進化論講話 丘淺次郎 第十八章 反對説の略評(四) 四 遺傳單位不變説 / 第十八章 反對説の略評~了
四 遺傳單位不變説
近頃はまた雜種による遺傳研究の結果として、親から子に遺傳する性質を若干の單位に分けて考へるやうになつたが、かやうな單位を化學的分析に於ける原子に比較し、組み合せ方はどのやうにでも變更が出來るが、單位それ自身は一定不變のものである如くに見倣す人も今はなかなか多い。著者はこの遺傳單位不變の説は誤りであると思ふ。
メンデルの行つた碗豆の雜種試驗では、豆の色の黃色いことも靑いことも、豆粒の形の圓いことも皺のあることも、一定の規則に從つて遺傳し、第二代目以後には一定の數の割合に分離するから、遺傳の研究上各〻一個の單位性質と見倣して取扱ふことが出來るが、他の材料に就いて實驗して見ると、かやうに簡單に行かぬ場合が頗る多い。例へば鼠の白い品種と鼠色の品種との間に雜種を造つて見ると、第二代目に白いもの、鼠色のものの外に、黑い子が出來ることがある。かやうな場合には如何に之を解釋するかといふに、先づ次の如くに假定する。卽ち毛の色は一つの遺傳單位によつて生ずるのではなく、二つの遣傳單位が合した結果である。鼠色を現すには、鼠色を出すべき基となる甲單位と、之をしてその色を現さしむべき乙單位とが揃ふことが必要で、黑色を現すには、黑色を出すべき基となる丙單位と、之をしてその色を現さしむべき乙單位とが揃ふことが必要である。乙單位が缺けては、甲單位だけで鼠色を現すことも出來ず、丙單位だけで黑色を現すことも出來ず、孰れも色素のない白色のものとなる。されば白色の鼠は乙單位を含まぬ點に於ては、總べて一致するが、實は二種の別があつて、一は鼠色の單位を隱して含み、一は黑色の單位を隱して含んで居る。今囘の雜種を造るために用ゐた白色の親鼠は、實は色素の現れぬ黑鼠であつた故に、第二代目に至つて、この黑色單位と相手の乙單位とが組み合つて黑色を現したのである。かやうに、たゞ見ては鼠色とか黑色とかいふ單一な性質と思はれるものを雜種研究の結果から推して、二つの單位に分解し、之によつて説明せんと試みるのであるが、斯くすると、各〻の遺傳單位は甘く[やぶちゃん注:「うまく」。]メンデルの優劣の法則、分離の法則などに當て嵌まり、理論上の數の割合と實驗の結果とが、大概相近い場合も相應に多い。
また白鼠と鼠色の鼠との間の雜種が、第二代目に至つて鼠色のもの、黑色のもの、鼠色と白と斑のもの、黑と白と斑のもの、全身白色のものなどが生じた場合には、黑色の基となる單位性質、鼠色の基となる單位性質、これ等に實際色を出させる單位性質、斑を生ずる單位性質などが、親鼠の體に備はつて有つたものと假定し、白鼠の方には黑色の單位と、斑を生ずる單位とが含まれてあつたが、色を出させる單位が訣けて居たために白色を呈したのである。雜種の二代目に至つて遺傳單位の樣々の組み合せが出來たから、實際生じた如き五種類の違つた色や模樣のものが現れたのであると説明する。かやうに雜種研究の結果が、簡單な規則に嵌まらぬ場合には、親生物の遺傳する性質を、次第次第に數多くの單位に分け、終にメンデルの分離の法則や獨立遺傳の法則で、目前の現象が説明の出來るまでは止めぬ。それ故研究が進むほど、遺傳單位の數が增し、最も詳しく調べた「きんぎょ草」では、色を出させる單位、色を濃くする單位、斑を生ずる單位、色を隱す單位など、二十二種も單位が有るものと見倣され、尚研究したら四五十までには、增(ふ)えるであらうと論ぜられて居る。遺傳單位なるものは、目で見ることも出來ず、手に觸れることも出來ぬ想像的のものであるが、かやうに雜種研究の結果に基づいて、次第に細かく性質を分解し進む有樣は、複雜な化合物を次第にその原子までに分解する化學の分析法に大に似て居るから、自然に兩者を同樣のものと考へ、雜種による遺傳の研究を遺傳性質の分析法と名づけ、生物の身體を恰も獨立遺傳する單位性質の集合の如くに見倣すに至つた。
