ブログ1120000アクセス突破記念 梅崎春生 犯人
[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年三月号『改造』初出。後の作品集「馬のあくび」(昭和三二(一九五七)年一月現代社刊)に所収された。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第六巻」(昭和六〇(一九八五)年刊)を用いた。
幾つかについて、最初に注しておく。短くて済むものは本文中に入れ込んだ。
冒頭の短いシークエンスのロケーション、主人公が転がり込む友人のいる百姓屋のある「稲田堤」(いなだづつみ)は、神奈川県川崎市多摩区のJR東日本南武線稲田堤駅及び京王電鉄相模原線京王稲田堤駅周辺を指す地域名。町名としては南武線稲田堤駅が所在する菅稲田堤(すげいなだづつみ)が残る。この附近(グーグル・マップ・データ)。梅崎春生の随筆「日記のこと」にも登場するように、彼の実体験に基づくものである。梅崎春生自身、敗戦の一ヶ月後の昭和二十年九月に上京した際、川崎の稲田登戸の友人の下宿に同居している(現在の神奈川県川崎市多摩区登戸。現在の小田急電鉄小田原線の「向ヶ丘遊園駅」は昭和三〇(一九五五)年四月に改称されるまでは「稲田登戸駅」であった。ここ(グーグル・マップ・データ)。南武線登戸駅は南武線稲田堤とは二駅しか離れていない)。そうして、かの名作「桜島」(リンク先は私の電子化注PDF版。分割の連載形式のブログ版はこちら)は、まさにこの稲田登戸で書かれたのである(春生の「八年振りに訪ねる――桜島――」を参照のされたい)。
「八八」は花札遊びの一種で、「江戸花」「東京花」の異称があり,特に関東で普及している。八八の名は花札の総点数が二百六十四点で,一人平均八十八点になることに由来する。三~四人で行い、場札六枚、手札各自七枚、残りは場の山にして始める。四人の場合は手札の状態により、一人、棄権できる。まず、親から場にある札と手札を合せて取り、次いで山札の一枚をめくって場に出す。場札とめくり札が同種の場合は取ることが出来る。このようにしてゲームを進め、取った札の組合わせによる出来役と持ち札の組合せによる手役の合計点で勝ちを決める。役は地方によって異なる。普通は勝負前に役の取決めを選択して行う(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「オイチョカブ」は主として京阪地方で行われた株札(かぶふだ:一から十までの札四組に,特別な札二枚(白札と鬼札)を入れた計四十二枚で遊ぶ賭博的遊戯。めくりかるたの一種。俗に「追丁(追帳)かるた」とも呼ばれる。遊び方は手札とめくり札を合せて、末尾の数字が九あるいは最もそれに近い者を勝ちとする)を用いた賭博の一種。花札を使うこともあり、その場合は十一月(雨)、十二月(桐)の八枚の札を除き、四十枚で行う。めくり札と手札の数を合せ、末尾の数が九もしくは九に最も近い数をもって勝ちとする。ほかに種々の役上がりがある。「おいちょ」はめくり札の八の数又は合計数字の末尾が八になる数をいい,「かぶ」とは九の数をいう(ここまでは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。三省堂「大辞林」によれば、これらは外来語とする説もあるが、未詳、とある(私は賭博遊戯を全く知らないので、前注とこれは私自身のために附した)。
「カツギ屋」話柄内時制の第二次大戦後の昭和二十年代、米などの統制物資を買い入れては、担(かつ)いで売り歩いた者を指す。
「厚司(あつし)」は「厚子」とも書く。アイヌ語のアツシ(attush),つまり、オヒョウ(双子葉植物綱イラクサ目ニレ科ニレ属の落葉高木であるオヒョウ Ulmus laciniata。詳しくはウィキの「オヒョウ(植物)」を参照されたい。アイヌ語由来の解説が詳しい)の樹皮からとった繊維で織った織物。アイヌの着物がこれでできているところから、厚司をアイヌの着物と解することが多い。着物としての厚司は袖は平袖(ひらそで)、丈はすねぐらいで、女物は男物よりやや長めで衽(おくみ:着物の左右の前身頃(まえみごろ)に縫い附けた、襟から裾までの細長い半幅(はんはば)の布。着用の便宜のために存在する)がない。厚司の特色は袖口・襟・背・裾回しなどに、木綿や絹で、アイヌ特有の模様を切付けにすることである。また、関西地方で考案された非常にじょうぶな厚手の木綿織物でつくられた、紺無地か、大名縞の労働着も厚司と呼ばれ、一般に用いられているから、ここは最後のそれであろう(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「ドルマンスタイル」dolman style。袖ぐりが深くゆったりしていて、手首に向かって細くなっていく袖。トルコ発祥の服装のスタイルを指す。「ドルマン」とはトルコ語で「衣服」を意味する語に由来するとされ、袖の付け根がゆったりした女性用の服を指すことが多く、袖の作りを特に指す場合は「ドルマンスリーブ」(dolman sleeve)と呼ぶ。
