諸國里人談卷之五 東大寺鐘
○東大寺鐘(とうだいじのかね)
南都東大寺の鐘は、聖武帝の御願(ごぐわん)、天平年中に鑄ㇾ之(これをいる)。
長〔たけ〕 一丈三尺六寸
口ノ徑(わたり)
九尺一寸三分
厚〔あつさ〕 八寸三分
量(おもさ) 四万八千九百貫目
冶工(いものしは)
柹本男玉(かきのもとのおたま)
高市眞國(たかいちまくに)
高市眞※(まのまろ)等なり。
[やぶちゃん注:①③ともに「※」=「麿」から「林」を除いた字体。「麿」に同じいようだ。度量衡は原典では二段組、鋳造師の名前は一字空けで総て繋がっているが、ブラウザの不具合を考え、かく示した。東大寺の梵鐘は大仏開眼供養の前年である天平勝宝三(七五一)年に鋳造されたと伝えられている。
「長」「一丈三尺六寸」高さ四メートル十二センチ。現在の公的数値は三メートル八十五センチ。
「口ノ徑(わたり)」「九尺一寸三分」口径二メートル七十七センチ弱。現在の直径は二メートル七十一センチ弱。
「厚」「八寸三分」二十五センチ。現行不明。
「量(おもさ)」「四万八千九百貫目」これは何かの間違いだろう。百八十三トン越えになってしまう。現行では二十六トン三百六十四キログラムで、これだと、七千三十貫ほどである。この数値がいっかな怪談で御座りまする、沾涼殿!
「柹本男玉(かきのもとのおたま)」「高市眞國(たかいちまくに)」「高市眞※(まのまろ)」(「※」=「麿」から「林」を除いた字体)彼らは三人総てが大仏鋳造に中心的役割を果たした鋳物師である。特に大鋳師「高市眞國」は高市眞國(たけちのさねくに)のことで、大仏鋳造の指揮をとったと思われていると、「東大寺」公式サイト内のこちらにあった。]