反古のうらがき 卷之一 賊心
○賊心
予が友小野竹崖子が祖父(おふぢ[やぶちゃん注:底本のルビのママ。])の時の事とて語られしは――
……家に久しくつかゆる[やぶちゃん注:ママ。]僕(しもべ)ありける。年も四十をこへ、其質(さが)、正直にして、よくつかへける。
祖父、さりがたき入用(いりよう)の事ありて、
「金子五兩を用立(ようだつ)べし。」
と藏宿(くらやど)にいゝ[やぶちゃん注:ママ。]やりけり。
彼(かの)僕に命じて、
「金子、請取(うけとり)、來(きた)れよ。」
とて遣しけるに、時刻も大に延び、日も暮に及ぶに、歸り來らず。さりとても、此者、中々惡心出(いづ)べき者にあらず。
「必(かならず)、不測(おもはざる)のわざはひにても起りて、手間取(てまどる)事にもや。」
と疑ひけるに、早(はや)、夜も暮六(くれむ)つ過(すぐ)る頃、おもての方(かた)に物音して、つぶやく聲する樣、常に聞覺(ききおぼ)へ[やぶちゃん注:ママ。]たる僕(しもべ)が聲也。
「扨は、歸りけり。」
とて出迎へ、
「何とて、かくは遲かりつるぞ。」
ととへば、僕は物もいはず、狀箱、其(その)あたりしに差置(さしおき)て、しばらく、主人が顏、見詰(みつめ)てありし樣(さま)、いぶかしかりければ、
「如何にや。如何にや。」
ととへば、
「扨々、君は不覺の人よ、すでの事、一大事に及び、君も吾も再び相見ることもならずなりぬべかりしを、吾なればこそ、無事にして濟(すみ)けるよ。」
といふ。
「何事にて有(あり)ける。」
ととへば、
「いや。外の事にあらず。かゝる大金を奴僕(ぬぼく)をして持(も)てあるかしむること、不覺にあらずや。君もしろしめす如く、吾、わらじ、作り、繩、なひて、一年には金二分斗りも餘し侍る。それに給われる[やぶちゃん注:ママ。]祿のうち、少しづつも殘して、一兩づゝも、たくわへり[やぶちゃん注:ママ。]。『これを、六、七年も積(つん)で、在所に歸り、妻子等も少々はゆるやかなるやしなひをもせめ』と思ふこと、年久し。されども思ふ程にもあらで、君が家にあること已に、三、四年に及び、いまだ其事を果さず。かゝれば、
『金五兩もあらんには、僕等が大願は成就すべし。此上、幾年ともなくかくてあらんより、此こがね、持ちて走らんに、何んの子細あらん。』
と思ふより、引立(ひきたて)らるゝよふ[やぶちゃん注:ママ。]に覺(おぼえ)て、故鄕【常陸とか、上野とか。】の方に向ひて走る事、數里、千住といへる宿迄行(ゆき)しが、
『まて。しばし。よくよくおもふに、本意(ほい)なる事にあらず。是迄、恩義深き主人が黃金(こがね)を奪ひて、何地(いづち)へか行(ゆか)ん。』
と、心を改め立締ること、五、六町、又、思ふ、
『さりとて、此期會(きくはい[やぶちゃん注:底本のルビのママ。])【しあわせ[やぶちゃん注:ママ。]】、又とあるべき事にもあらねば、少しの恩義は捨(すて)たり。』
とて、再び、
『得がたき黃金(こがね)にかふるに、何の仔細あらん。』
と、又、立止(たちどま)りて、故鄕の方に向ひて、行けり。
かかりける程に、西の日、後の山の端(は)に入(いる)におどろき、
『扨も主人の待(まち)わび玉ふらん。殊に急用とて「金子かりてこよ」とて出(いだ)し玉ひしを、かゝる時刻迄歸らずば、いかばかりかいぶかり給ふらん。』
と思ふにぞ、又、一足も行(ゆく)事能はず。
『いやいや。それも一時のことぞ。よしよし。』
とて、ゆかんとするに、日も暮果(くれは)て、行方(ゆくかた)いと暗きに、只獨り行(ゆき)つ戾りつすること、五、七度にして、又、思ふ。
『世の中の賊もかゝる處にて心亂るゝより、不義のことども、なすならん。』
とおもへば、
