諸國里人談卷之五 三井鐘
〇三井鐘〔みゐのかね〕
文保二年、三井寺回祿の時、鐘を叡山に奪(うばひ)て撞(つく)といへども、鳴らず。强(しい)てこれを撞(つけ)ば、その聲、「三井寺に歸らん」といふがごとし。衆徒、怒(いかり)て無動寺の上より、落し棄(すて)けるに、破𤿎(われめ)、每夜、小蛇(こへび)、來りて、尾を以て、これをたゝく、則〔すなはち〕、其𤿎(きず)、愈(いへ)て、故(もと)のごとし【「太平記」ニ見〔みゆ〕。】。
○むかしは、破(われ)の間〔あひだ〕に、扇の要(かなめ)のかた、入〔いり〕けるよし、古老の云〔いふ〕。寛文のころまでは、藁蘂(わらしべ)の透(すき)ありとぞ。今は其〔その〕璺罅(ひゞきめ)ばかりなり
[やぶちゃん注:最後の「璺」の字は①・③ともに「玉」の最終画の「ヽ」はない。この鐘は、俵藤太秀郷が百足退治をした褒美に竜宮城から贈られ、それを秀郷が三井寺に寄進したものとされる。本話にも言及されてあるので、サイト「龍学」(しばしばお世話になっている)の「田原藤太秀郷(鐘の話)」から引用させて貰う。
《引用開始》
瀬田の唐橋の下に棲む竜神に三上山の大百足退治を頼まれた秀郷は、見事に大百足を討ち取る。)竜神は喜び、取れども尽きぬ米俵、切れども減らぬ絹一疋、薪なしで煮える釜、慈尊出世を告げる名鐘を秀郷に贈った。
秀郷は名鐘を三井寺に奉納した。後、文保三年(1319)三井寺炎上の際、鐘は無動寺にあずけられた。しかし、無動寺ではどう撞いてもこの鐘が鳴らない。怒った法師どもは、鐘を谷へ突き落とし、砕いてしまった。
砕かれた鐘は三井寺に戻されたが、破片ではどうにもならず放っておかれた。すると、ある時一尺ほどの蛇が現われ、尾で鐘の破片をたたくと一夜のうちにもとどおりになり、痕ひとつのこらなかったという。
《引用終了》
なお、ウィキの「園城寺」によれば、この梵鐘は「弁慶の引き摺り鐘」とも呼ばれ、同寺の『金堂近くの霊鐘堂に』現存する。『無銘だが、奈良時代に遡る日本でも有数の古鐘である。伝承では、俵藤太こと藤原秀郷がムカデ退治のお礼に琵琶湖の竜神から授かった鐘だと言われ、その後比叡山と三井寺の争いに際して、弁慶が奪って比叡山に引き摺り上げたが、鐘が「イノー」(「帰りたいよう」の意)と鳴ったので、弁慶が怒って谷底へ捨てたという。現状、鐘の表面に見られる擦り傷やひびはその時のものと称する。歴史的には、この鐘は』文永元(一二六四)年の『比叡山による三井寺焼き討ちの際に強奪され、後に返還されたというのが史実のようである』と、今は以下に出る時制よりもさらに前の事実として考えられてようである。
「文保二年」一三一八年。但し、園城寺(三井寺)が常に闘諍を繰り返していた延暦寺と争い、炎上し、比叡山の僧兵がこの鐘を奪って延暦寺に持ち帰ったとされるのは、翌文保三年の誤りである。ただ、これは沾涼の誤りではなく、以下に示す「太平記」の記載の誤りである。
「無動寺」滋賀県大津市坂本本町にある比叡山延暦寺東塔無動寺谷にある塔頭で、千日回峰行の拠点(ここ(グーグル・マップ・データ)。南に園城寺を配した)。無動寺谷には明王堂・建立同上・大乗院・法曼院・弁天堂などがある。東塔の一谷ではあるが別格で「南山」と呼ばれている。無動寺弁天堂があるが、こちらの同地区の解説中の「弁天堂」の画像のキャプションによれば、『相応の回峯修行の際に外護した白蛇弁財天が顕れたという。正月、初巳』、九月に『巳成金(みなるかね)の法要が行われる』とある。本条に登場する小蛇はその変化という設定であろう。
「破𤿎(われめ)」「割れ目」。「𤿎」(音「ヒ・ビ」)は罅に同じい。
『「太平記」ニ見〔みゆ〕』「太平記」の巻第十五の「三井寺合戰幷當寺撞鐘事付俵藤太事」であるが、非常に長い。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここから読めるが、その最後のパートを同リンク先の当該部で電子化しておく。一部で記号等を変更したり、添えたりした。
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文保二年三井寺炎上の時、此の鐘を山門へ取り寄せて、朝夕是れを撞きけるに、敢へて、すこしも鳴らざりける間、山法師共、「憎し、其の義ならば、鳴る樣に撞け」とて、鐘木(しもく)を大きに拵へて、二、三十人立懸りて、「割れよ」とぞ撞きたりける。其の時、此の鐘、海鯨[やぶちゃん注:二字で「くぢら」。]の吼ふる聲を出して[やぶちゃん注:「いだして」。]、「三井寺へゆかむ」とぞ鳴きたりける。山徒、彌[やぶちゃん注:「いよいよ」。]これを憎みて、無動寺の上よりして、数千丈高き岩の上をころばかしたりける間、此の鐘、微塵[やぶちゃん注:「みぢん」。]に碎けにけり。今は何の用にか可ㇾ立[やぶちゃん注:「たつべき」。]とて、その破れ[やぶちゃん注:「われ」。]を取集めて、本寺へぞ送りける。或時、一尺斗りなる小蛇來て[やぶちゃん注:「きたつて」。]、此の鐘を尾を以て扣きたりけるが、一夜の内に、又、本の鐘になりて、疵つける所一も無かりけり。されば今に至るまで、三井寺に有りて此の鐘の聲を聞く人、無明長夜[やぶちゃん注:「むみやうぢやうや」。]の夢を驚かして、慈尊出世[やぶちゃん注:弥勒菩薩が衆生を救うためにこの世に如来となって顕現する時。釈迦の没後五十六万七千万年後(本来は五億七千六百万年が正しいようである)とされる。]の曉を待つ。末代の不思議奇特の事共なり。
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「かた」「片」で一部・破片の意か。
「寛文」一六六一年から一六七三年。本書は寛保三(一七四三)年刊。扇の要といい、沾涼が都市伝説としての効果的な情報を添えているところが上手い。
「璺罅(ひゞきめ)」「璺」も「罅割れ」の意。]