和漢三才圖會第四十二 原禽類 野鷄(きじ きぎす)
きじ 雉【音 】 華蟲【尚書】
きゞす 䟽趾【曲禮】
迦頻闍羅【梵書】
野鷄
ヱ、キイ 【和名木々須
一云木之】
本綱雉形大如雞而斑色繡翼雄者文采而尾長雌者文
暗而尾短其性好闘其名曰鷕【音杳】其交不再其卵褐色將
卵時雌避其雄而潜伏之否則雄食其卵也月令仲冬雉
始雊謂陽動則雉鳴而勾其頸也其飛如矢一徃而墜故
字從矢雉屬☶離火雞屬巽木故煑之雞冠變雉冠紅也
雉肉【酸微寒】 食品之貴然有小毒不可常食損多益少春
夏不可食爲其食蟲蟻及與蛇交變化有毒也【胡桃木耳菌葱蕎麥
不可合食】月令云十月雉入大水爲蜃【蜃者大蛤】埤雅云蛇交雉則
生蜃【蜃者蛟屬】或云正月蛇與雉交生卵遇雷入土數丈爲蛇
形經二三百年成蛟飛騰若卵不入土乃爲雉耳【蓋蜃同字而大
異物也詳各其條下】
夫木 ききす鳴くあしたの原を過行はさわらひわたりほろろうつなり
經家
△按雉卽野鷄處處多有之東北産最佳雄者頂有雙角
毛頭頸胸腹翠黑色有光頰眼紅觜蒼而尖背翮彩斑
色腰有長緑毛尾長有文采翅短而蒼黑斑脛掌亦似
雞而勁雌者黃赤黑斑而文暗尾短
春月伏卵於叢中雄不離去其近邊狐狸狼犬或人至
則頻翥鳴此愛情之所然也本綱所謂雄食其卵者與
此相反矣又春月山人燒野火既欲至伏卵處時雌先
張翅而仰臥于地雄來啣數卵置雌之翅之内而後雄
啣雌之觜急引退以避火是雉之性自然之智也雉欲
潜人則藏首見尾却爲人易獲焉是亦自然之愚也蛇
與雉欲相食之而雉啄蛇頭蛇却卷雉也數匝雉畧張
翅見纏而急翥鷕則蛇身斷落而後悉啄之也弱雉者
乃隨其纏而窄翅故不得翥而終死焉蛇悉食之也蓋
蛇交雉生蛟龍之説雖出於諸書難信未知是非疑着
蛇卷雉以爲交乎
理學類篇云植雉尾於車上以候雨晴天將雨則先埀
向下終晴便直立
*
きじ 雉【音[やぶちゃん注:欠字。]】
きゞす 華蟲【「尚書」。】
䟽趾〔(そし)〕【「曲禮」。】
迦頻闍羅〔(かびんじやら)〕【梵書。】
野鷄
ヱ、キイ 【和名、「木々須」。
一つに「木之」とも云ふ。】
「本綱」、雉の形・大いさ、雞〔(にはとり)〕のごとくして、斑色〔(まだらいろ)〕、繡翼〔(しうよく)〕。雄は文采〔(もんさい)〕ありて、尾、長く、雌は、文〔(もん)〕、暗にして、尾、短く、〔→短し。〕其の性、好んで闘ふ。其れを名づけて「鷕〔(ほろろうつ)〕」【音、「杳〔(エウ)〕」。】曰〔(い)〕ふ。其れ、交(つる)び、再たびせず。其の卵、褐色。將に卵をする時、雌、其の雄を避(さ)けて潜かに之れを伏す。否(しからざ)るときは、則ち、雄、其の卵を食ふなり。「月令〔(がつりやう)〕」に、『仲冬、雉、始めて雊(さか)る』〔と〕。謂〔(いはゆ)〕る陽動するときは、則ち、雉、鳴きて其の頸を勾〔(まぐ)〕るなり。其れ、飛ぶこと、矢のごとく、一たび徃〔(ゆき)〕て墜つ。故に、字、「矢」に從ふ。雉は☶〔(こん)〕・離・火に屬し、雞は巽〔(そん)〕・木に屬す。故に、之れを煑る〔ときは〕、雞は、冠〔(さか)〕、變じ、雉、冠、紅(あか)し。
