甲子夜話卷之五 9 大猷廟薨後、齋藤攝津守於日光詠歌
5-9 大猷廟薨後、齋藤攝津守於二日光一詠歌
慶安四年、猷廟の靈柩を日光山に遷し奉り、御法會等事畢り、諸有司皆歸府せんとて山を出るとき、折ふし五月雨晴間も無りしかば、御側衆にて番頭兼帶せる齋藤攝津守三友、かくぞ吟じける。
君まさで日數ふりゆくさみだれの
雨も淚もわかれざりけり
さまでの佳調には非れども、時に取りて實情を述たるなれは、百年の後も人の感情を發する歌なり。
■やぶちゃんの呟き
「大猷廟」徳川家光。
「齋藤攝津守」「三友」(慶長一八(一六一三)年~承応三(一六五四)年)。家光の乳母春日局の甥とする記載があったぎりで、詳細事蹟不詳。歌を得意としたものか、当時の幾つかの歌集に名を見出せる。
「慶安四年」一六五一年。
「五月雨晴間も無りしかば」「さみだれ、はれまも、なかりしかば」。
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