甲子夜話卷之四 34 本多唐之助病死のとき、有德廟上意の事
4-34 本多唐之助病死のとき、有德廟上意の事
德廟の御時、本多唐之助、疱瘡を患て沒したり。時、年十七以下なれば其跡たゝざる規定ゆへ、病死のことを、老職、密に御聽に入たるに、上意には、「疱瘡と云ものは面體のかはる者なり」と度々、仰あり。此御旨を心得て、かの家臣へ通じたれども、悟らざると覺て、其實を申出し故、御規定の如く、其家、たゝず。僅に小祿の苗跡を遺せる計になりたり。
■やぶちゃんの呟き
末期養子の連投であるが、こちらは「有德廟」徳川吉宗がわざわざ暗に誤魔化しを匂わせた上意を下して呉れたのに、それに心づかず、正直に報告してしまい、減封(御家断絶となったように見えるが違う。次注参照)となった不幸なケースである。
「本多唐之助」大和郡山藩第四代藩主本多忠村(ほんだただむら 宝永七(一七一〇)年~享保七(一七二二)年)の幼名。ウィキの「本多忠村」によれば、享保二(一七一七)年、『父の死去により』、『跡を継ぐ。幼少のため』(数え八歳)、『幕府は郡山の重要性から忠村を別の領地に移封しようとしたが、将軍の徳川吉宗が許したため、移封を免れた』が、享保七(一七二二)年九月『晦日、天然痘のため』、『江戸で死去し、跡を弟の忠烈が継いだ』。享年十三歳。『松浦清(静山)の『甲子夜話』によれば、忠村の死に際し、吉宗が「天然痘というものは、ずいぶん容貌が変わるそうだ」とたびたび語っていたという。これは、他の人物を忠村ということにしてすり替えても分からない、と暗にすり替えを勧めていたのではないかとされるが、本多家中の者は忠村の死をそのまま幕府に報告したため、減封の上で幼少の弟・忠烈に継がせることとなった』とある(太字やぶちゃん)。清廉実直、と言うより馬鹿正直にして将軍の忖度を理解出来なかった凡愚な家臣故の悲劇と言うべきか。
「疱瘡」天然痘。
「患て」「わづらひて」。
「年十七以下なれば其跡たゝざる規定」ウィキの「末期養子」によれば、『江戸時代初期には、大名の末期養子は江戸幕府によって禁じられていた』が、慶安四(一六五一)年に『幕府は末期養子の禁を解いた。とはいえ、末期養子の認可のためには、幕府から派遣された役人が直接当主の生存と養子縁組の意思を確かめる判元見届という手続きが必要であり(ただし、後に当主生存の確認は儀式化する)、無制限に認められたわけではなかった。また、末期養子を取る当主の年齢は』十七『歳以上』五十『歳未満とされており、範囲外の年齢の当主には末期養子は認められていなかった』。十七『歳未満の者が許可されるのは』寛文三(一六六三)年、五十『歳以上の者が許可されるのは』天和三(一六八三)年に『なってからであった。それも当初は米沢藩の上杉綱憲の相続のように、全ての所領を相続できず』、『減知されるといった代償が存在した』(この場合がそれ[やぶちゃん注:太字やぶちゃん])。『その後もこの規準は公式には遵守されており』、享保四(一七一九)年に『安芸広島藩の支藩三次藩主浅野長経が公式上』十三『歳(実際は』十一『歳)のために末期養子が認定されず』、『改易となり、宗藩にあたる広島藩に所領が併合され、藩士は広島藩士に転籍している。また、元禄六(一六九三)年に『備中松山藩主水谷勝美が親族の水谷勝晴を末期養子としたものの、その直後に当の勝晴が正式な家督相続前に亡くなった際には、「末期養子の末期養子」は認められず、水谷家は改易となっている』。『このために、諸藩では早い段階で嗣子が不在か末期養子が適用できる年齢に満たない場合は、末期養子の適用が可能な年齢の一族を仮養子や中継ぎに立てることや、当主死亡を幕府に届けるのを遅らせた上で嗣子の年齢詐称を行ったりしている。後者の場合、何らかの理由を付けて認められるのが常であり、形骸化していた。より軽格の旗本御家人などの場合、当主の年齢が』十七『歳に満たないことが明らかであっても当人が』十七『歳と称した場合にそれを認める(勝小吉の勝家相続のケース)など、幕府側が露骨に不正を黙認した例もある。そういった備えが出来ないまま』、『末期養子の禁に抵触しそうな場合には、藩主のすり替えが、時には幕閣の示唆で行われたこともあった』とある。『こうしたすり替えは多くの場合、すり替えても不自然ではない年齢で血筋上も妥当な相続者を一族内から選び、藩内で内密に行われた』ともある。
「老職」老中。
「密に」「ひそかに」。
「御聽」「おきき」。将軍の御耳にお聞かせ申し上げること。
「面體」「めんてい」。
「仰」「おほせ」。
「悟らざると覺て」「覺(おぼえ)て」。折角の将軍の御配慮の真意を汲み取ることが出来なかったと思われ。
「其實」「そのじつ」。末期養子の正式な手続きを全く採らず、十三歳で病死した事実。
「苗跡」「みやうせき(みょうせき)」その家の名を以って代々所有し来たり、また、子孫に伝えるべき土地・財産・権利。
「計」「ばかり」。
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