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« 和漢三才圖會第四十一 水禽類 剖葦鳥(よしはらすずめ) (ヨシキリ) | トップページ | 諸國里人談卷之四 油が池 »

2018/07/14

和漢三才圖會第四十一 水禽類 都鳥 (ユリカモメ/ミヤコドリ)

 

Miyakodori

 

みやことり 正字名義未詳

都鳥

     【訓美也古止里】

 

△按都鳥大如鸕鷀白色唯嘴與脚正赤關東多有之畿

 内未有之人亦不食之有業平視都鳥於隅田川之語

 著聞集云【建長六年十二月】有獻都鳥於京師者因叡覽宮女

 有歌    すみた川すむとしききし都鳥けふは雲井の上に見る哉

 

 

みやこどり 正字・名義、未だ詳かならず。

都鳥

     【訓、「美也古止里」。】

 

△按ずるに、都鳥、大いさ、鸕鷀〔(みそさざい)〕のごとし。白色。唯、嘴と脚と正赤。關東に多く之れ有り。畿内に〔は〕未だ之れ有らず。人、亦、之れを食はず。業平(なりひら)、都鳥を隅田川に視るの語〔(かたり)〕有り。「著聞集」に云はく、『【建長六年十二月。】都鳥を京師〔(けいし)〕に獻〔(たてま)〕つる者、有り、因りて叡覽したまふ。〔そのをりの〕宮女〔が〕歌、有り。

 すみだ川すむとしききし都鳥けふは雲井の上に見る哉

[やぶちゃん注:これは体は「白色」であるが、嘴(くちばし)と後脚のみが正しく赤い鳥であるから、

鳥綱チドリ目カモメ科カモメ属ユリカモメ(百合鷗)Larus ridibundus

である。ウィキの「ユリカモメ」によれば、『ユーラシア大陸北部やイギリス、アイスランドなどで繁殖し、冬は南下しヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジアへ渡りをおこない越冬する。北アメリカ東海岸に渡るものもいる』。『日本では冬鳥として、北海道から南西諸島まで広く渡来し、小型のカモメ類の大半が本種である。ただし、北海道では厳冬期にはほとんど見られなくなる。主に、全国の海岸や河川、沼地などに普通に渡来する』。『全長は約』四十センチメートル、翼開長は約九十三センチメートル。『足とくちばしは赤色。夏羽は頭部が黒褐色になる(英名:Black-headed Gull)。冬羽は頭部が白く、目の後ろに黒い斑点があるのが特徴。ズグロカモメ』(カモメ科 Chroicocephalus 属ズグロカモメ Chroicocephalus saundersi)『と似ているが、ズグロカモメのくちばしは黒色で本種よりずっと短い等の違いで識別できる』。『海岸、内陸の湖沼や河川に比較的大規模な群を作』って『生活する。大きな河川では河口から』十キロメートル『以上も遡る。夜は海に戻り、沖合のいかだなどを塒』(ねぐら)『とする』。現在は普通に『京都市の鴨川でも多くの個体が観察される。鴨川のものは比叡山上空を通過し、琵琶湖で夜を過ごす。基本的にはカモメ科と同じく魚や甲殻類、オキアミを食べるが、カモメ科としては珍しく様々な環境に対応できるので雑食性で、近くに水草が生えている河川や池では昆虫や雑草の種子などを食べ、港では不要な捨てられた魚を食べ、時には人の食べ物や売られている魚を横取りすることも少なくない。その他に市街地や農村では人のゴミをあさるので同じく餌場にいるカラスなどの他の鳥と取り合いなどの喧嘩をすることもある。昼間は常に餌場近くにおり、夜間はこれとは異なる海上や湖で過ごす』。『栃木県では』一九七四『年以降、本種の記録が著しく増加している。宇都宮市と真岡市鬼怒川の記録によると、渡来時期は主に』四月と十から十一月にかけて『であり、渡りのときには内陸部を通過しているものと思われる』。『夏に繁殖するため、日本では基本的に営巣しない』。『日本の古典文学に登場する「都鳥」は、現在の和名が』、後に掲げる『ミヤコドリ(Haematopus ostralegus)である鳥ではなく、ユリカモメを指すとする説が有力である』。その根拠がまさに良安が挙げる「伊勢物語」第九段(通称「東下り」)の章段の知られた末尾の部分である(引用は私が独自に行った)。