「籠抜け」広義には「万引き・窃盗」の意であるが、ここは「闇」市の「ブローカー」による「籠脱け詐欺」で、関係のない建物を利用し、そこの関係者のように見せかけて相手を信用させ、金品を受け取ると、相手を待たせておき、自分は建物の裏口などから逃げる手口の詐欺のことを指していよう。
なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1120000アクセスを突破した記念として公開した。【2018年8月2日 藪野直史】]
犯 人
とにかくそれは一風変った男だった。僕はその男と、終戦後の数ヵ月間、同じ屋根の下に生活を共にしたのだ。その男の名は、これも本名だか偽名だかいまだに知らないが、風見長六と言う。その頃彼は、三十歳前後の、あばた面の大男だった。ふだんはむっつりしているが、しやべったり笑ったりすると、妙に人なつこい魅力があった。
僕が風見と初めて知合ったのは、南武線沿線の稲田堤のある百姓家の庭先でだ。
復員後、直ちに僕は東京に戻ってきたのだが、応召の時荷物をあずけた友人宅付近は、一面ぼうぼうの焼野原で、どこに行ったか判らない。苦心して探しあてたのがこの百姓家で、友人はその二階に間借りしていた。妻子は故郷に疎開させたままだという。とにかく私はその部屋にころがりこんだ。下の百姓に相談もせず、強引にだ。そうでもしなければ、行くあてはないし、野宿でもする他はなかったからだ。まああの頃は、一種の乱世だから、そんなこともそう不自然ではなかったわけだ。
しかし、そういう僕に対して、百姓家の主人がいい顔をする筈がない。それでも割に気が弱い男だと見え、直接僕には強く当らない。」友人に向ってうらみごとを言ったり、愚痴をこぼしたりするのだ。へんな男を同居させたりして、最初の約束と違うじゃないか。そんなことをくどくど述べたてるらしい。もちろん僕がいないところでだ。全く主人にとっては、この僕は変な男に見えただろう。復員したてで職もなし、毎日面白くない顔でぶらぶらしていたのだから。そこで友人も板ばさみとなり、だんだん僕にいい顔を見せなくなってくる。友人は川崎の方の某会社に、ちゃんとした職を持っていた。僕のような風来坊を同居させることが、真面目な彼にとって、物心ともにそろそろ重荷になってきたらしい。鈍感でないから僕にもそれは判る。だんだん居心地がよくなくなって来た。
そんなある日の午後のことだ。僕は所在なく階下の縁側で日向ぼこをしていた。二階は暗い部屋だが、ここはよく日が当る。友人は会社に出勤しているし、百姓一家はそろって野良に出ている。留守番は僕一人だ。日向ぼこが楽しみなくらいだから、時候も秋の終りの頃だったのだろう。僕は縁側に寝ころんで、新聞を読んだり、空行く雲を眺めたり、軒にずらずらとぶら下った干柿を見上げたりしていた。干柿ほほどよくくろずんで、実に旨(うま)そうだったが、ひとつちょろまかして食べるという訳には行かない。主人がちゃんと数を勘定している。毎朝、僕がいるところであてつけがましく勘定して、それからおもむろに野良に出てゆくのだ。それほど僕に信用がおけないらしい。千柿のみならず他の食物も、たとえば土間のサツマ芋なども、丹念に勘定されているらしい気配がある。終戦直後のことだから、闇売りで大儲けしているくせに、風来坊の僕などには、芋のかけら一つも渡すまいという魂胆だ。全く厭になってしまう。だから僕も歯を食いしばって、干柿を眺めるだけにして、ちょろまかすようなことは絶対にしないのだ。
庭先に誰か入ってくる気配がした。僕はあわてて躰をおこした。主人が戻ってきたのかなと思いながら。しかしそれは主人ではなかった。
軍隊外套を着け地下足袋をはき、大きな袋をぶら下げた男が、のっそりとそこに立っていた。背丈は五尺八寸ほどもあり、肩幅もそれに応じてがっしりと広かった。顔は大きなあばた面だ。その眼が探るように僕を見た。
「芋をすこし売って呉れないかね」
「さあね、僕にはわからない」
と僕は答えた。
「僕はここでは、ただの間借人だから」
「ほかに誰もいないのかい」
「みんな野良に出ている。しかしここの芋は高いよ。東京に運んだって、儲けにはならないよ。止したがいい」
「いくらぐらいだね?」
「貫当り十五円だ」
「そりや高い。いくらなんでも高過ぎるな、東京で買っても、そんな相場だぜ」
「だから止しなと言うんだよ」
男はがっかりしたような表情になり、縁側を通して土間に積まれた芋の山を、横目でちらっと眺めていた。それからどっかと縁側に腰をおろした。
「全くやり切れねえな。遠くに出かければ汽車賃がかさむし、近くだと百姓がこすっからいしなあ」
その言い方が可笑(おか)しかったので、僕はちょっと笑った。
すると男はぎろりと眼をむいて、僕をにらみつけた。