『吾も賊なりけり。昨日迄は人也(なり)。今日よりは賊なり。』
とおもへば、いとかなしくて、
『さりとては、人を惱(なやま)す黃金(こがね)かな。』
とて、其儘、捨(すて)もやりたくおもふものから、
『扨、かゝる物、何とて、かく、ほしと思ひたけるよ。』
と、心のあさましきを自(おのづ)からしりて、今、かく、御家(おいへ)には歸りけるなり。さればこそ、時刻も移り侍るなり。
凡(およそ)奴僕たる物は、みな、吾と同じ心なるべし。黃金(こがね)五ひらといふを見て、心動かぬものはなきものを、うかうかと持(もた)しめ給ふ不覺さよ。殊に要用(いりよう)とあるなれば、常とは事もかわりぬべし[やぶちゃん注:ママ。]。返々(かへすがへす)も不覺の君よ。
吾に逢ひて、仕合(しあわ[やぶちゃん注:底本のルビのママ。])せし給ひけり。
此(これ)以後とも、必々(かならず かならず)奴僕に、黃金、な渡し給ひそよ。」
と、深くいましめて、
「吾も是(これ)にてこゝろおちゐぬ。」
とて、人の上のことの如く言罵(いひののし)りて、部屋に入りて臥(ふし)ぬ。
「嗚呼(おこ)の者よ。」
と打寄(うちより)て笑ひぬれども、其言葉は理(ことわ)りに近ければ、父の代・吾(わが)代に至る迄、語り侍へて戒(いましめ)とは、なし侍る。……
――とて、語り給ひき。
[やぶちゃん注:直接話法が多く、特に下僕の微妙な心の動きを追い易くすために、細かく改行を施した。また、全体がまた、入れ子の会話形式となっていることから、例外的に本文にダッシュとリーダを挿入して改行した箇所がある。なお、これに酷似した話に、「耳囊 卷之三」の「下賤の者は心ありて可召仕(めしつかふべき)事」がある。そちらでは「百両」と二十倍の金額であるが(その方がより強力なリアリティはある。本話の五両は「下僕」が人生晩年の夢を見るには、インフレで一両の価値が下落していた江戸後期では金額として今一つである。たかが五両で儚い夢を見たとするのも逆にリアリティがあるとも言えなくはないが)、そちらも「御藏(くらまい)前取(まへとり)にて御切米(きりまい)玉落(たまおち)ける故、金子」「百兩」「請取(うけとり)に右(みぎ)札差に」「中間」(ちゅうげん)を遣らせる設定であること、横領を謀ったそちらの中間も、一度は「江戸表を立退(たちのき)候(さふらう)心にて、千住(せんじゆ)筋迄至り、大橋を越(こえ)て段々行(ゆき)しが、熟々(よくよく)考(かんがふ)れば……」とあって、逃避行方向が一致し、ロケーションに同じ「千住」まで登場すること、なにより、中間の心内のアンビバレンツの触れ方が、この「下僕」のそれと極めて似た形で激しく極点間で振れ動くことから見ても、これは全く別の話が偶然一致したものとは、私は思えない気さえするのである。「耳囊」の最も新しい記事は筆者根岸鎭衞の没する前年(彼は文化一二(一八一五)年没)までであるが、「耳囊」の第三巻は鈴木棠三氏に検証によれば、天明六(一七八六)年以前の内容と下限の時制の線が引ける。一方、本「反古のうらがき」の成立は嘉永元(一八四八)年から嘉永三(一八五〇)年頃であるものの、本話柄は作者鈴木桃野と恐らくは同年代の友人の祖父が当主であった時の話とするからには、執筆時よりも軽く五十年以上は前の話ととってよかろう。さても「耳囊」のそれと「反古のうらがき」のこれの記事内時制の間は最低で六十二年である。確かにここでは、「予が友小野竹崖子」(事蹟不詳であるが、既に「尾崎狐 第二」に登場している桃野の親友)「が祖父」の体験談として「竹崖」によって語られた実録として記されてあるのであるが、或いはこの二つのよく似た話は同一のソースが元なのではないかと私には思われてならない。