   *

 なほ行き行きて、武藏の國と下(し)つ總(ふさ)の國との中に、いと大きなる河あり。それを「隅田河」といふ。その河のほとりにむれゐて、

「思ひやれば、限りなく遠くも來にけるかな。」

とわびあへるに、渡守(わたしもり)、

「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」

と言ふに、乘りて渡らむとするに、みな人、ものわびしくて、京に思ふ人、なきにしもあらず。

 さるをりしも、白き鳥の、嘴(はし)と脚(あし)と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水の上に遊びつつ、魚(いを)を食(く)ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人、見知らず。渡守に問ひければ、

「これなむ都鳥(みやこどり)。」

と言ふを聞きて、

  名にし負はばいざこと問はむ都鳥

    わが思ふ人はありやなしやと

とよめりければ、舟、こぞりて、泣きにけり。

   *

『このように、「都鳥」は「隅田川にいる鳥で、体が白く、嘴と脚が赤い、シギ程度の大きさ、魚を食べる水鳥」とされているが、この条件に当てはまる鳥としてはユリカモメが最も近い。そのため、「都鳥=ユリカモメ」と推定されている。なお、ミヤコドリは嘴と脚が赤いものの』、『体色は黒(腹部を除く)であり、英語名(Oystercatcher)の通り、食性はカキなどの貝類を食べる。このように』、『両者は異なる』。『なお、現在の京都ではユリカモメは鴨川などで普通に見られるありふれた鳥であるが、鴨川に姿を見せるようになったのは』一九七四年のことであ』って、『それ以前は「京には見えぬ鳥」であった』とガッツリ書かれてある(太字下線やぶちゃん)。さればこそ、比較対照出来るように、チドリ目ミヤコドリ科ミヤコドリ属ミヤコドリ亜種ミヤコドリ Haematopus ostralegus osculans ウィキの「ミヤコドリ」にから引いておく。体長は四十五センチメートルほどで、『ハトより少し大きい。くちばしと足は長くて赤い。からだの上面は黒く、胸から腹、翼に白い部分がある』。『北欧、中央アジア、沿海州、カムチャツカ半島などで繁殖し、西欧、アフリカ西岸、中東、中国南部、日本にかけての海岸で越冬する。かつて日本では旅鳥または冬鳥として主に九州に渡来していたが、近年は東京湾でも定期的に観察されるようになった。海岸で小さな群れを作ってすごすことが多い』。『英名の「Oystercatcherとは、カキなどの二枚貝を食べる習性に由来している。くちばしは上下に平たくて先が鋭く、わずかに口を開けた二枚貝に素早くくちばしを差し込み、貝柱を切断して殻を開け、中身を食べる。ほかにカニやゴカイなども食べる』。なお、『カモメ科の「ユリカモメ」のことを古代・中世に「ミヤコドリ」と呼んでいたという説がある(古今和歌集に登場する都鳥など』)とあるが、現行、あらゆる古典教材及び参考書は、少なくとも「伊勢物語」のこのシークエンスの「みやこどり」は「ユリカモメ」と断定同定しているしかし私に言わせれば、この「ミヤコドリ」の解説は正当なのであって、例えば、最古の歌例で「万葉集」の唯一の「みやこどり」の詠草、巻第二十の大伴家持の一首(四四六二番)、

 舟競(ふないは)ふ堀江の川の水際に來居(きゐ)つつ鳴くは都鳥かも

を見ると、これは絶対にユリカモメであって、ミヤコドリではないとは鳥類学者でも断言出来ないと私は思う。寧ろ、この二種に江戸以前の日本人は「都鳥」の名を与えていたのだと考える方が自然である。されば参考書等がイラストや写真で一律に「ユリカモメ」を掲げて「都鳥」と断ずることには私は大いに問題があると考えている。二十年以上前、古文の参考書の「みやこどり」の絵が実際の「ミヤコドリ」になっている(詳細を思い出せないが多分そうだろう)のを間違いだと指摘して新聞にまで載った女子生徒の手柄話があったが、私はその時も、はなはだ違和感を感じたのを思い出すのである。

