諸國里人談卷之五 鯉社仕者
○鯉社仕者(こひやしろのししや)
丹波國幷河(なびかは)村、鯉大明神の仕者は鯉也。土俗云〔いはく〕、「此鯉、二献(こん)、每月、大堰(〔おほ〕い)川をくだりて、松尾明神へ仕者に通ふ」と云〔いへ〕り。また、鯉大明神の産子(うぶこ)、鯉をくらへば、立所に、口中、腫痛(はれいたむ)事、神變なり。八幡の者、鳥類を喰ひ、奈良の者、鹿をくらふ、の類ひなり。
[やぶちゃん注:現在の京都府亀岡市大井町(おおいちょう)並河(なみかわ)にある大井神社。ここ(グーグル・マップ・データ)。TANBA
RAKUICHI氏のサイト「丹波の神社」のこちらによれば、『創祀は和銅三年(七一〇)』で、『御祭神は月読命・市杵島姫命・木股命(御井神)』とし、ここは『神饌幣帛料供進神社』であるとあって、『大宝二年(七〇二)に、月読命と市杵島姫命が亀の背に乗り大堰川を遡つて来られた時、八畳岩の辺りから水勢が強くなつたので鯉に乗り換へ、現在の河原林町勝林島内垣内の在元渕まで来られた。勝林島に神社を建て』、『鎮座したが、のちに現在の場所に遷した。大井は往古の湖水の中心点であつて、万一のことがあれば平地一帯は瞬時にして前の如く湖水となるのを憂へ、木股命(御井神)を勧請して守護を祈つたと伝へる』とあり、『JR嵯峨野線並河駅のすぐそば、大井の中心部に鎮座し』、『以前は並川村・大井村・宇津根村・勝林寺村・上田村・北金岐村・南金岐村・小金岐村・太田村の東半分の氏神であつた古社で』、『鯉を神の御使ひとする大井神社の氏子と地域の人々は、五月の端午の節句にも鯉のぼりを立てず、鯉を呼び捨てにせず、鯉を決して食用にしない風習を今も守つてゐ』るとある(下線太字やぶちゃん)。
「大堰(〔おほ〕い)川」京都府中部を流れる淀川水系の一部で、丹波山地の東部付近に源を発し、西流した後、南東へ転じて、亀岡盆地を貫流し、亀岡盆地の出口から下流は「保津川」となり、さらに嵐山からは「桂川」となる。
「松尾明神」現在の京都府京都市西京区嵐山宮町にある松尾大社。ウィキの「松尾神社」によれば、『大社の社殿背後には、「亀の井(かめのい)」と称される松尾山からの湧水の泉があ』り、『この亀の井の水を酒に混ぜると腐敗しないといい、醸造家がこれを持ち帰って混ぜるという風習が現在も残っている』。『松尾大社が酒の神として信仰されるのはこの亀の井に由来するもので』、『その信仰により全国に創立された松尾神の分社は』千二百八十『社にも及ぶという』。『「亀の井」の名称は、松尾大社の神使が亀であることに由来するとされ』、『神社文書によれば、松尾神は大堰川を遡り』、『丹波地方を開拓するにあたって』、『急流では鯉に、緩流では亀に乗ったといい、この伝承により鯉と亀が神使とされたとされる』とある(下線太字やぶちゃん)。松尾神社の祭神及び松尾大明神についてはリンク先を読まれたい。
「産子(うぶこ)」氏子。
「八幡の者、鳥類を喰ひ」八幡神の使者は多く鳩である。
「類ひなり」殺生及び肉食の禁忌の類い。]