諸國里人談 序(菊岡沾涼) / 表紙
[やぶちゃん注:以下には本書冒頭にある著者菊岡沾涼の序文を示す。底本としては②を用いた。この序文、一部で読みを含んだ訓点を有する間の抜けた字配の、諧謔的モドキ日本漢文なので、
①白文
②訓点附(句点は存在しないが、ないとどうにも読み進めることが困難である。されば、句点のみ、吉川弘文館随筆大成版に打たれたそれを採用させて貰った。全体に変則的表記となり、やや読み難いが、これが原典に最も近い形となる)
③訓点に従いつつ、さらに推定で書き下し、読み易く表記を書き換え、読みや句読点・送り仮名も推定で大幅に勝手に添えたもの
を順に示すこととした。]
①[やぶちゃん注:冒頭の枠囲いの篆書の標題は私には全く判読出来なかったので、教え子の書道家に判読を依頼している。分かり次第、追記する。【2018年8月15日追記:依頼していた教え子が家族総出で判読して呉れ、取り敢えず最後の一字は「処」と確定した旨、連絡があった。感謝!】]
**処
昨日旅今日羈明日者末太越邊畿山之岑奈連哉空行月須惠能白雲矣唫而于着爲撥巡於国々新剃桑門負笈飛錫行程駕丁少六馬士与作于話知新徃山柴刈尉來川洗濯于温故呉竹之爲不思義事而也飛鳥川爲變行狀而也毎々禿石筆先有其蒼坊主草稿矣書賈二酉堂設之而與題之云不直採有儘與里人談爾云
東都俳林菊米山翁沾涼述
落款 落款
[やぶちゃん注:「※」=「女」+「遇」。なお、最後の落款は前者が「房行之印」か(房行は沾涼の本名)、後者は「菊米山」。以下、落款は省略する。]
②[やぶちゃん注:原典のルビと思われる部分(漢字の読み)は丸括弧同ポイントで附した。]
**処
昨日(キノフ)モ旅。今日(ケフ)モ羈(タビ)。明日(アケ)者末太越ユ邊畿山之岑奈連哉空ラ行ク月須惠能白雲矣ト唫ジ而。于着(ユキツ)キ爲撥(バツタリ)ニ巡ル二於国々ヲ一。新剃桑門(シムテイホウス)負ヒㇾ笈ヲ飛シㇾ錫ヲ行(ミチ)程(クダ)リ。駕丁(カゴカキ)ノ少六。馬士(ムマカタ)ノ与作ガ于話(モノガタリ)ニ知リㇾ新ヲ。徃ク二山ヘ柴刈ニ一尉(ヂヽイ)。來タル二川ヘ洗濯ニ一。于※ニ温ネㇾ故ヲ[やぶちゃん注:「※」=「女」+「遇」。]。呉レ竹之爲(ナ)ル二不思義一事而也。 飛鳥川ノ爲(タ)ルㇾ變(カハ)ツ行狀(アリサマ)而也。毎(コト)々禿(チビ)ル二石筆ノ先ヲ一有リ二其ノ蒼(アヲ)坊主ノ草稿(シタガキ)一矣。書賈二酉堂設テㇾ之ヲ而與題セヨトㇾ之ニ云。不ㇾ直サㇾ採モ有ノ儘ニ與里人ノ談(モノガタリ)ト爾云。
東都俳林菊米山翁沾涼述
③[やぶちゃん注:〔 〕は私が推定で歴史的仮名遣で添えた読み。]
**処
昨日(きのふ)も旅、今日(けふ)も羈(たび)、明日(あけ)はまだ、越ゆべき山の岑〔みね〕なれや、空(そら)行く月、すゑの白雲、と唫(ぎん)じて、于-着(ゆきつ)き爲-撥(ばつたり)に国々を巡る、新剃桑門(しむていほうす)、笈を負ひ、錫〔しやく〕を飛ばし、行(みち)程(くだ)り、駕丁(かごかき)の少六〔しやうろく〕、馬士(むまかた)の与作〔よさく〕が話(ものがたり)に、新〔あたらし〕きを知り、山へ柴刈〔しばかり〕に徃く尉(ぢぢい)、川へ洗濯に來たる※〔ばばあ〕に、故〔ふる〕きを温〔たづ〕ね、呉(く)れ竹の不思義爲(な)る事、而〔しか〕るや、飛鳥川の變(かは)つ爲(た)る行狀(ありさま)、而るや、毎々(ことごと)、石筆〔せきひつ〕の先を禿(ちび)る、其の蒼坊主(あを〔ばうず〕)の草稿(したがき)有り、書賈二酉堂〔しよこにゆうだう〕、「之れを設けて與〔とも〕に之れに題せよ」と云ふ。採(とり)も直さず、有(あり)の儘に、與〔とも〕に「里人の談(ものがたり)」と爾云〔しかいふ〕。