[やぶちゃん注:マウスの毛色の遺伝についての現在の遺伝子上の知見は、「財団法人環境科学技術研究所」公式サイト内の「マウスの毛色の遺伝から考えてみよう」及びラット・コリー氏のブログ「外部動物日誌」の「マウスの毛色の遺伝について」がよい。前者ではABCの三座、後者はD座を含めた四座で解説されてあるが、実際にはもっと多くの遺伝子(座)が関連するものの、主要な基本色は三座である。
「きんぎょ草」「金魚草」。シソ目オオバコ科キンギョソウ連キンギョソウ属キンギョソウ Antirrhinum majus。ネット上で最近の植物研究を見ると、本種は花の色変異の遺伝学上の資料だけでなく、突然変異体や花器官の原器形成の研究に用いられている。]
著者は決して、雜種研究によつて生物の遣傳する性質を若干の單位までに分析することに、反對するわけではない。若しも遺傳單位を認めることによつて、遣傳の現象が幾分でも容易に且合理的に説明が出來るならば、之は無論結構なことと思ふ。倂しながら、之より推し進んで、生物體を恰も獨立遣傳する單位性質の塊の如くに見倣すことは、誤りであると考へる。抑〻生物の身體は種々な部分から成り、樣々な働きをしても、全部揃つて初めて一つの完結した個體をなすもの故、之を幾つかの部分に分けて考へては、最早個體としては消えてしまふ。恰も一枚の煎餅を細かく碎いてしまへば、一枚としての煎餅は無くなり、一個の時計も一つ一つの車輪や螺旋に離してしまへば、時計としての存在を失ふやうなものである。特に生物體の有する種々の性質は確にその生物體に具はつてあるに違ひないが、之か一つ一つに分けて算へ立てるのは、見る人の方で勝手にすること故、見る人の智惠や考へが違へば、區別の仕方もそれぞれ違ひ、粗く少く別ける人もあれば、細かく多く別ける人もあらう。人間自身を例に取つても、幾つの遺傳單位の集まりと見倣すべきかと考へて見たら、肉體的にも精神的にも、性質の數は細かく分ければ分けるほど增えて、幾つに成るか解らぬ。されば化學分析で化合物を元素までに分解するのと、雜種實驗によつて、一見單一に思はれる性質を、若干の遺傳單位に分けるのとは、表面上似た所はあるが、事柄が餘程違ふ故、決して同一視すべきものではない。生物體を正當に了解するには、何處も完全なものとして全體を見ることが必要で、之を勝手に澤山の假想的細部に切り碎き、各部を獨立せるものの如くに見倣し、個體を單に斯かるものの集合として取扱ふのは、理論方面に於て大なる誤を生ずる基である。
生物體を以て若干の遺傳單位の集まりの如くに見倣す人の中には、遺傳單位なるものは、化學の元素の如くに、一定不變のものであると考へる人が多い。それ等の人の考へによると、遺傳單位は一定不變のものであるが、これが樣々に組み合つて、種々の性質となつて現れるのは、丁度少數の元素が樣々に組み合つて、無數の複雜な化合物が出來るのと同じである。著者は若年の頃、化學の元素さへ一定不變のものであるや否やを疑つたことがあるが、之は別問題として、今日遣傳單位を以て一定不變のものと見倣す議論の根據は何かといふと、一は化學分析との類似で、一は實驗研究の結果である。卽ち幾代か繰り返して實驗を續けても遺傳單位に變化が起らぬから、之か一定不變のものと認めるのであらうが、著者より見れば、之は全く進化論以前の生物學者が、生物各種屬が萬世不變のものである如くに考へたのと同樣な誤りである。