諸國里人談卷之四 不断櫻
○不断櫻(ふだんざくら)
伊勢國白子(しろこ)の寺家村(じけむら)觀音寺の堂の前に一木の櫻あり。四時(しいじ)に、花、開(さけ)けり。盛りの花のごとくにはあらず、葉がくれに、五、七輪の花、常に絶(たへ[やぶちゃん注:ママ。])ず。當寺は子安(こやすの)觀音と稱して、靈験、世に知る所なり。此御影(みゑい[やぶちゃん注:ママ。])を産所に安置すれば、必(かならず)、安産ならしむ。此寺家村一鄕は、孕(はらめ)る女、五月帶(いわたおび)をせざる事、むかしより今もつて、かはらず。
[やぶちゃん注:現在の三重県鈴鹿市寺家にある真言宗白子山(しろこざん)観音寺。ここ(グーグル・マップ・データ)。本尊は白衣観世音菩薩。ウィキの「観音寺(鈴鹿市寺家)」によれば、『聖武天皇の勅により、藤原不比等が建立したとされ』、天平勝宝三(七五一)年に道證上人が開山したとされる実に千二百五十年以上『続く寺院で、寺伝によると、本尊の白衣観世音菩薩が、当寺の東側にある鼓ヶ浦の海中より、鼓に乗って現れたといわれ、安産、子孫長久を守り、子安観音として、現在まで人々の信仰を集めている』。『称徳、正親町、後花園各天皇の絵画や、徳川御三家の安産祈願文等を所蔵している』。『天平宝字年中』(七五七年~七六五年)、『落雷で焼失した伽藍跡に、芽生えたといわれる不断櫻が』、一年中、『葉や花を咲かせて』おり、これは「白子不断櫻」として大正一二(一九二三)年に『国指定の天然記念物に指定され』た。一『年中花が咲いている不思議な桜として、江戸時代から有名で』、「伊勢参宮名所図会」(作者未詳・寛政九(一七九七)年刊)にも『紹介されている。真夏以外花を見ることができるが、満開状態ではなく、梢のあちこちに花が見られるものであり、葉の一部は真冬でも枝に残っている。花は白色、一重の五弁で、花の中央部が赤味を帯びている』とある。真冬にも開花することから、観音様の力が宿った霊木として信仰されてもきたという。また、この葉から同地方の伝統産業である「伊勢型紙」の模様が生まれたとされている。辞書には、四季を問わずに五弁の白い花をつけるサトザクラの一種(サトザクラはボタンザクラとも称し、バラ亜綱バラ目バラ科モモ亜科スモモ(サクラ)属サクラ亜属オオシマザクラPrunus
lannesiana var.speciosa を主とし、これにサクラ属ヤマザクラ Cerasus jamasakura やサクラ属オオヤマザクラ Cerasus sargentii などが交雑したものなどから改良選出された、園芸品種の総称名)とある。画像はかなりあるが、「伊勢型紙専門店おおすぎ」公式サイト内の「不断桜」をリンクさせておく。
「五月帶(いわたおび)」妊婦の妊娠五ヶ月目にあたる戌の日に安産を祈願して腹帯(はらおび)を巻く儀式「帯祝い(おびいわい)」のこと。この帯は「岩田帯」と呼ばれる。これをしないのは、既にこの観音の御加護があることを表明するものであろう。]
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