雉肉【酸、微寒。】 食品の貴なり。然れども、小毒、有り、常に〔は〕食ふべからず。損、多く、益、少なし。春・夏は食すべからず。其れ、蟲・蟻を食ひ、及び、蛇と交(つる)み變化して、毒有るが爲めなり。【胡桃(くるみ)・木耳(きくらげ)・菌(くさびら)・葱・蕎麥、合〔(あ)〕ひ食すべからず。】「月令」に云はく、『十月、雉、大水に入り、蜃〔(シン)〕と爲る』〔と〕【蜃とは大蛤〔(おほはまぐり)なり〕。】。「埤雅〔(ひが)〕」に云はく、『蛇と雉と交むときは、則ち、蜃を生ず』〔と〕【〔この〕蜃とは蛟〔(みづち)〕の屬〔なり〕。】。或いは云はく、『正月、蛇と雉と、交みて卵を生ず。雷に遇ひて、土に入るること、數丈、蛇の形と爲り、二、三百年を經て、蛟(みづち)と成り、飛び騰(あが)る。若〔(も)〕し、卵、土に入らざれば、乃〔(すなは)ち〕、雉と爲るのみ【蓋し、「蜃」、同字〔なれども〕、大きに異なる物なり。各々、其の條下に詳かなり。】。
「夫木」
きぎす鳴くあしたの原を過ぎ行けばさわらびわたりほろろうつなり
經家
△按ずるに、雉、卽ち、野鷄〔(やけい)〕なり。處處、多く之れ有り。東北産、最も佳なり。雄は頂きに雙〔(ならび)〕たる角毛、有り。頭・頸・胸・腹、翠黑(みどり〔ぐろ〕)〔き〕色〔にして〕、光り有り。頰・眼、紅〔(くれな)〕い[やぶちゃん注:ママ。]に、觜、蒼くして尖り、背の翮(はね)、彩斑(いろどりまだら)〔の〕色〔たり〕。腰に長き緑毛有り。尾、長くして文采〔(もんさい)〕有り。翅(つばさ)、短くして蒼黑斑〔(あをぐろまだら)〕なり。脛・掌も亦、雞に似て、勁(つよ)し。雌は黃赤黑斑〔(わうせきくろまだら)〕にして、文〔(もん)〕、暗く、尾、短し。
春月、卵を叢中に伏せ、雄、其の近邊を離れ去らずして、狐・狸・狼・犬或(もしく)は人、至るときは、則ち、頻りに翥(はう)つて、鳴く。此れ、愛情の然〔(しか)〕る所なり。「本綱」に所謂(いふところ)の、雄、其の卵を食すといふは、此れと相ひ反す。又、春月、山人、野を燒く火、既に卵を伏す處に至らんと欲(す)る時、雌、先づ、翅を張りて仰(あふぎ)て地に臥す。雄、來つて、數卵を啣(ふく)み、雌の翅の内に置きて、而〔る〕後、雄、雌の觜を啣〔(くは)〕へ、急に引き退〔(しりぞ)〕き、以つて火を避く。是れ、雉の性、「自然の智」なり。雉、人に潜〔(かく)れ〕んと欲〔(す)〕るときは、則ち、首を藏〔(かく)〕して、尾を見〔(あら)〕はす。却つて、人の爲めに、獲(と)られ易〔(やす)〕からしむ。是れ亦、「自然の愚」なり。蛇と雉と、之れを相ひ食はんと欲すれば、雉、蛇の頭〔かうべ〕を啄(つゝ)く。蛇、却つて雉を卷くことや、數匝〔(すうそう)〕、雉、畧(ち)と翅を張りて纏(まと)はり見る。而して、急に翥鷕(ほろゝう)つときは、則ち、蛇の身、斷落〔(だんらく)〕す。而して後〔(のち)〕、悉く、之れを啄むなり。弱(わか)き雉は、乃〔(すなは)〕ち、其の纏ふ隨ひて翅を窄(すぼ)める故、翥(ほろう)つことを得ず、終〔(つひ)〕に死す。蛇、悉く、之れを食〔(は)〕むなり。蓋し、蛇、雉に交(つる)みて蛟龍〔(かうりう)〕生ずるの説、諸書に出づると雖も、信じ難し。未だ是非を知ら〔ざれども〕、是れ、疑ふらくは、蛇、雉を卷〔(ま)き〕て着きて、以つて、交(つる)むと爲〔(す)〕るか。
「理學類篇」に云はく、『雉の尾を車の上に植(た)てゝ、以つて雨晴を候〔(うらな)〕ふ。天、將に雨〔(あめふ)〕らんとす。則ち、先(さ)き埀れて、下に向ふ。終〔(つひ)〕晴るるときは、便〔(すなは)ち〕、直〔(まつす)〕ぐに立つ。』〔と〕。