昔の學者が生物の親と子と孫との間に著しい變異の起らぬのを見て、生物の各種はいつまで經つても少しも變化せぬものであらうと思つて居た如くに、今日の實驗研究者も幾代かの實驗の結果、各遺傳單位は一定不變のものである如き感じを持つのであらうが、凡そかやうなことを確めるには、極めて長い年月を要するから、實驗の結果だけでは論ぜられぬ。自然科學に於て實驗を重んずべきはいふを待たぬが、人間の行ふ實驗は僅の材料を用ゐ、短い時間に行はれ得べきことだけに限られるから、少しく長い年月を要することは到底實驗では出來ぬ。されば、論より證據といふ諺はあるが、時としては證據よりも論に賴らねばならぬ場合もある。生物の進化、地球の歷史、宇宙の變遷などの如き、極めて長い時の間に起つたことを説明する場合には、たとひ證據となるべき事實は澤山あるとしても、その間を繋ぐのはやはり論である。遺傳單位不變説の如きも、僅に數代に亙る實驗を根據とせず、生物の初めて現れてから、今日に至るまでの長い時聞に當てて考へて見たならば、その不合理なることが明に知れるであらう。若し遺傳單位なるものが昔から今日まで少しも變ぜずして傳はり來つたものとしたならば、今日鼠の毛の黑い色素の基となる單位、その色を現さしめる單位とか、「きんぎょ草」の花に斑を生ずる單位、色を濃からしめる單位などが、皆生物の出來始[やぶちゃん注:「はじめ」。]の時から已に存したものと論じなければならぬが、かやうなことを眞面目に信ずるのは頗る困難である。
[やぶちゃん注:丘先生の「遺伝単位不変説」に対する反駁はすこぶる腑に落ちるものである。現行、分子生物学の席捲によって分類学や遺伝学は激しく変容し、まさにDNAやRNAはもとより、一部はトランスファーRNA(tRNA)やリボソームRNA(rRNA)の書き込み情報レベルにまで遺伝情報は極小化されているけれども、ウィキの「遺伝子」によれば、『分子生物学における最狭義の遺伝子はタンパク質の一次構造に対応する転写産物(mRNA)』『の情報を含む核酸分子上の特定の領域=構造遺伝子(シストロン)』(cistron:遺伝子の機能単位。一本のポリペプチド鎖の一次構造を決定するコードの、転写開始点と転写終結点を持つ部分)『をさす。転写因子結合部位として、転写産物の転写時期と生産量を制御するプロモーターやエンハンサーなどの隣接した転写調節領域を遺伝子に含める場合もある』(引用元ではここに「オペロン」への見よ記載がある。オペロン(Operon)とは一つの形質を発現させる遺伝子或いは構造遺伝子部分Coding region(DNAの塩基配列の中でと非翻訳領域の間にある開始コドンと終止コドンに挟まれたタンパク質に翻訳されるmRNA 或いはその鋳型となるDNA の領域)を指す遺伝子単位であるが、現在はあまり使用されない用語である)。『ちなみに、語感が似る調節遺伝子とは上記の転写因子のタンパク質をコードしたれっきとした構造遺伝子である。しかし、転写産物そのものが機能を持ち、タンパク質に翻訳されない、転移RNA(tRNA)やリボソームRNA(rRNA)、機能性ノンコーディングRNAに対応する遺伝情報が、タンパク質構造遺伝子と同程度の数をもつことが報告され、狭義の遺伝子に含められるようになっている。近年、化学修飾や編集によるDNAのもつ情報の変更が発見されて、DNA上の領域という定義は、古典的な意味での遺伝子の範疇には収まらなくなりつつある』。『古典的な遺伝子の定義は、ゲノムもしくは染色体の特定の位置に占める遺伝の単位(』『遺伝子座)であり、構造は変化しないと考えられていた。