「いや、これは笑いごとじゃないぞ」
私は笑いを中止した。すると男は機嫌を直したらしく、ポケットから煙草をとり出して僕にすすめ、しばらく世間話などをした。煙草は手巻きの紙臭いやつだ。向うがいろいろ聞くので、僕は今の自分の身の上のことも話した。つまり、職がないことや、僕という存在がこの百姓家で厭がられていることなどだ。すこし誇張も混えて話したので、男はすっかり僕に同情した風だった。
「そりやあいかんな。いい状態じゃない」
そして考え深そうにまばたきをして、
「早くおん出たがいい。邪魔者あつかいにされてまで、踏みとどまる手はなかろう」
「おん出るつて、行くところがないんだ」
男は僕の顔をじっと見た。そして言った。
「じゃ、俺の家に来い。部屋が余ってる」
僕はすこしびっくりした。しかし次の瞬間、僕はもうその男の言葉に乗る気になっていたのだ。これが現今のことなら、ためらったり、しりごみしたりする気持になるのだろうが、なにしろ終戦直後のことで、身のふり方など、どんなにでも簡単にとりあつかえる気持だったのだ。僕は答えた。
「そうかい。それじゃそう願おう」
それであっけなく身のふり方がきまってしまった。この男が風見長六というのだ。今からでも一緒に来いというのだが、こちらは荷物のとりまとめもあるし、明日ということにして、とりあえず住居の地図を書いてもらった。なぜ風見が僕に好意ある申し出をしたのか、そんなこともあまり考えなかった。考えることなど、その頃の気持では、余分のことだった。軍隊時代の習慣が、まだ心身のどこかに残っていたのだろう。考えるよりも、動いたり流されたりする方が先。僕もそうだったが、風見だってあるいはそんな気分だったのだろう。
僕が引越すと判って、友人は形式的な心配を示した。素姓(すじょう)も知れない人間の言葉を、かろがろしく信用したら駄目だというのだ。しかし、内心では、ほっとしているのは明らかだった。階下の百姓はもちろん大喜びだったらしい。翌朝僕に顔を合わせるとにこにこして、折角(せっかく)顔見知りになったのにお名残惜しい、時には遊びに来て呉れ、などと心にもないお世辞を言い、サツマ芋二貫目を餞別に呉れた。餞別と言っても、皮が剝けたのとか二つに折れたのとか、そんなクズ芋ばかりだ。でも無いよりはましだから、有難くお礼を言い、僕は稲田堤に別れをつげた。それから今日に至るまで、僕は稲田堤を訪れたことはないが、あの百姓も元気でいるかどうか。今思うとあの百姓は、少々ケチで慾張りだったが、決して悪い男ではなかったようだ。
さて、お話し変って、風見長六の宅。この家の外観内容は、やや僕を驚かせた。僕は漠然とふつうの小住宅を予想してきたのだが、そうではなかったのだ。一応住宅の恰好(かっこう)はとっているが、当初住宅の目的で建てられたのではないことは、一眼で判る。一廓の焼跡の片すみに、そいつは道路に面してぽつんと立っている。もちろん屋根もあるし壁もあるが、窓は近頃あけたと見えて、材木の切口がまだ新しい。床も急造のものらしく、しかも素人(しろうと)細工だと見え、踏むと足もとがあぶなっかしいようだ。風見長六は、その上り框(がまち)に腰をおろして、飯盒(はんごう)飯をかっこんでいるところだったが、僕の顔を見て、しごく落着いた口調で、
「やあ、やって来たか」
と言った。土間に荷物をおろしながら、僕は訊(たず)ねてみた。
「この家は、昔から住宅なのかね」
「いや」
風見は腰をずらせて、僕の席をつくって呉れながら、
「これはもともと、ギャレージだ。母屋は焼けて、これだけ残ったんだ」
「へえ。君の家なのかい?」
「そうじゃない。借りたんだ」
風見の話によると、彼も復員下士官で、あてもなく東京をほっつき歩いていると、この焼残りのギャレージが見つかったので、これを自分のすみかと定めたと言う。もちろんその頃は、床もなければ窓もなかった。そこへ住みついて二三日経つと、変な老人がやってきて、どういう権利でそこに住んでいるのだと聞く。その老人が語るには、この家の持主は田舎に疎開していて、自分が留守跡の運営や整理を任されていると言うのだ。そこで風見は、実は行くあてがないからこのギャレージを貸して呉れ、家賃は払う、と相談を持ちかけると、老人はちょっと考えて、月二百円なら貸してやろうと答える。終戦の年だから、月二百円というのは法外の高値だ。しかし風見はそれを承諾した。それから彼はあちこちから材木や板片を集めてきて、床をつくり、窓をこしらえ、どうにか住める程度にやっとこぎつけたという話。そのいきさつを聞いて僕は大層感服した。たとえばこの僕が、無為無策に友人のところに転がり込んでモタモタしている間に、才覚や実行力のある奴はちゃんと自分で道を切り開いて、どうにか恰好をつけている。僕は急に風見という男が頼もしくなったが、一方ではちょっとあることが心配にもなって来た。つまり月二百円の家賃が、割前として僕にかぶさって来やしまいかという、ケチな心配だ。風見はそれにおかまいなく、先に立って上り、ぐるりと見廻して、奥のすみの方を指差した。