[やぶちゃん注:キジ目キジ科キジ属キジ Phasianus versicolor Vieillot, 1825 であるが(現在、学名を Phasianus colchicus とする主張もある)、ウィキの「キジ」によれば、本邦には、
Phasianus versicolor versicolor Vieillot, 1825 キュウシュウキジ(分布(以下同じ):本州南西部・九州・五島列島)
Phasianus versicolor robustipes Kuroda, 1919 キジ(本州北部・佐渡島)
Phasianus versicolor tanensis Kuroda, 1919 シマキジ(本州の伊豆半島・紀伊半島・三浦半島、及び伊豆大島・種子島・新島・屋久島)
Phasianus versicolor tohkaidi Momiyama, 1922 トウカイキジ(本州中部・四国)
がいるとしながらも、現在ではこれらの交雑が進んで、亜種の区別が明瞭でなくなりつつあって、本来の純亜種自体の絶滅を危惧する向きもあるとした上、さらに、大陸産で本来は本邦にいなかったキジ属コウライキジ Phasianus colchicus が人為移入されて、その交雑種も既に見られることが記されてある。「雉」は日本の国鳥である。種小名 versicolor は、ラテン語で「色変わりの」を意味』する。全長はオスで八十一センチメートルほどで、メスが五十八センチメートルほど。翼開長は凡そ七十七センチメートル、体重はオスで八百グラムから一・一キログラム、メスで六百から九百グラムである。『オスは翼と尾羽を除』いて『体色が全体的に美しい緑色をしており、頭部の羽毛は青緑色で、目の周りに赤い肉垂がある。背に褐色の斑がある濃い茶色の部分があり、翼と尾羽は茶褐色。メスは全体的に茶褐色』を呈する(但し、上記の交雑によってこうした特徴に有意な乱れが生じている)。『山地から平地の林、農耕地、河川敷などの明るい草地に生息し』、『地上を歩き、主に草の種子、芽、葉などの植物性のものを食べるが、昆虫やクモなども食べる』。『繁殖期のオスは赤い肉腫が肥大し、縄張り争いのために赤いものに対して攻撃的になり、「ケーン」と大声で鳴き』、『縄張り宣言をする』。『その後』、『両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音を立てる動作が、「母衣打ち(ほろうち)」と呼ばれる』。『メスは「チョッチョッ」と鳴く』。『子育てはメスだけが行う』。『地面を浅く掘って枯れ草を敷いた巣を作』り、四~七月に六~十二個の『卵を産む』。『オスが縄張りを持ち、メスは複数のオスの縄張りに出入りするので』、『乱婚の可能性が高い。非繁殖期には雌雄別々に行動する』。『夜間に樹の上で寝る』。『飛ぶのは苦手だが、走るのは速』く、スピード・ガンによる測定では時速三十二キロメートルの記録があるという。また『人体で知覚できない地震の初期微動を知覚できるため、人間より数秒速く』、『地震を察知することができる』ともされる。
