諸國里人談卷之五 玉嶋川鮎
○玉嶋川鮎(たましまのかはのあゆ)
肥前國松浦(まつらの)郡浮島(うきしま)と玉嶋川の間、一里ばかりに松原あり。神功皇后、異國退治の時、此所に釣を垂(たれ)給ひ、「今度、勝利を得るならば、魚、餌(ゑ)を食すべし」と也。既にして多くの年魚(あゆ)を得給ふ。皇后曰〔いはく〕、「希見(めづら)もの也」と。よつて其所を「梅豆經(めづら)」といふ。今、松浦(まつら)の事也。其玉座(ぎよくざ)の石、今に、あり。此石の邊に、年魚(あゆ)、多くありて、女、釣すれば、多く得(うる)。男、釣すれば、曽(かつ)て得ず。
[やぶちゃん注:このロケーションは現在の佐賀県唐津市浜玉町南山にある、本伝承に基づいてある「万葉垂綸石(すいりんせき)公園」附近である。ここ(グーグル・マップ・データ)。「旅館 洋々閣」の「女将のご挨拶」の「若鮎釣る松浦の川波 神功皇后伝説」に詳しい。私は永く「松浦」で何故、「まつら」なのかどこか引っ掛かっていたが、これは腑に落ちたが、しかし、それが正しい地名由来かどうかはこれまた、留保せざるを得ぬ。]