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2018/08/19

反古のうらがき 卷之一 强惡

 

  

 天保の初年、靑梅(おうめ)在に風呂敷づゝみを持(もち)あるきて、

「質(しち)におかん。」

といふ浪人ありて、所々にて迷惑することあり。

 其包みの内は生首なり。

 包みの儘、質に取るといふことは無き故、

「是非、改めん。」

といへば、何かと六ケ敷(むつかしく)いひて改(あらたむ)事を許さず、兎角に面倒なる事なる上に、其包みの樣子、外(そと)より見ても、人の生首と知らるゝなれば、事を穩便に計(はから)ふにはしかずとて、金子少々達し、辭す事あるよし。

 初(はじめ)の程は、

「故なく金子は取らず。」

などいへども、遂には取て歸るよし也。

 度び重りて、八州𢌞(はつしうまはり)といふ役人に召取られ、吟味に及びし處に、固より盜なれば、陳(ちん)ずべき心もなし、いひ上(あが)るよふ[やぶちゃん注:ママ。]は、

「駿甲(すんこう)あたりより、東海道にも出(いで)、此業(このわざ)をすること、六、七年、首をきること、廿に餘れり。金子を得しことは數をしらず、今、命數、盡(つき)て召取れぬれば、何も存殘(ぞんじのこ)す事なし。」

と申(まうし)けり。

 扨、

「首は如何して得たる。」

と問(とひ)しに、

「これは最初より一計ありて、いくたり切(きり)ても、皆、一法なれども、一人も漏らしたることなければ、往(ゆく)所にて行(おこな)わる[やぶちゃん注:ママ。]、其法は野伏(のぶせ)りの宿なしを語らひていふ樣は、

『吾、浪人物となり、爾(なんじ[やぶちゃん注:ルビは底本のママ。])をしばりて手打(てうち)にする。』

とて、村近き邊(あたり)へ連行(つれゆく)べし。

『爾(なんぢ)、大聲に、「衆人、吾を助けて給はれ」と呼ぶべし。故(かれ)、人集りて問ふ時、「吾(われ)召使ふ下人、餘が金子(きんす)壹兩を取逃(とりに)げせしに、今、ゆくりなく行合(ゆきあひ)たれば、手打となすなり」と云はゞ[やぶちゃん注:底本は「ゝ」であるが、濁点を附した。]、爾が命を助けんとて、少々づつ、金子を出(いだ)すもの、あるべし。其金を得たらば、山分(やまわけ)にすべし。土地にては後難(こうなん)あり。遠くへゆくべし。』

とて、乞食を連行(つれゆき)、河原などにて荒繩をもて、かたくいましめ、かくして、

『村へ行(ゆく)なり。』

といつはりて、人遠き所に引行(ひきゆき)、口に、手拭(てぬぐひ)にても、土砂(どしや)にても、推入(おしいれ)、推伏(おしふせ)て、首を切る。甚(はなはだ)手輕なる法なり。」

といへり。

 又、問(とふ)。

「匁物(はもの)は何を用ひしや。」

 答ふ。

「數年前より、『サスガ』一本、身を離さず、重寶(ちやうほう)なる物なり。人の首を切るにも、『サスガ』にて、少しづゝ、切發(きりはな)ち、骨計(ばか)りを殘し、仰向(あおむけ)にもぐれば、大體、取れる者也。少し、つゞきたりとも、『サスガ』にて切發(きりはな)すに難き事なし。第一は、河原にて面(つら)斗(ばか)り水に押伏(おしふし)て切(きる)が切(きり)よし。」

と云いし[やぶちゃん注:ママ。]よし。惡虐殘毒なるも如ㇾ此(かくのごとき)は、亦、珍らし。

[やぶちゃん注:直接話法が多く、肉声らしく読んだ方が、この極悪の人非人のおぞましさがよく伝わると考え、特異的に改行と段落を設けた。

惡」「ごうあく」と読んでおく。

「天保の初年」天保は一八三一年から一八四五年までの十五年であるが、元年は文政十三年十二月十日(グレゴリオ暦一八三一年一月二十三日)の改元であるから、二十日しかない。

「靑梅」東京都の多摩地域北西部にある青梅市附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「八州𢌞(はつしうまはり)」文化二(一八〇五)年に設置された関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく)の略称。勘定奉行直属で、関八州(相模 ・武蔵・安房・上総・下総 ・常陸・上野 ・下野 の関東八ヶ国)を幕領・私領(水戸藩を除く)の区別なく巡回し、治安の取り締まりに当たった。

陳(ちん)ずべき」遜(へりくだ)って申し述べるような。

「いひ上(あが)るよふは」「言ひ揚がる樣は」であろう。異威丈高(いいたけだか)に声高(こわだか)に喋りたてることには。

「駿甲」駿河・甲斐。

「いくたり」「幾人(いくたり)」。

「野伏(のぶせ)りの宿なし」野宿をしている宿無しの放浪者。後で「乞食」と言い換えている。

「浪人物」「浪人者」。

「連行(つれゆく)べし」「これからお前を連れて行くわけよ。……まあ、怖がるな! 待て! 俺の話を聴け!」のニュアンス。

「故(かれ)」ここは「そうすると・そうすれば」という接続詞。別に読みは「ゆゑ」でもよいが、差別化するために、かく読んだ。古い読みは「かれ」である。

「ゆくりなく」副詞(形容詞「ゆくりなし」の連用形から)。思いがけなく・突然に。

「土地にては後難(こうなん)あり」「この地では、俺やお前を見知ってしまっている者がいるかも知れねえから、後でバレてまずいことになりかねねえ。」のニュアンス。

「サスガ」「刺刀(さすが)」腰に差す短刀。腰刀(こしがたな)。さても多くの方はここで、芥川龍之介の「中」を思い出すであろう(リンク先は私の古い電子テクスト)。真砂の所持したあの「小刀」だ。あれを龍之介は「さすが」とルビしていた。いやいや! この風呂敷生首を質入れする浪人の白状の如何にも自分のおぞましい悪行を誇るように語る様子やその「昂然たる態度」は、まさに白状する多襄丸を髣髴させるではないか!(或いは芥川龍之介はこの「反古のうらがき」の本条を読んでいて、あの台詞を書く際の参考にしたのではなかろうか? とさえ私は思うのだ) 「藪の中」は私の教師時代のライフ・ワークであった。何度も授業でやったし、独特の内容であったからして、多くの教え子諸君には今も記憶に残っているであろう。その都度、考証を加え、オリジナルの授業案を進化させ続けた。「藪の中」殺人事件公判記録サイト公開一九九〇年に原型を作製、最終改訂は二〇一〇年、早期退職する二年前である。よろしければ、ご覧あれ。懐かしく感じられるであろう。正直、私はネット上の如何なる「藪の中」推理を読んでも、自分のものよりも優れて現実的であると感じたことは、一度も、ない。

「切發(きりはな)ち」胴部と頭部を切り離し。

「骨計(ばか)り」脊椎骨の頸骨だけ。

「仰向(あおむけ)にもぐれば」首を仰向け、背部方向に捥(も)げば。この辺りの描出は、猟奇的といよりも頗るリアルで、本「反古のうらがき」で最初の怪談物ではない怪人・悪党・怪人物(かいじんもの)(怪談物以外の大きな範疇の一つ)の最初であるが、恐らく、最初に食らわされるスプラッター・ホラーの画面であると言える。

「殘毒」「殘」は「無殘」のそれ或いは「慘毒」(「むごたらしく傷つけること・むごたらしく苦しめること」、または「むごたらしい害毒」の意)の意。]

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