「きゞす」古語では「雉子」で「きぎす」「きぎし」であるが、語源ははっきりしない。「日本国語大辞典」によれば、「きぎ」は鳴き声の「けんけん」「けいけい」「きんきん」「ききん」などの訛ったもので「し」は鳥の称呼に用いる辞とする説(「す」はけたたましく鳴く雄(おす)の「す」とする別説もある)、賢い鳥であることから「聞き知り鳥」の義とする説、性質が荒いことから激しいの意の古語「けげし」(私はこんな古語は知らない)の義とするもの、野にあって春を掌る「木蛬(きぎす)」(「蛬」はコオロギとかキリギリスで秋を伝える彼らの声を対応させたものか)だという判ったような判らぬ説が載る。まあ、鳴き声由来かな、とは私は思う。なお、平安時代に既に「きじ」の呼称は一般化しており、「きぎす」は殆んど和歌にしか用いられなくなっていた、と小林祥二郎氏の論文「雉 ―季語遡源―」(小山工業高等専門学校研究紀要」第二十一号・PDF)にあった。
「尚書」五経の「書経」の古称。伝孔子編。尭・舜から周までの政論や政教を集めたもの。「書経」と呼ばれるようになったのは宋代以降。
「䟽趾」後に出る「埤雅」(ひが:宋代の文人政治家陸佃(りくでん 一〇四二年~一一〇二年)の著わした訓詁学書)の「雉」には、『指間に幕無し。其の足は䟽なり。故に䟽趾と曰ふ』(引用は加納喜光氏の「埤雅の研究-中国博物史の一斑-」の「雉」に拠った)とあり、加納氏は『「䟽」は「疏」の誤りであると思われる』と校記で記しておられ、とすれば、「疏」は「塞がっていた対象を切り開いて通す」であるから、蹼のような膜がない後肢の趾(あしゆび)の意で、腑に落ちる。
「曲禮」五経の一つ「礼記(らいき)」の巻頭にある篇名。古い礼の定めを細かに雑記したもの。
「迦頻闍羅〔(かびんじやら)〕」読みは東洋文庫訳のルビを参考に振った。中国の仏典や本草書に出る雉類の旧称。
「繡翼」刺繡を施したような煌びやかな翼の謂いらしい。
「文采」多彩な紋様。
「其の性、好んで闘ふ」前の文が切れていないので、雌がそうだという風に読めてしまうが、闘争心が激しいのは♂であるから、おかしいので、補正注を本文に入れた。
「鷕〔(ほろろうつ)〕」(音は現代仮名遣で「ヨウ」)東洋文庫訳のルビが面白いので援用したが、この漢字は本来は「雌(♀)の雉が雄(♂)を求めて鳴く」の意である。「ほろろうつ」というのは古語で「雉が羽ばたきをする・羽ばたきをして鳴く」の意であり、先のウィキの中に出る「母衣打(ほろう)ち」と同じことである。後に出る「翥鷕(ほろゝう)つ」も同じ。
「交(つる)び、再たびせず」交尾は一度しかしない。しかし、先の引用で、♀は複数の♂の縄張りに平気で出入りすることから、『乱婚の可能性が高い』とあったよね。愚かなるはブイブイ言わせてる♂ということか。
「月令」「礼記」の「月令」(がつりょう)篇(月毎の自然現象・古式行事・儀式及び種々の農事指針などを記したもの。そうした記載の一般名詞としても用いる)。『雁北鄉、鵲始巢。雉雊、雞乳』と載る。「雊(さか)る」というこの「雊」自体が「雉が鳴く」の意である。
「陽動する」陽の気が活動を始める。
「勾〔(まぐ)〕る」曲げる。
「其れ、飛ぶこと、矢のごとく、一たび徃〔(ゆき)〕て墜つ。故に、字、「矢」に從ふ」この解字は思わず、膝を打ってしまうが、実際には「矢」は矢の仲間の「矰繳(いぐるみ)」と呼ばれるもの、「射包(いくる)み」ではあるが(甲骨文では「矢」ではなく「夷」)、これは逆に、飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛けで、矢に網や長い糸をつけて当たるとそれが絡みつくようにしたものであり、それで鳥一般を捕獲する意味が原義であった。それが、捕獲する雉に転用されたに過ぎない。