「お前の部屋は、あそこがいいな。そういうことにしよう」
部屋と言っても、仕切りも何もありゃしない。のっぺらぼうで隅から隅まで見渡せるのだ。床には古畳がずっと敷いてあって、隅の二枚分が僕の分だというのらしかった。それならばそれでもよかった。雨露さえしのげれば、あとはどうにかなるだろう。僕は何気ない口調で訊ねた。
「部屋代は、どうなるんだね。つまり、家賃の割前」
「そんなこと、どうにかなるよ」
と風見は言下にさえぎった。僕は風見の表情をうかがった。払わなくても風見の方でどうにかすると言うのか。その表情からはよく判らなかった。しかし僕は、このギャレージに住んでいる間、一文も部屋代を払わなかったから、結局は風見の言う通りどうにかなったわけだ。こうして風見邸における僕の生活が始まったのだ。
この風見邸の住人は、風見と僕だけではなかった。もう一人いた。乃木明治という名の、やはり僕らと同じ年頃の独身男で、区役所の戸籍課に勤めている。役所でもあまり上の地位ではないらしく、服装なども貧寒だし、恰幅も全然よろしくない。強い近視の眼鏡の片つるを、靴紐か何かそんなもので代用している。堂々たる名前に似ず、チョコチョコとした猫背の小男だった。
乃木も以前の部屋を追い出され、カストリ屋でやけ酒を飲んでいる時、同席の風見と知合い、そして誘われてここに住み込むようになったのだそうだ。僕よりも半月前の先住者だ。僕だの乃木だの、そんな困った連中に住いを提供して、風見という男はなかなか親切な男だな、と僕が言うと、乃木は眼尻をくしゃくしゃにして答えた。
「あ、ありゃあ君、本当は淋しがりやなんだよ。だから、友達が欲しいんだな」
この乃木の言葉は、全面的な真実を言い当てているとは思えないが、一面の真実はついていたようだ。今でも僕はそう思う。風見長六という男は、なかなか強靭なものを持つ半面、とても孤独には堪(た)えられないような弱い半面も確かにあったのだ。
勤めを持っている関係上、三人の中では乃木が一番早起きだ。彼は朝早々に起き、国民服のズボンによれよれのゲートルを巻き、ちょこちょこ出かけて行き、夕方暗くなってちょこちょこと戻ってくる。夜になると、乃木は自分の机の前に坐り、原稿用紙をひろげ何か書いたり、腕組みして黙然と考えこんだりしている。乃木は探偵小説家志望なのだ。学生時代からの志望らしく、それに関する知識も豊富だし、また腕にも自信がある様子でもあった。戦争が済んだからには、きっと探偵小説が隆盛になるに違いない。そういうのが乃木の確信ある予想で、その潮にうまく乗ってやろうというのが、彼の今の現実の念願だった。しばしば口に出してそう言ったのだから、間違いはなかろう。
ところが、こういう乃木の行動を非難して止めさせようとするのが、風見長六だった。わざわざ親切にも部屋を提供して、しかもその日常に干渉するなんて、ちょっとおかしな話だが、事実なんだから仕方がない。風見の言い分は、そんな愚にもつかない小説書きなんか止めて、八八かオイチョカブでもやろうというのだ。折角昼間汗水たらして働いたのだから、せめて夜ぐらいは花札で遊ぼう。これが風見の主張だ。乃木も部屋を借りてる関係上、そうそう断り切れない。三度に一度はつき合う。ところが風見という男は、おそろしく勝負が強く、僕らはいつもコテンコテンにやられ、相当額の金をまき上げられるのだ。乃木が口惜しがって、いつか僕に言ったことがある。
「風見の奴、バクチのカモにするために、俺たちをここに引入れたんじゃないのかな」
しかし僕には風見の気持は、やや判るような気もする。小説みたいなへなへなしたものを軽蔑するのも、バクチや遊びが大好きなのも、強引にまた柔軟に、自分のやりたい事をやり通そうというのも、つまり風見長六は軍隊生活の意識や様式を、そっくり今の生活で押し通そうとしているのだ。風見の言によれば、彼は復員までに十年近くの軍隊生活を過したということだから、他の生き方はとても身につかないのだろう。しかしこれは僕の想像だから、当っているかどうか。
風見には定職はなかった。それでも毎日働いてはいるのだ。カツギ屋をやったり、マーケットに出入りしてプローカーみたいなことをやったり、いろんな仕事をしているようだった。身体が強いから、どんな力仕事でもやれる。それが風見の取り柄だったが、頭の動きがあまり敏捷でないと見え、大きく儲(もう)けることはないようだった。埼玉から米をかついで来て、途中で警官にそっくり没収され、頭をかかえてぼやいていたこともある。
「ええ。三斗だぜ。それをまるまる没収だなんて、むちゃなことをしやがる」
ぽやいていても、彼はまた翌日いそいそと、どこかに働きに出かけてゆく。家にじっとしていることが出来ないらしい。余暇というものを彼は知らないのだ。