東都俳林菊米山(きくべいさん)翁沾涼 述
[やぶちゃん注:「※」=「女」+「遇」。
「唫(ぎん)」「吟」に同じい。
「于-着(ゆきつ)き爲-撥(ばつたり)」現在の「行き当たりばったり」。
「新剃桑門(しむていほうす)」出家して頭を剃ったばかりの修行僧。但し、沾涼が実際に出家した感じは資料から見出せない。
「少六」「馬士(むまかた)の与作」と同様、駕籠舁きに有り勝ちな通称だったのであろう。
「呉(く)れ竹」一般名詞としては、中国の呉から渡来したものとされる、葉が細かくて、節(ふし)の多い淡竹(はちく)の異名であるが、ここは清涼殿の東庭の北に格子の籬垣の台の中に特に配されて植えられてあった特別な「呉竹」(それが不思議)のことであろう(南側の御溝水(みかわみず)の傍には「河竹(かわたけ)」が配されてあった)。
「飛鳥川」奈良県中部を流れる川で、高取山に源を発し、畝傍山と天香具山の間を流れ、大和川に注ぐが、古えは流れの変化が激しかった。そこから「定めなき世」の譬えとされ、ここも沾涼はそれに掛けて言っている。また、同音の「明日」の掛け詞や枕詞としても用いられる。
「石筆〔せきひつ〕」黒色又は赤色の粘土を乾かして固め、筆の穂の形に作ったもの。管に挟んで、書画をかくのに用いた。
「酉堂書賈」本「諸國里人談」初版を刊行した書肆(しょし)池田二酉堂のこと。①の見開き表紙(右)に、
*
延申郎沾涼著
諸國里人談
池田二酉堂藏版
*
と大書してある。これも国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像の当該頁を後ろに掲げておく(前にも言ったが、早稲田大学図書館版は使用許諾申請が必要なため)。
「之れを設けて與〔とも〕に之れに題せよ」よく意味が判らぬ。「本書の冒頭に、別にパートを設けたから、本文に合わせて巻頭の「序」を書いた上で、ちゃんとした本書の題名を決めて呉れ」ということか。
「爾云〔しかいふ〕」通常は漢文で文章の終わりに用いて「これにほかならない」という意味を表わす常套的終辞助辞である。或いはこれで「のみ」とも読むので、ここも「のみ」かも知れぬ。]
[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像をトリミング補正した(シミ汚損が激しいため、ハイライトを強くかけた)。二箇所の朱印は国立国会図書館の蔵書印。「延申郎」(えんしんらう(えんしんろう))は菊岡沾涼の別号と思われるが、確認は出来なかった。「延伸」は距離や時間を伸ばすことであるから、紀行の旅程や脱稿の遅さを掛けたものか。「池田二酉堂」(いけだにゆうだう)は前に出した通り、神田鍛冶町二町目にあった書肆の名。主人は池田屋源助。店名の「二酉」は中国で大酉(だいゆう)・小酉という二つの山の石窟から千巻の古書が出てきたという故事から、「蔵書の多いこと」及び「夥しい書を収めた所」の意である。]
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