諸國里人談卷之三 二恨坊火
〇二恨坊火(にこんぼうのひ)
攝津國高槻庄(たかつきのしやう)二階堂村に、火あり。三月の頃より、六、七月まで、いづる。大さ、一尺ばかり、家の棟、或は、諸木の枝梢(ゑだこずへ[やぶちゃん注:ママ。])にとゞまる。近く見れば、眼耳(がんに)・鼻口(びこう)のかたちありて、さながら、人の面(おもて)のごとし。讐(あだ)をなす事あらねば、人民、さしておそれず。むかし、此所に日光坊(にくわうぼう)といふ山伏あり。修法(しゆほう)、他(た)にこえたり。村長(むらおさ)が妻、病(やまい[やぶちゃん注:ママ。①は「やまふ」。])に臥す。日光坊に加持をさせけるが、閨(ねや)に入〔いり〕て一七日(いつしちにち)祈るに、則(すなはち)、病(やまひ)、癒(いへ)たり。後に「山伏と女、密通なり」といふによつて、山伏を殺してげり[やぶちゃん注:①も③「げ」。]。病平癒(やまいへいゆ[やぶちゃん注:「やまい」同前で①は「やまふ」。])の恩も謝せず。そのうへ、殺害(せつがい)す。二(ふたつ)の恨(うらみ)、妄火と成りて、かの家の棟(むね)に、毎夜(まいや)、飛來(とびきた)りて、長(おさ)をとり殺しけるなり。「日光坊(につこうぼう)の火」といふを、「二恨坊(にこんぼう)の火」といふなり。
[やぶちゃん注:本話は私は既に『柴田宵曲 妖異博物館 「怪火」』と、この伝承を強烈にインスパイアした「宿直草卷五 第三 仁光坊と云ふ火の事」で注している。ここで言い添えるべきことはない。
「攝津國高槻庄二階堂村」ウィキの「二恨坊の火」に『摂津国二階堂村(現・大阪府茨木市二階堂)』及び『同国高槻村(現・同府高槻市)に伝わる火の妖怪』とある。この二地名は無論、異なる場所なのであるが、茨木市は東で高槻市に隣接しており、後者の高槻市には二階堂の地名は現行では見当たらないものの、前者のここ(グーグル・マップ・データ)に「二階堂」というバス停を発見出来る。則ち、古くはこの辺りから、東の安威川(あいがわ)を渡って東方の現在の高槻市内辺り(市境までは八百メートル未満)までを「二階堂」と呼んでいたものかも知れない。]