「☶〔(こん)〕」八卦の「艮(こん)」。
「離」八卦の一つ。
「巽〔(そん)〕」☴。「雞」に出た。
「冠〔(さか)〕」鶏冠(とさか)。
「貴」貴重。
「損、多く、益、少なし」総体的に見ると、食用することによる各種の障害が結果的に多く、補益する効果が極めて限られており、処方としては益が少ない。
「菌(くさびら)」茸(きのこ)。
「大蛤〔(おほはまぐり)」蜃気楼を吐くとされる伝説上の巨大な二枚貝。
「蛟〔(みづち)〕」ウィキの「蛟龍」によれば、『中国の竜の一種、あるいは、姿が変態する竜種の幼生(成長の過程の幼齢期・未成期)だとされる』。『日本では、「漢籍や、漢学に由来する蛟〔コウ〕・蛟竜〔コウリュウ〕については、「みずち」の訓が当てられる。しかし、中国の別種の竜である虬竜〔キュウリュウ〕(旧字:虯竜)や螭竜〔チリュウ〕もまた「みずち」と訓じられるので、混同も生じる。このほか、そもそも日本でミズチと呼ばれていた、別個の存在もある』(ここで言う本邦での「みずち」(古訓は「みつち」)は水と関係があると見做される竜類或いは伝説上の蛇類又は水神の名である。「み」は「水」に通じ、「ち」は「大蛇(おろち)」の「ち」と同源であるともされ、また、「ち」は「霊」の意だとする説もある。「広辞苑」では「水の霊」とし、古くからの「川の神」と同一視する説もあるという)。『ことばの用法としては、「蛟竜」は、蛟と竜という別々の二種類を並称したものともされる。また、俗に「時運に合わずに実力を発揮できないでいる英雄」を「蛟竜」と呼ぶ。言い換えれば、伏竜、臥竜、蟠竜などの表現と同じく、雌伏して待ち、時機を狙う人の比喩とされる』。荀子勧学篇は、『単に鱗のある竜のことであると』し、述異記には『「水にすむ虺(き)は五百年で蛟となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で応竜となる」とある。水棲の虺』は、一説に蝮(まむし)の一種ともされる。「本草綱目」の「鱗部・龍類」によれば(以下、最後まで注記番号を省略した)、『その眉が交生するので「蛟」の名がつけられたとされている。長さ一丈余』(約三メートル)『だが、大きな個体だと太さ数囲(かかえ)にもなる。蛇体に四肢を有し、足は平べったく盾状である。胸は赤く、背には青い斑点があり、頚には白い嬰』(えい:白い輪模様或いは襞(ひだ)或いは瘤の謂いか?) 『がつき、体側は錦のように輝き、尾の先に瘤、あるいは肉環があるという』。但し、蛟は有角であるとする「本草綱目」に反して、「説文解字」の『段玉裁注本では蛟は「無角」であると補足』して一定しない。「説文解字」の小徐本系統の第十四篇によれば、「蛟竜屬なり、魚三千六百滿つ、すなわち、蛟、これの長たり、魚を率いて飛び去る」(南方熊楠の「十二支考 蛇に關する民俗と傳説」から私が改めて引用した)『とある。原文は「池魚滿三千六百』『」で、この箇所は、<池の魚数が』三千六百『匹に増えると、蛟竜がボス面をしてやってきて、子分の魚たちを連れ去ってしまう、だが「笱」』(コウ/ク:魚取り用の簗(やな)のこと)『を水中に仕掛けておけば、蛟竜はあきらめてゆく>という意』が記されてあるそうである。