しかし突然変異やトランスポゾン(可動性遺伝子)』(transposon:細胞内に於いてゲノム上の位置を転移(transposition)することの出来る塩基配列を指す)『の発見、抗体産生細胞で多種の抗体を作り出すための遺伝子再編成の発見などから、分子生物学的実験対象としての遺伝子の概念はたびたび修正を余儀なくされた。他にも遺伝子増幅、染色体削減といったダイナミックな変化や、二つの遺伝子の転写産物がつなぎあわされるトランススプライシング』(Trans-splicing:mRNAの成熟過程で起きるスプライシング(遺伝情報を持たないイントロン(intron)が RNA 分子から除去され、タンパク質合成の情報を持つエクソン(exon)が連結する反応)が、mRNA前駆対の異なる分子種間で起こり、本来コードされていない配列が付加されることを指す語)『のように遺伝子の概念を広げる現象もある』。また、『同じ生物学内でも進化論や集団遺伝学、進化ゲーム理論での議論で用いられる遺伝子という単語は、上記の構造遺伝子やDNA上の領域あるいは遺伝子座とは相当に異なる概念を内包しており、混同してはならない(例:リチャード・ドーキンスの著書表題『The Selfish Gene(利己的な遺伝子)』)。こちらは、自然選択あるいは遺伝的浮動の対象として集団中で世代をまたいで頻度を変化させうる情報単位である。メンデル遺伝的な面をもつもののほか、表現型に算術平均的影響を与える量的形質遺伝子、遺伝情報の突然変異や組み換えに対応する無限対立遺伝子モデルなど、理論的でありながら、即物的な分子生物学の側面を包含した考え方である。これを模倣し、文化進化の文脈で用いられるミーム』(meme:ヒト集団の脳内で伝達・改変が繰り返される情報の内、人類の文化を形成する働きを持つもの。例えば、習慣・技能・物語といった、人々の間で伝達される様々な情報を指す用語。ここはウィキの「ミーム」を参考にした)『は集団遺伝学における遺伝子のアナロジーである』。『遺伝子という言葉は、「遺伝する因子」としての本来の意味を超えて遺伝子産物の機能までを含んで用いられる場合があり、混乱を誘発している。後者の典型例としては、遺伝しない遺伝子を使った遺伝子治療などがあげられる。さらに遺伝子やDNAという言葉は、科学的・神秘的といったイメージが先行し、一般社会において生物学的定義から離れた用いられ方がされていることが多い。それらの大半は通俗的な遺伝観を言い換えたものに過ぎない。一般雑誌などでは疑似科学的な用法もしばしば見受けられる』とある。]
本書は元來、生物進化の事實とその説明との大要を成るべく通俗的に書くのが主であつたから、從來の版には理論方面の學説は殆ど捨てて置いた。倂し近來は追々遺傳に關する論説が雜誌上にも現れ、また書物にも書かれるやうになつて、その中には本書に述べたことと矛盾する如くに見える所も少からぬから、前以て讀者の疑問に答へるために、この度の新版には、それ等に對する著者の考を一通り略述することとした。已に幾度も述べた通り、これらの問題は今日尚議論の最中であつて、孰れの側からも種々の理窟を持ち出して鬪ふことの出來る點であるから、無論この章に述べただけで、著者の考へがいひ盡してあるわけではないが、餘り詳しく論じては、本書の元來の目的から遠かるから、以上述べただけに止めて置く。
[やぶちゃん注:本書「進化論講話」初版は明治三七(一九〇四)年一月(東京開成館刊)の発行であるが、本テクストは国立国会図書館デジタルコレクションの中の、同じ東京開成館から大正一四(一九二五)年九月に刊行された(初版から二十一年後)、その『新補改版』(正確には第十三版)である。]
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