「鸕鷀〔(みそさざい)〕」スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属ミソサザイ Troglodytes troglodytes

『「著聞集」に云はく……」「古今著聞集」の「卷第二十 魚蟲禽獸」にある追加捕入の一条、「或殿上人右府生秦賴方(はたのやすかた)[やぶちゃん注:伝不詳。]の進じたる都鳥を橘成季に預けらるる事」である。新潮日本古典集成版(西尾光一・小林保治校注)を参考に、恣意的二に正字化して以下に示す。割注は概ね当該書の注を参照した。これを読むと、実は女房の代作として太政大臣藤原(西園寺)実氏が詠んだ歌であることが判る

   *

院[やぶちゃん注:後嵯峨天皇。在位は仁治三(一二四二)年から寛元四(一二四六)年。]の御隨身(みずいじん)右府生(うふせい)秦賴方、「みやこどり」を、ある殿上人に參らせたるを、成季[やぶちゃん注:橘成季(?~文永九(一二七二)以前に没)。従五位上・右衛門尉。大隅守・伊賀守などを歴任。本「古今著聞集」の著者(建長六(一二五四)年完成)。]にあづけられて侍り。くひ物などもしらで、よろづの蟲をくはせ侍るも、所せくおぼえて[やぶちゃん注:面倒に感じて。]、ゆゆしきもの飼ひ[やぶちゃん注:非常に珍しいものを飼っている人物。]なるによりて、小田河美作(おだがはみまさか)の茂平(しげひら)[やぶちゃん注:小早川茂平の誤り。暦仁(りゃくにん)元(一二三八)年に美作守。]がもとへ遣りて、飼はせ侍しを、建長六年十二月廿日[やぶちゃん注:ユリウス暦一二五五年一月二十九日。]、節分の御方違(おんかたたがへ)のために、前(さき)の相國(しやうこく)[やぶちゃん注:藤原(西園寺)実氏。後深草天皇生母姞子(きつし)の父。当時は太政大臣で六十一歳。]の富の小路の亭に行幸なりて、次の日一日、御逗留ありし。相國、みやこ鳥をめして、叡覽にそなへられけり。返し遣はすとて、少將の内侍[やぶちゃん注:左京権大夫藤原信実の娘。後深草院弁内侍の妹。]、紅の薄樣(うすやう)に歌を書きて、鳥につけて侍りける、

  春にあふ心は花の都鳥のどけき御代のことや問はまし

[やぶちゃん注:参考底本の訳に『あすは立春となりますが、春にめぐり合う気持にはなやぎます。さて、花の都の名を持つこの都鳥に天下太平のこの大御代の感想を尋ねたいものです』とある。]

大臣(おとど)、又、女房にかはりて、檀紙[やぶちゃん注:白い奉書紙のようなものを指す。]に書きて、おなじくむすびつけける、

  すみだ川すむとしききし宮こ鳥けふは雲井のうへに見るかな

[やぶちゃん注:参考底本の訳に『武蔵のすみだ川に住んでいると聞いた、その都鳥を、今日はうれしくも都の雲居(宮中)で見ることであります』とある。]

この事を兼直の宿禰[やぶちゃん注:卜部(うらべ)兼直。神道家で侍従・吉田神社禰宜・正三位。]、つたへ聞きて、本主[やぶちゃん注:持ち主。秦頼方。]に申しこひて見侍りて、返すとて、

   都鳥の芳名、昔、萬里の跡に聞く。

   微禽の奇體、今、一見の望みを遂ぐ。

   畏(かしこ)みて之れを悦ぶ餘り、

   謹みて心緖(しんしよ)を述ぶるのみ。

  にごりなき御代にあひみる角田(すみだ)川すみける鳥の名をたづねつつ

   前の參河の守卜部兼直 上(たてまつ)る

[やぶちゃん注:前書は原本では漢文のようである。「心緖」心の一端。歌は参考底本の訳に『政道の正しいこの大御代に幸いに生れあい、一見の望みも遂げました。すみだ川に住んでいたという都鳥にはその名にひかれて恋い続けていたのです』とある。]

   *]

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