「山海経」にも『近似した記述があり、「淡水中にあって昇天の時を待っているとされ、池の魚が二千六百匹を数えると蛟が来て主となる」とある。これを防ぐには、蛟の嫌うスッポンを放しておくとよいとされるが、そのスッポンを蛟と別称することもあるのだという』。更に時珍は「本草綱目」で『蛟の属種に「蜃」がいるが、これは蛇状で大きく、竜のような角があり、鬣(たてがみ)は紅く、腰から下はすべて逆鱗となっており、「燕子」を食すとあるのだが、これは燕子〔つばくろ〕(ツバメ)詠むべきなのか、燕子花〔カキツバタ〕とすべきなのか。これが吐いた気は、楼のごとくして雨を生み「蜃楼」(すなわち蜃気楼)なのだという』。『また、卵も大きく、一二石を入れるべき甕のごと』きものである、とする。
「數丈」一丈は三・〇三メートル。六掛けで十八メートル前後か。
「きぎす鳴くあしたの原を過ぎ行けばさわらびわたりほろろうつなり」は「正治初度百首(正治二年十一月二十二日(一二〇〇年十二月二十九日)附)及び「夫木和歌抄」の巻五の「春五」に載る、藤原経家(久安五(一一四九)年~承元三(一二〇九)年)の一首。
「雉、卽ち、野鷄〔(やけい)〕なり」現行、キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ属 Gallus がおり、この中のセキショクヤケイ(赤色野鶏)Gallus gallus を家畜化したものが、現在のセキショクヤケイ亜種ニワトリ Gallus gallus domesticus とされいるが、キジ亜科ではあっても、キジ属 Phasianus とは異なるので、この謂いは正しくない。
「翠黑(みどり〔ぐろ〕)〔き〕色〔にして〕」なるべく不自然でない読み方にしようと手を加えているが、この条では良安は非常に珍しく、斑紋を含んだ複雑な羽色をこれまた連続した複雑な熟語で表現している。或いは、総てを音読みしている可能性もあるのかも知れないが、四字連続を音で読むのは、如何にも佶屈聱牙なので、避けた。しかし、よく見ていると、確かに実際の色や斑紋が確かに目に浮かんでくるから、不思議だ。
「翮(はね)」良安は前に「羽-翮(はがひ)」という訓も振っている。「はがひ」は狭義には、鳥の左右の羽の畳んだ際に重なる部分を指すが、前もそうだったが、ここも全体の羽の謂いで用いている。
「彩斑(いろどりまだら)」東洋文庫版のルビを援用した。繊細な彩色と端正な斑紋の謂いであろう。
「翥(はう)つて、鳴く」羽ばたきながら、鳴く。
「數匝〔(すうそう)〕」「匝」はこの場合、数詞で、原義の「周囲をぐるりと一回りする」という意から、回る度数を数えるそれとして使用している。
「畧(ち)と」少し。
「斷落〔(だんらく)〕す」巻きついた蛇の体が寸々に截ち切れて、ばらばらと落ちる。
「是れ、疑ふらくは、蛇、雉を卷〔(ま)き〕て着きて、以つて、交(つる)むと爲〔(す)〕るか」快哉! 良安先生!
「理學類篇」明の張九韶(ちょうきゅうしょう)撰。一三八四年刊。東洋文庫版の書名注によれば、『先学の説や自説によって、天地・天文・地理など』、『七類について弁じた書』とある。]