この奇妙なギャレージ家に、そんな風にして三人は生活していたわけだ。僕と乃木とはおおむね外食だが、風見だけは自炊の生活だ。土間のコンロや電熱器で、風見は飯をたいたり芋をふかしたり、料理をつくったりする。図体に似ず、そんな点は割にこまめだった。時には僕らにも御馳走して呉れることもあったが、それもごくまれで、僕らが腹を減らしていても、大体彼は無関心な風(ふう)だった。自分の分だけつくって、さっさと食べてしまう。ふくらんだ腹を撫(な)でさすりながら、さあオイチョカブをやろうと言い出したりする。時には彼は、僕らの外食の量の貧しさを知っていて、それを憫笑(びんしょう)したりするのだ。
「よくあんなもんで身体がつづくな」
住居を提供した好意と、食物に関するこんな言動は、彼の心の中ではどう組合っていたのだろう。僕は今思うのだが、彼の胸の中では、たとえば気紛れと功利とが、善意と冷淡とが、衝動と計画とが、雑然と入り交り、不自然なく組合わさっていたに違いない。しかしどうもそこらのところはハッキリしないのだ。僕らに部屋を貸していても、彼は別段それを恩に着せる風(ふう)でもなかった。もしこの僕が彼の立場だったら、どうしても恩に着せる態度が出てくるだろうと思うのだが。
三人で生活している間も、風見は仕事の帰りなどに、板や木片を拾ってきて、ギャレージを補修する。ちょいとした下駄箱をつくったり、また雨漏りでもあるとまっさきに屋根へ登るのは風見なのだ。僕ら二人はほとんど何もしない。風見のやることを眺めているだけだ。しかし風見は、そういう僕らに不満そうでもなく、むしろその仕事を楽しんでいるようだった。そのための大工道具一式を、ちゃんと彼は用意しととのえていたのだ。
僕がこの家に入ってからも、住居としての整備は日ましに進行した。ギャレージくささがなくなって、だんだん小住宅らしくなってくる。そして風見はこの建物の周囲に、器用に垣根までもこさえ上げたのだ。そういうことがあの老差配を刺戟し、慾を出させたのだろうと思う。
この焼跡の管理を任されているという老人を、僕らはムササビというあだ名で呼んでいた。この老人はいつも、変な仕立ての厚司(あつし)を着ている。手首のところは細く、腕の付根のところは極端に寛(ゆるや)かな、そんな風(ふう)な仕立て方だ。現今ならドルマンスタイルとか何とか言うのだろうが、あの頃はそんな言葉も知らないので、ムササビという名をつけた。ムササビという獣は、樹から樹へ飛び移る必要上、脇の下の皮膚が羽根のように寛かに拡がっている。老人のがそれにそっくりというわけだ。
この老人は、たかがギャレージだと思って月二百円で貸す気になったのだろうが、風見の営々[やぶちゃん注:「えいえい」。せっせと一生懸命に働くさま。]の辛苦によってどうやら家らしくなったし、インフレの関係もあって、二百円という金はしだいに価値が下落してゆく。その頃の住宅は言語に絶したものだし、権利金もどんどん上っていたから、ムササビがこれに眼をつけたのは無理ないのだ。僕が入居する前から、老人は風見に文句を言いに来てたらしいが、僕が入ってから、その回数がますます頻繁になってきた。ムササビは僕と最初に顔を合わせた時、その時は僕一人が部屋にいたのだが、
「あれ、また一人ふやしやがったな」
と小声で叫んだものだ。立退き要求に対抗するために、風見が同居人をまたふやしたと、老人は解したらしいのだ。僕は先程、僕を同居させたのは風見の気紛れだろうと書いたが、あるいは老人の解釈の方が当っているのかも知れない。少くともそういう気持が少しはあったのだろうと思う。と言うのは、風見はこの老人をとても苦手にしていたからだ。
このムササビの性格は、見るからにねちねちしていて、一旦食いついたら決して離さないという風な趣きがある。そして世間智に長(た)けている。そういうところを風見は苦手とするのらしいが、その他にも苦手とする確たる理由があった。それはしごく単純なことだが、このムササビが退役の陸軍中佐だということなのだ。ムササビの立退き要求に対し、風見は強く反撥出来ない。柔軟にして消極的な抵抗を試みるだけだ。それを訝(いぶか)しく思って、ある日僕が訊ねたら、風見がそう答えたのだ。
「だってあいつは中佐殿だからな」
「中佐殿だって何だって、今はもう軍隊はないんだし、おそれることはないじゃないか」
「俺もそう思うんだけどな。あいつは俺の元の部隊長にそっくりなのさ。背丈から顔の形までよ。だから俺はつい弱気になってしまうんだ」
何時もに似合わず弱ったような声だった。僕は風見の軍隊履歴をよく知らない。だから彼がそんな弱気になる理由が判らなかった。今でも判らない。なんか特別の事情でもあったのかと思う。