実話条件としては、本「反古のうらがき」の方が、人物も話者の縁者であって、作者には実名が知れているわけで、所謂、怪しげな噂話でさえないという肝心な点、また、ショボいけれども五両という信じられる金額である点などから、明らかに「反古のうらがき」に軍配は挙げられる。また、私は「耳囊」版の終り方が、その中間が自ら、『「……かゝる惡心の一旦出(いで)し者、召使ひ給はんもよしなければ、暇(いとま)を給るべし」といひしに、主人も誠(まつこと)感心して厚く止(とど)め召仕(めしつか)ひけると也』という如何にもな大団円の幕を引いている辺りに、実は逆に、強い作話性の跡を嗅ぎつけているとも謂い添えておきたい。
「つかゆる」「仕へる」であろう。
「僕(しもべ)」「下僕」。桃野の友人の小野の家は明らかに武士と考えてよく、とすれば、武家の下僕は「耳囊」の「中間」である。
「さりがたき」火急の、のっぴきならない金子の必要。
「藏宿」浅草蔵前(くらまえ)に店(たな)を張って、旗本・御家人の蔵米(くらまい)を受取り、その売買を行なった「札差」や(先の「耳囊」の原文と設定と参照)、大坂で回米の水揚げから納入までを引受ける「納宿(おさめやど)」のことをこう呼んだ。
「金子、請取(うけとり)、來(きた)れよ。」「金子、確かにしっかりと受け取って、気をつけて帰って参れ。」。
「時刻も大に延び」時間が意想外に経って。
「暮六(くれむ)つ」定時法で午後六時頃。
過(すぐ)る頃、おもての方(かた)に物音して、つぶやく聲する樣、常に聞覺(ききおぼ)へ[やぶちゃん注:ママ。]たる僕が聲也。
「其(その)あたりしに差置(さしおき)て」「し」は文節強調の副助詞。「そのあたりにしも差し置きて」。自分の座っている近くに、その五両が入った文箱を、ぽんと置いたまま。異常に遅れてやっと帰ったのであるから、遅延の弁解をしつつ、主人に文箱を恭しく差し上げるのが普通なのに、という感じである。以下の「しばらく、主人が顏、見詰(みつめ)てありし樣(さま)」と相俟って、映像的効果がすこぶるよく出ているシーンである。
「如何にや。如何にや。」「どうした? 何があったのじゃ!?」。
ととへば、
「君」主人。小野竹崖の祖父。
「何事にて有(あり)ける。」「どういうことじゃッツ?!」。前の下僕の台詞が、かなり不遜なだけに、ここは、竹崖の祖父、かなり気色ばんで言っているととった方がよい。
「金二分」金一両は金四分(ぶ)。幕末期だと、現在の一万五千四百三十八円相当となるようだ。
「五、六町」五百四十六メートルから六百五十五メートル弱。
「期會(きくはい)【しあわせ】」「機會【幸(しあは)せ。】」。
「ものから」近世には誤って順接の確定条件(~なものだから)として使用されたが、ここは正規表現の逆接の確定条件で採る。「この五両を路傍に捨ててしまいたいとさえ、思ったので御座いますが、」。
「ほし」「欲し」。欲しい。
「殊に要用(いりよう)とあるなれば、常とは事もかわりぬべし」特に、危急の御用立ての金子となればこそ、普段とは格段に扱いが格別であるべきものにて御座いましょうに。「返々(かへすがへす)も不覺の君よ」の台詞が主人の心に確かに響く。この「下僕」、なかなかに鋭い。
「吾も是(これ)にてこゝろおちゐぬ。」私(わたくし)めも、まず、ここいらで、心が落ち着いて参りました。
「言罵(いひののし)りて」吐き捨てて。
「嗚呼(おこ)の者よ。」「何とまあ、正直に馬鹿のつく、愚かな奴じゃ!」。]
« 反古のうらがき 卷之一 物のうめく聲 | トップページ | 小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(53) 忠義の宗敎(Ⅰ) »