和漢三才圖會第四十二 原禽類 白雉(しらきじ)
しらきじ
白雉
△按白雉形狀不異而白色頰紅自有雌雄然不多近年
間來於異國而養于樊中惟愛其美耳
日本紀孝德天皇大化六年穴戸國【今云長門】獲白雉獻之
是休祥也故以年號改白雉元年
高麗雉 來於朝鮮狀類雉而光彩最美麗頸有白環紋
彼地亦以爲珍凡養雉正月餌蜥蜴則好交生卵使雞
孚之捕其蜥蜴者繫蠅於髮𢳄地邊則蜥蜴出於穴
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しらきじ
白雉
△按ずるに、白雉は形-狀〔(かたち)〕、異ならずして、白色。頰、紅なり。自〔(おのづか)〕ら雌雄有りて、然〔しか〕も、多からず。近年、間(まゝ)異國より來りて樊〔(かご)の〕中に養ふ。惟だ、其の美を愛するのみ。
「日本紀」孝德天皇大化六年に穴戸國【今、云ふ、長門。】より、白雉を獲り、之れを獻ず。是れ、休祥〔(きうしやう)〕なり。故に年號を以つて白雉元年に改む。
高麗雉 朝鮮より來たる。狀、雉に類して、光彩、最も美麗なり。頸、白き環(わ)の紋(もん)有り。彼の地にも亦、以つて珍と爲す。凡そ、雉を養ふに、正月、蜥蜴(とかげ)を餌(ゑ)とすれば、則ち、好く交(つる)みて卵を生ず。雞〔(にはとり)〕をして之れを孚〔(かへ)〕らしむ。其の蜥蜴を捕ふには、蠅を髮に繫(つな)ぎ、地邊を𢳄(ひきず)れば、則ち、蜥蜴、穴より出づ。
[やぶちゃん注:冒頭で結論を出してしまうと、私は前条の、
キジ目キジ科キジ属キジ Phasianus versicolor の亜種類のアルビノ(albino:白化個体)
或いは、当時、長崎を経由して舶来してきた、大陸産の、
キジ目キジ科キジ属コウライキジ Phasianus colchicus のアルビノ
か、同様に齎された、本邦のキジに体型が酷似した、大陸産の、
キジ科
Phasianidae の仲間のアルビノ
と考える。無論、本邦産のキジのアルビノは稀ではある。が、ネット上で画像や動画を調べると、結構、本邦での彼らを見ることが出来るのである。さて、附記されている「高麗雉」(同種の多くの亜種には首に白い輪状の模様があるのが特徴であり、頬は赤い。但し、基準種Phasianus
colchicus colchicusにはこの白い首輪状模様はない。自然分布はカスピ海地方から朝鮮半島にかけてと考えられているが、古くから狩猟鳥として親しまれたため、世界各地に人為的に移入されており、参照したウィキの「コウライキジ」によれば、『対馬と瓜島には、すでに中世に朝鮮半島から移入されていたとされる』とある)に着目する方もあろう。何で、こんなところに添えるんだろうという疑問から、良安の言う「白雉」はコウライキジなのじゃないかと思う方もいるのではないか? そうさ、コウライキジが「白雉」だとする見解を示しておられる方は実際に、いる。雉は流石に国鳥だ。白い雉についてマニアックに記しておられる人は、予想外に多いのであるが、例えば、個人ブログ「樹樹日記」の「白いキジと黒いキジ」を読まれたい。要点を記すと、「魏志倭人伝」の中に「この国には黒い雉がいる」という記述があり、これは『日本の鳥に関する最古の』対象が雉であることになること、そして「魏志倭人伝」の記者が『日本のキジを「黒い」と感じるのは、中国大陸のキジ(コウライキジ)と比べて』「白い」と感じたのであり、『コウライキジを見慣れている中国人が日本のキジを見て「黒い」と感じるのは不思議では』ない、『逆に言えば、日本のキジを見慣れている日本人にはコウライキジが白く見えるはず』だとされ、『「白雉」という元号は白化個体ではなく』、『コウライキジに由来するのではないか』、『朝鮮半島から対馬あたりにコウライキジが移入され、それが今の山口県の国司に渡り、さらに朝廷に献上されたのではない』か、という推論も示しておられるのである。私は最後の改元推理の部分には賛同出来ないものの、前半の解釈は共感出来る。しかし、これは「魏志倭人伝」の「黒雉」とその認識の内側に措定されてある「白雉」を考察するという条件下に於いての共感である。何故なら、もし、この良安の「白雉」が「コウライキジ」そのものなのだとするならば、良安が「白雉は形-狀〔(かたち)〕、異ならずして、白色。頰、紅なり」(言っておくと、「本草綱目」には「白雉」はないから、この項のメインの「白雉」のパートは良安のオリジナルなものである。さすれば、この謂いは良安が実際に「白雉」を実見して書いたものと考えるべきである)とは、絶対に書かないと信ずるからである。私は既に「和漢三才図会」の動物類を十三巻ばかり電子化注してきた。原文を基本、生でタイピングする作業の中で、良安の観察眼については、一般人よりはずっと理解しているつもりである。無論、時に彼の観察には杜撰なところも散見されるが、しかし、博物学者としての鋭さはしっかり持っている。その良安が、本邦のキジより、多色刷り図鑑により相応しい明るい多彩色の、白い首輪模様をしたコウライキジを見たとしても、彼は決して「白色。頰、紅なり」とは書かない。ちゃんと「高麗雉」のところにある通り、「雉に類して、光彩、最も美麗なり。頸、白き環(わ)の紋(もん)有り」と記すのである。則ち、この「白雉」の項を立てて、そこにその仲間っぽいものとして良安が「高麗雉」を追記したことを考えても、「白雉」と「高麗雉」は少なくとも良安の中では、やはり全然、別種として観察されたということなのである。ただ、良安はここで、「近年、間(まゝ)異國より來りて樊〔(かご)の〕[やぶちゃん注:「樊」には「鳥籠」の意がある。]中に養ふ。惟だ、其の美を愛するのみ」と言っておいて、後に「高麗雉」の項を添えたからには、この「白雉」がコウライキジのアルビノである可能性はかなり高くはなることは事実であるように思われはする。
時に、本邦の「白雉」の記載はどうなのか? これも私には足元にも及ばぬような、フリークがいらっしゃった。Seikuzi氏のブログ「不思議なことはあったほうがいい」の「白雉(はくち)」である。これはもう必見の要保存で、実に古文献から二十例を調べ上げておられ、そこでの白雉の発見地は北九州(筑前・大宰府・壱岐等)で六例、畿内とその近郊(但馬・美作・丹波・山城等)で六例、武蔵国を中心とした東国信越(陸奥・越中・飛騨等)で六例とあって、ブログ主も驚いておられる通り、本邦内で均等に見出されてあるのである。東国信越は本邦産のキジのアルビノであると考えてよく、これは寧ろ、古えにあっても本邦の各所で白い雉は目撃されていた確かな証拠なのである。
『「日本紀」孝德天皇大化六年に穴戸國【今、云ふ、長門。】より、白雉を獲り、之れを獻ず。是れ、休祥なり。故に年號を以つて白雉元年に改む』西暦六五〇年。「日本書紀」の原文は、個人サイト「みかえりの里 In ほっちゃ」の「白雉伝承について」を参照されたい。「休祥」(きゅうしょう)の「休」は「目出度い」の意で「よい前兆・吉兆」の意。
「𢳄」「旋」の異体字。「長く引きずる」の意。]