也
(夜中、熖氣(えんき)有りて高く外(のぼ)り、柱を立つるがごとし。呼んで「火柱」と稱す。其の消え倒(たふ)るる處、必ず、火災有り。蓋し、群れ鼬、妖を作(な)すなり。
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とあるのを紹介すれば、ご納得戴けよう。
「鵁鶄(ごゐさぎ)」夜行性の鳥綱ペリカン目サギ科サギ亜科ゴイサギ属ゴイサギ Nycticorax nycticorax が青白い光を放つというのは、よく言われることである。怪異譚や擬似怪談も多い。私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鵁鶄(ごいさぎ)」の「夜、飛ぶときは、則ち、光、有り、火のごとし」の私の注を是非、参照されたい。
「蛛(くも)」クモ類は多くは八個の単眼を持ち、夜間や室内ではそれが光って見える。クモの糸も光るからこれは納得されるであろう。
「連俳」連歌と俳諧。或いは俳諧の連句のこと。ここは後者。沾涼は俳人であることをお忘れなく。
「寒火」やはり先の「本草綱目」の同一箇所に、
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此外又有蕭丘之寒火。【蕭丘在南海中、上有自然之火、春生秋滅。生一種木、但小焦黑。出「抱朴子外篇」。又陸游云、火山軍、其地鋤耘深入、則有烈焰、不妨種植。亦寒火也。】
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とある。「火山軍」は山西省河曲県とその東北に接する偏関県一帯の旧称(ここ(グーグル・マップ・データ))。ここで土地を耕す際に鋤を深く入れると、激しい焔が噴き出るが、作物の種子を植えることには何ら問題はない。これは「寒火」である、というのだが、何故「寒」なのかは判らぬものの、天然ガスかメタン・ハイドレート(methane hydrate:低温且つ高圧の条件下でメタン分子が水分子に囲まれた、網状の結晶構造を持つ包接水和物の固体)のようなものか?
「陽焰」前の「本草綱目」の「寒火」に続いて、
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澤中之陽焰【狀如火焰、起於水面。出「素問王冰注」。】。
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と出る。
「鬼燐(をにび)」同前で、
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野外之鬼磷【其火色靑、其狀如炬、或聚或散、俗呼鬼火。或云、「諸血之磷光也」。】。
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と出る(下線太字は最終注を参照)。所謂、広義の狐火や怪火を広汎に含んだ「鬼火」で、昔、火の気のない墓の地面で人の骨の燐(リン)が燃えると言ったような妖火の類いのように私には感じられる。
「金銀の精氣の火」同前で、
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金銀之精氣【凡金銀玉寶、皆夜有火光】。
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とある。
「燒山(やけやま)」既出既注。恐山の別名。
「「本草綱目」ニ云……」以下の引用は怪しい。この白文の一連の文字列は出てこないのである。どうも貼り交ぜた感じがする。まず、第八巻の「金石之一」の「諸鐵器」の中に、
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馬鐙【綱目】主治田野燐火、人血所化。或出或没來、逼奪人精氣。但以馬鐙相戞作聲、卽滅。故張華云、金葉一振遊光斂色【時珍。】。
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とあり、また、第五十二巻の「人之一の「人血」の「集解」中の末尾には、
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萇弘死忠、血化爲碧、人血入土、年久爲磷、皆精靈之極也。
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とあり、さらにさっきの「鬼燐(をにび)」に注したように、「火之一」の「陽火・陰火」の中に『其火色靑、其狀如炬、或聚或散』の文字列が出現しており、これらをパッチ・ワークすると、概ねここに出る文章となるからである。或いは、沾涼は本当の「本草綱目」に当たらず、その抄約本か注釈ものに当たったのかも知れない。「兵死」は妙だ。「斃死」(行き倒れて野垂れ死にすること)をだろう。以下、敷衍訳するなら、
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――田野に頻繁に出現する火の怪「燐火(りんか)」――
これは、人間及び牛馬の斃死したものの血が、地面に浸み入って、年を経て、化したところのものである。これは皆、精霊(せいれい)・精鬼の究極の忌まわしい最終形態である。その火の色は青く、形状は松明(たいまつ)に似ている。或いは集合し、或いは散らばってやって来る。生きた人間に迫って来て、その精気を奪い去ってしまう恐るべきものである。
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でよかろう。]