反古のうらがき 卷之一 幽靈
○幽靈
友人齋藤朴園が續從(のちぞひ)の妻は、これも新たに寡(やもめ)にして、再び朴園に嫁せし也。樣子がらもよろしく在(ある)に、安堵のおもひをなせしに、一日(あるひ)、忽(たちまち)、「吾に暇(いとま)くれ候へ」とせちにこひけり。固(もと)より留むべき辭(ことば)もなければ、其意に任せて歸しけるが、跡にて聞けば、「或夕暮、庭より内に入(いり)しに、前の夫と座敷の内に居(をり)し」とて、里付(さとづき)の婢(はしため)に語りしよし。其後、再び何方へか嫁せしよし也しが、此度は井に入て死せしよし、はたして狂氣に疑ひなし。朴園は早く歸せし故、此禍(わざはひ)を免れたりと語りあへり。
[やぶちゃん注:言っておくが、「前の夫と座敷の内に居し」の「と」は底本のママである。しかしだから読み採り難くなっている。「里付の婢」は女(後妻)が実家から伴って来た女中であろうから、前の台詞は後妻がその女中に語った内容であり、だからこそ「前の夫」なのであろうが、台詞自体が、甚だ妙である。ただ「前の夫」が「座敷の内に居」たのだったら、彼女は「前の夫と」とは言うまい。されば、この台詞を私は、
「ある夕暮れのことよ。私は庭から家の中に上ったの。そしたら――座敷の中に――死んだ前の夫と――私が――一緒に居たの。……」
という意味ではないかろうかと思うのである。但し、国立国会図書館デジタルコレクションの「鼠璞十種 第一」に所収するものでは、ここが、
『前の夫が座敷の内に居(をり)し』
となっている。これなら不審は雲散霧消するのであるが、正直、それでは――怪奇談としては常套に過ぎて今一つ――なのである。腑に落ち過ぎる怪談として、却って怖くないのである。しかし正直、大半の読者はここは「が」が正しいとお考えになり、ただの誤写か誤植であろうとされるのだろうが、にしても、だったら、「庭より内に入(いり)しに」という怪奇シーンの導入は何だったのか? と私は思うのである。寧ろ、日常から非日常への通路として、より驚くべき異界性を持って機能する(機能させる)ものなのであることは言を俟たない。さらに言えば、彼女の精神疾患を重篤な幻視性を持ったもの(後に井戸に飛び込んで入水自殺する点からもそう考えてよい)と捉えるなら、この幻視には――彼女自身が死んだ夫と一緒にいる姿が見えた――だから「と」なのだ――と考えた時、この短い話柄は慄然とさせる真正の怪奇性をも帯びてくると私は思うのである。或いは――そでただ二人は座っていただけなのか? 二人は何かしていたのではないか?――とまで私は妄想するのである。大方の御叱正を待つまでもない。私の深読み、いや、この解釈こそ私の中の怪奇趣味或いは狂気の由縁なのかも知れぬ。
「齋藤朴園」不詳。]
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