ムササビの方は、元中佐の称号が風見を押しているとは、全然気付いていなかったと思う。しかし多年のカンから、押しに押しまくれば立退くだろうという予想と確信を持っていたらしい。疎開先の当主が戻って来るからとか、垣根をめぐらせたのは約束違反だとか、窓を無断であけたのは建物毀傷であるとか、いろいろ理屈をこじつけて、風見に立退きを迫ってくる。風見は決して弁は立つ方じゃないので、議論となると必ず言い負かされてしまうのだ。そして僕が入居した頃から、家賃を持って行っても、ムササビはそれを拒絶するようになってしまった。家賃なんか受取れないと言うのだそうだ。(だから僕も結局部屋代は払わずに済んだ)そしてもっぱら風見をいじめにかかる。ムササビは最初から僕だの乃木だのを問題にしていなかった。風見攻略の一点張りだ。風見を追い出せば、あとの二人は自然に出て行くと考えたのか。あるいは僕や乃木の世間智を見抜いて、その点一番弱そうな風見にねらいをかけたのか。風見という男は、実行力や才覚は充分にあるらしく見えるが、それも軍隊流のそれだから、娑婆(しゃば)では案外に脆(もろ)いのだ。闇米を没収されたり、ブローカーに籠抜けされたり、そんなことが三四度つづいて、風見の気持はすこしずつ沈滞してゆくようだった。僕が入居して二ヵ月近く経った頃のことだ。ムササビは相変らず、二日に一度ぐらいはやってきて、ねちねちと長談判をしてゆく。
「元中佐殿があんなことをやるんだからなあ」
ある日風見がくさったように言った。もうその頃は、ムササビは神経戦術を開始していて、ギャレージは貸したけれどもギャレージの扉は貸さなかったという妙な論理で、皆が留守中に人夫を使って、大きな扉を外(はず)して行ってしまったのだ。とたんに屋内は風の吹きっさらしとなり、冬の最中のことだから、寒くて寒くて仕方がない。着ている布団がゴワゴワに凍る始末だ。取敢ず[やぶちゃん注:「とりあえず」。]入口には荒むしろをのれんみたいにぶら下げたが、寒気は容赦なく忍び入ってくる。これには僕らも弱った。余儀なく近所から木片を集めてきて、夜ともなれば土間で焚火(たきび)をやり、寒さをしのぐ。なにしろ屋内の焚火だから、危くもあるし、人目にもつく。そりゃ人目にはつくだろう。ギャレージ改装の小屋に、男ばかり三人が居住して、山賊みたいに焚火などをしているのだから。近所の連中が怪しむのも当然の話だ。
そうこうしている中に、この界隈にしきりに空巣ねらいが出没するという事件が起った。あちらの家では服と外套を、こちらの家では釜や鍋をという具合で、一寸した際に物や金が盗まれる。よほど練達な奴だと見え、全然手がかりも残さない。隣組(配給の関係上その頃まだ存続していた)常会でも問題になったが、犯人はつかまらない。やがてその嫌疑が、どうも僕らにかかっているらしいということが、うすうすと判って来た。ある夜、変な男が突然僕らの小屋に訪問して来たのだ。それは背は低いが、顔の四角な、がっしりした男だった。
なんでもそいつは一寸通りすがりと言った恰好で、むしろを分けて屋内をのぞいたのだ。そして低い声で言った。
「えへへ。ちょっと焚火にあたらせて呉れませんかね。めっぽう寒くて、しんまで凍りそうだよ」
のそのそと入って来て、火に手をかざした。焚火と言っても、石油の空罐に木片を入れて燃すという簡単な仕組みだ。それでも結構あたたまる。あたたまると人間は口数が多くなるものだが、その上僕らはすこしアルコールが入っていた。近所の朝鮮人から仕入れた濁酒(どぶろく)を、三人でちびちび酌(く)み交わしていたのだ。風見はその男にもコップをすすめた。そして四人は車座になり、火にあたりながら、いろいろととりとめもない世間話を始めていたのだ。変な訪問者を別に怪しむ気持もなかったと思う。
そのうちに話が近所を荒す怪盗のことになった。自然と話がそこに行ったのだ。その一両日前、僕らの小屋から道を隔てた斜め向いの家が、そいつに見舞われて、配給酒一升持ち逃げされたという。他のものは盗まず、酒だけ持って逃げたのは味がある、というようなことから、乃木が探偵小説家志望のところから推理を働かせたりして、どうも犯人はこの町内の者だろうということに意見が一致した。変な男も、いろいろ口をさしはさんで、その会話を助長させるような気配を示す。丁度(ちょうど)その夜淡雪が降っていて、地下足袋の跡が残っていた。そんなことを男が口に出した時、僕はそろそろこの男は変だなと思い始めた。通りすがりの男にしては、その泥棒に関する知識があり過ぎる。
「その地下足袋は、十一文半だったね。相当はき古したやつだ」
「よく知ってるな、君は」
風見も妙だと思ったらしく、そう聞きとがめた。
「どうしてそんな事まで知ってるんだい?」
「えへへ。ちょっと調べてみたもんでね」
「刑事みたいだな、まるで」
男は顎(あご)をふきながら、またえへへとわらった。その言葉を肯定するような仕草だった。僕が口を出した。
「何かい。するとあんたは、刑事かい?」
「そうだよ」
男は落着いた声で、火にかざした両掌をごしごしとこすり合わせた。
「今日あたり、また出やしないかと思ってね、張込んでるんだ」
それで三人しゅんと黙ってしまった。こちらは何も悪いことをしている訳じゃないが、同座の一人がはっきり刑事だと判ると、ふしぎに何も言い出せなくなるものだ。顔見合わせて、気まずく黙っている。その中に風見がすこし怒ったような声を出した。
