譚海 卷之三 近衞殿島津氏由緒
近衞殿島津氏由緒
○薩摩島津氏は近衞殿に由緖有(あり)、江戸往來の節はかならず伏見より入洛有、謁見せらるゝ事也。年々近衞殿より米三石づつを贈らるゝ事とぞ。
[やぶちゃん注:鹿児島大学附属図書館の「島津氏と近衛家の七百年」展の解説に、文治元(一一八五)年に『惟宗(島津)忠久が鎌倉幕府より』、『島津荘の下司職に任命されて以来、島津氏と島津荘の本家であった近衛家とは、時に対立しながらも』、『深い縁で結ばれ』、『中世から近代まで』七百『年以上にわたって』『島津氏と近衛家との絆』は強く結ばれていたとあり、ウィキの「島津氏」には、『戦国時代から新田流源氏を名乗るまでは、近衛家の庶流として「藤原朝臣○○」と署名していた』とあり、さらに『島津氏の定紋に使用された図案は、島津十文字(筆文字の十文字)、「丸に十の字」、「轡十字」
などが』よく知られるが、替紋としてある「島津牡丹」は『近衛家より拝領』したものともある。また島津家と近衛家の親密感は安土桃山時代の「近衛信尹(のぶただ)」(リンク先はウィキペディア)の事蹟などを読むと非常に良く判る。]