諸國里人談卷之五 武文蟹【島村蟹・平家蟹】
○武文蟹(たけぶんがに)【島村蟹・平家蟹】
攝津國尼ヶ崎兵庫の浦に、蟹の甲(こう)、怒れる面(おもて)のごとくにして、甲を着たるありさま也。是、秦(はたの)武文、松浦(まつら)五郞がために海中に入〔いり〕て死す、その霊なり、と云〔いへ〕り【或〔あるいは〕「島村蟹〔しまむらがに〕」と云〔いふ〕。】。○又、長門國赤間關(あかまがせき)の邊に、かくのごとくの蟹、あり。これは元暦(げんりやく)二年に、平家の一門、戰ひ負(まけ)て、多く入水(じゆすい)しける、その霊なり、と云。よつて、此所にては「平家蟹(へいけがに)」と、いへり。兩説ともに、あやしき説なり。
[やぶちゃん注:これは流石に海産無脊椎動物フリークの私は散々いろいろ書いてきた。その中でも、ここに書かれた内容を――注せずに――完全にカバー出来るものは、去年の六月七日の私の仕儀、『毛利梅園「梅園介譜」 鬼蟹(ヘイケガニ)』であろう。判らぬことがあれば、そちらの注を見られたい。リンク先には梅園の美事なヘイケガニの図もある。なお、今回、「島村蟹」伝承については、島村豊氏の精緻にして精細な論文『「島村蟹」の伝承についての考察』(PDF)を発見した。必読である。]