「張込むったって、こんなところで火にあたってたんじゃ、仕様ないじゃないか。その間に泥棒は仕事してるかも知れない」
「それも道理だな」
男は腰を上げ、いやな笑い方をしながら、そこらをじろりと見廻した。
「いや、いろいろ御馳走さまでした。また時々寄せて貰いますよ」
そしてのそのそと表の暗闇に消えて行った。しばらくして乃木が声をひそめて言った。
「あいつ、僕たちの足もとばかり見てたぜ。さては僕たちに嫌疑をかけてるんだな」
「どうもそうらしいな」
と僕も相槌(あいづち)を打った。
「時々やって来られちゃ、かなわんな」
風見は黙っていた。不快そうな顔色だった。まあこの三人の中で、乃木は正業についているし、僕は居食いだし、カツギ屋などやっている関係上、風見が一番刑事には面白くないにきまっている。それからそこらを片づけて、それぞれの寝床に入ろうとする時、風見が思い詰めたような声を出した。
「おい。あの泥棒を、俺たちの手でつかまえてやろうじゃないか。そうでもしなきゃ、気がおさまらない」
「そりゃいいね」
と僕も賛意を表した。
「乃木も探偵趣味があるし、風見は力が強いし、その気になりゃつかまえられるかも知れないな」
ところがその翌日の夕方、一町ばかり離れた医者の家で、干してあった衣類がごっそり盗まれる事件が起った。そしてその夜、昨日の刑事がふらりと小屋にやって来た。れいの如く焚火の最中にだ。
「えへへ、昨晩は失礼」
そんなことを言いながら、もう火に手をかざしている。
「今日もまた出たんでね。張込みさ。刑事稼業もつらいよ」
追い出すわけにも行かず、僕らは黙っていた。すると刑事が突然こんなことを言い出したのだ。
「この焚火のことだがねえ、危いから取締ってくれという投書が、署宛てに来てるんだがね。寒いことは寒いだろうが、止めてくれんかね」
「そうですか」
と僕が答えた。
「じゃ少しつつしむことにしよう。でも、その投書は、それだけですか?」
「いや、えへへ」
れいのいやな笑い方をした。
「まあその他、いろいろ書いてあったよ。米のヤミやってるとか何とかまでもね。もっとも経済違反は俺のかかりじゃないがね」
「その投書、見せて貰えんかね」
「そりや駄目だ。原則として秘密になっとるんでね」
投書の主はムササビじゃないかと思ったが、僕は黙っていた。刑事は二十分ほど火に当りながら、むだ話などして、戻って行った。帰りきわに、又寄せて貰いますよ、と捨ぜりふを残して。
「バカにしてやがる!」
その間一言も口を利かなかった風見が、はき出すように言った。
「俺たちを泥棒だと思ってやがるんだ。ふざけやがって」
「そう怒るなよ」
と乃木がなだめた。
「人をうたぐるなんて、そんなに日本人同士信用し合えねえのか。何という情けない世の中だ。あいつ、三人のうちで、この俺を特別疑ってるに違いない」
眉の根をびくびくさせて怒っている。なだめるのに骨が折れた。やけになって怒ってるような具合だった。
それから二三日経ってだ。気持の打開をはかるためだったのだろう、風見は北海道まで鮭(さけ)の買出しに行くと言い出した。仲間に誘われたんだと言う。いくらヤミの世の中とは言え、北海道まで鮭買いはすこし空想的だと思ったが、別段とめる筋合いもないので黙っていた。近距離の米かつぎでさえしばしば没収されるようなへマなところがあるのに、そんな遠走りはすこし無茶だ。
そして風見は五日間留守をした。
その間に、刑事が一度、ムササビが二度、訪れてきた。近所ではまたこそ泥が一件あった。将棋六段の留守宅に忍び入って、将棋盤と駒を盗んで逃げたという。畳の上に大きな泥の足跡があったそうだ。刑事が訪ねて来たのもその夜のことで、風見の不在を告げると、うたぐるような莫迦にしたような笑い声をたてた。焚火はもう中止していたので、手をあぶるわけにも行かず、刑事はすぐに帰って行った。
六日目に風見は手ぶらで戻って来た。顔がげっそりこけて、疲労し果てている。どうだったと聞くと、
「むちゃくちゃだよ。あんなひどい旅行、今までにやったことがない」
首尾よく鮭は東京に持ち帰り、もうさばいて来たのだと言う。相当な金にはなったらしいが、往復の旅費と体力の消耗(しょうもう)を計算に入れると、それほど有利な買出しとは言えなかったようだ。それでもその夜は、風見が金を出して濁酒を二升買い、三人でささやかな酒盛りをした。風見は疲労のせいか、眼をきらきらさせ、身体だけ酔っても気持は酔わない風で、うわずったような声で北海道の話などをした。将棋六段の盗難事件を話すと、ひきつれたような笑い声を発して、「これであのデカにも判っただろ。俺にゃアリバイがあるんだからな」
この武骨な元下士官が、なぜアリバイなどとしゃれた言葉を知っているのか、それは乃木が教えたのだ。僕らは笑った。ついでに刑事の無能さを嘲笑し、こそ泥の敏速さを称讃さえもした。はたから見ている分には、これは結構面白い出来事だったからだ。
ところが、結構面白いと義理にも言えない大事件が、それから、三日目に発生した。僕らの留守中、小屋に怪盗が侵入して、目ぼしいものをごっそりやられてしまったのだ。
その時、風見は買出しに、乃木は区役所に、この僕はと言えば、新聞で社員を募集していた某出版社に出かけて、三人とも留守だったのだ。僕は朝十時に出かけて、夕方四時に戻って来たのだから、その間に侵入されたわけになる。近所の人の話によると、十七八の若者がリヤカーを引いてきて、小屋を出入りして荷物を運び出し、リヤカーに満載して立ち去ったと言う。何故とがめなかったかと言うと、真昼間のことだし、その若者の半纏(はんてん)にナントカ運送店と書いてあったから、てっきり引越しだと思って眺めていたんだそうだ。僕はケチで物惜しみのたちだから、すっかり仰天し、動転し、惑乱した。着ているものだけはたすかったが、あとは布団だけ残して、衣類も行李ぐるみ、持って行かれてしまった。僕の次に仰天したのは乃木明治で、これもすっかり打ちしおれてしまったが、どういうつもりか盗賊は書籍類は残して行ったので、その点蔵書家の彼は救いを見出したようだった。蔵書と言っても、探偵小説やその文献が主で、古ぼけたものばかりだったから、盗賊はガラクダと感違いしたのだろう。
「飛んでもないことになったなあ」
がらんとした土間で、もうヤケになって再び盛大に焚火をやりながら、二人でぼやいている時、風見が空のリュックをぶら下げ、むしろを分けて入って来た。屋内を見廻して、ぎょつと表情を変えた。額の静脈がモリモリと盛り上った。
「ム、ムササビの仕業か?」
これが風見の芝居だったとすれば、僕は今でも彼の演技に感嘆する。しかし、芝居だったかそうでなかったかは、僕は今でも判らないのだ。
「ムササピじゃない。泥棒だよ」
「泥棒?」
僕は事のあらましを説明した。風見はがっくりと腰をおろして、黙って僕の説明を聞いていた。ほとんど無表情な顔だった。話し終ると、火をかこんで僕らはしばらく顔を見合わせていた。
やがて風見は、考え深そうに眼をしばしばさせ、焰の高さをはかるようにした。そして言った。
「もすこし火を弱めろや。これじゃ天井が焦げてしまう」
僕が見た感じでは、風見はこの事件に、それほど打撃を受けていないようだった。もっとも三人のうちで、風見が一番持物は少かったし、盗まれて惜しいものは持っていなかったのだ。ムササビの仕業じゃないと判って、むしろ彼は拍子(ひょうし)ぬけがした風(ふう)だった。それから彼は立ち上った。
「一応警察に届けた方がいいだろうな」
あんな時代のことだから、届けても品物が戻る筈もなかったが、一応そうすることにした。すると例の刑事が翌朝やって来た。
「とうとうお宅もやられましたな」
すこし態度も丁重になったようだし、また責任も少々感じているらしかった。なるべく僕らと視線を合わせないようにして、いろいろ事情を聞いたり、屋内を調べたりして、こそこそと戻って行った。終始僕らがつめたい視線で刑事を眺めていたのは言うまでもない。刑事が帰って行くと、風見は不機嫌な動作で、リュックを手にぶら下げ、土間に降りた。
「俺は出かけるよ」
出かける時いつもこんなあいさつなので、また買出しに出かけるのだろうと思った。ところがその夜も、翌日の夜も、風見は小屋に戻って来なかった。そして三日目に、僕と乃木宛てにハガキが来た。
『新しい住居が見つかったから、そちらに引越すことにした。君たちにも気の毒したな』
文面はそれだけだ。消印は下谷になっている。
刑事が再び訪ねて来た時、そのハガキを見せたら、じだんだを踏むようにして口惜しがった。
「犯人はあいつだったんだ。もすこし様子見て、現行を押えようとして、逃げられた」
刑事の説明では、僕らの盗難も風見の仕業で、運送屋をよそおった若者は、彼の共犯だという。ハガキの『気の毒したな』というのは、そんな目に合わせて気の毒だったという仁義だという説明だ。そんなことはあるまいと僕が言うと、刑事はいろいろな傍証をあげて、風見を犯人と断定した。その傍証のかずかずはもう忘れてしまったが、聞いているうちに段々に半信半疑の状態に追い込まれたのは事実だ。しかしもし彼が犯人とすれば、風見のその心理については、僕は今でも納得(なっとく)が行かない。もう一息で判りそうな気もするが、かんじんなところで漠とぼけてしまう。
風見がいなくなったものだから、僕と乃木はたちまち支えを失って、それから十日目頃に、ムササビによってもろくも小屋を追い出されてしまった。追い出されたら追い出されたで、また直ぐ次の住居が見つかるから、世の中ってふしぎなものだ。
それ以来、乃木とも、もちろん風見とも、一度も顔を合わせない。もう七年も経つから、風見と会って当時の真相でも聞きたいと思うが、連絡がないからそれも果たせない。乃木については、それ以後探偵雑誌など気をつけて見ているが、まだ彼の名前には接しないようだ。同居人が泥棒かどうかも見抜けないような男だったから、探偵小説を書いても、あまりパッとした出来ばえではないのだろう。しかしその点では僕も同じだから、あまり乃木の悪口も言えないようだ。