甲子夜話卷之五 1 樂工、盲人、俳優等達藝の事
甲子夜話卷之五
5-1 樂工、盲人、俳優等達藝の事
林氏云。小技曲藝も、名人と呼ばるゝほどの者には、おもしろき噺あるものなり。昔【應仁頃にもありしか。追考すべし】大神基雅と云し伶人【此人、八幡山に住しが、舍傍によき泉ありければ、山の井と稱しけるより、子孫其苗字となれり】、石淸水八幡山を笛を吹ながら下る下る、戲に萬歳樂一曲を逆に吹たりとぞ。聞人驚歎に堪ざりしとなん【この頃は、伶人八幡山住居のもの多し。其住し伶人ども聞しなり】。雅俗の辨は違へども、近來これに似たることは、盲坐の撿校山田と木村と、俗筝の技は名手と呼るゝ匹敵なりしが、山田は聲よきを以て人々の感深し。木村は天性聲あしければ、其技まで劣るやうに世人思へり。一日兩盲間奏の折ふし、風と段物を逆に彈ずべしと云出したるものありて、兩盲倶に彈じかゝりたるに、山田は半にして躓き、全く終ること能はず。木村は一手も誤らず、尾より頭まで逆彈とゝのひければ、一坐の人々、始て木村の技の山田に優れることを知しとなり。此木村、中年後に至り、俗筝技を弟子に讓り、己は貨殖のみに耽りしが、老後の慰に古樂を學んとて、樂器など買求め、餘が許に來り、奏樂聞ことを願請しけるにより、手の揃たる日の管絃小集に招きしかば、殘樂を聞て歎服し、此等の事、中々容易に出來べきこととは思はれず。最早今日にて思切りたりとて、樂學ぶ志を廢しぬ。繁手に馴たる輩は、音樂はいと易きものと計心得るが常の事なり。流石木村は、俗筝上手ほどの耳なりと話なりき。
又、賤伎にも前條に類する事あり。世に名高き元祖市川團十郎【柏筵】、始て小田原の外郎賣と云狂言をなし、その藥の功能を種々のはや言に云ふて、聞く者其辯舌を驚歎して、一時を動したることあり。夫より京に上り、此狂言をせよと勸る人ありて、京都に抵り、彼戲場に出て外郞賣せんとす。此行は柏筵初てのこと故、まづ京人え會釋を言んとて、戲臺へ坐し、かの藥賣の狂言を始て御目にかけ申べしなど言内、見物の中より一人進み出で、外郞の功能はかくなりと、柏筵が嘗て説し如く、一字一句も不ㇾ違、雄辯を振ひ殘らず言述たりしにぞ、見物の諸人皆々あきれて居るとき、柏筵あつと平伏し、恐入たる御ことなり。さすが京都の御方、感心奉れり。もはや仕り候わざ無ㇾ之候。去ながら遙々と上り來候迄の御慰に、かくぞ申上ん迚、かの早言を一字每に逆語にして、言ひ伸ける手際の敏捷なるには、見物一同驚き入たり。初め恥辱を與んとして言たる者も閉口して、中々その逆語は思ひよらぬこと故、すごすごとして退き、却て柏筵の名益々高く京師に響きたりと云。
■やぶちゃんの呟き
「林氏」複数回既出既注の江戸後期の儒者で林家第八代林述斎(はやしじゅっさい 明和五(一七六八)年~天保一二(一八四一)年)。静山の最も親しい友人の一人。「甲子夜話卷之一 1~5」の「5」の私の注を参照。
「應仁頃」一四六七年から一四六八年。
「大神基雅」姓は「おほが(おおが)」と読む。大神氏山井氏(本流)は平安以来の楽人で特に笛の名家である。但し、こちらの「大神氏系図」の「山井氏」系にはこの名はない。
「伶人」楽人。
「八幡山」京都府八幡市の石清水八幡宮のある男山(おとこやま)の別称。最高峰の鳩ヶ峰は標高百四十二・四メートル。ここ(国土地理院地図)。
「戲に」「たはむれに」。
「萬歳樂」雅楽の曲名。唐代に賢王が国を治めた際に鳳凰が飛び来たって「賢王万歳」と囀ったと伝えられるところから、鳥の声を楽とし、その飛翔を舞いにしたものとされる。本邦に伝わって後は、めでたい曲として即位大礼などの機に奏されることが多かった。
「一曲を逆に吹たり」音符を総て終りから逆に吹いた。
「辨」「わきまへ」。
「撿校山田」江戸時代中期の音楽家で山田流箏曲の始祖山田検校(宝暦七(一七五七)年~文化一四(一八一七)年)。名は斗養一(とよいち)。幼時に失明。宝暦末に江戸に下った長谷富検校門下の町医者山田松黒(しょうこく)から箏曲を学んだ。寛政九
(一七九七) 年に寺家村検校を師として検校に登官した。この頃までに、河東節その他の三味線音楽を摂取し、箏を主奏楽器とする新様式の歌曲を創始、江戸の箏曲界を席巻した。
「木村」山田流箏曲家元で初代山木検校(?~文政三(一八二〇)年)の前名。名は松州一。山田検校に学び、寛政一二(一八〇〇)年、家村検校に師事して検校に登官し、江戸で活動した。山木検校を名のった時期は不明。
「風と」「ふと」。「不圖」。
「段物」箏曲の曲種の名。歌のない純器楽曲で「五段」「六段」「七段」「八段」「九段」「乱(乱れ)」などの楽曲がある。曲全体が幾つかの「段」に分かれる。本来は独奏曲であるが、異なる段との合奏があるから、ここはそれであろう。
「貨殖」貸金業。検校には有意に多かった。
「古樂」雅楽。
「願請」「ぐはんせい」と読んでおく。「請い願うこと」の意ではあるが、あまり見ない熟語である。
「小集」「こあつまり」と読んでおく。
「殘樂」雅楽で管弦で行われる変奏の一種。合奏楽器の中で普段目立たない存在である箏の特別の技巧を聞かせるために、打楽器と笙と笛は曲の途中で次第に演奏を止め、さらに曲を反復し、その間に篳篥と琵琶もなるべく旋律の断片を奏することによって、箏の細かい弾奏を引立てる演奏形態を指す。四天王寺では「ざんがく」と呼んでいる。
「出來べきこと」「いでくべきこと」。
「繁手」「はで」。
「計」「ばかり」。
「賤伎」歌舞伎。被差別民とされていたことから、卑称の「賤」を被せてある。
「元祖市川團十郎【柏筵】」二代目市川團十郎(元禄元(一六八八)年~宝暦八(一七五八)年)。
「小田原の外郎賣と云狂言」言わずと知れた「外郎売(ういろううり)」。享保三(一七一八)年正月、江戸森田座の「若綠勢曾我(わかみどりいきおひそが)」で二代目市川團十郎によって初演された歌舞伎十八番の一つ。ウィキの「外郎売」にその早口言葉の台詞が載る。また、小田原の現在も続く薬店「ういろう」の公式サイトもリンクしておく。
「抵り」「いたり」。「到り」。
彼戲場」「かのしばゐ」。先の外題「若綠勢曾我」の芝居。
「會釋」役としてではなく、役者として興行の前にする挨拶。
「言ん」「いはん」。
「戲臺」舞台。
「言内」「いふうち」。と申し上げている最中。
「説し」「ときし」。
「不ㇾ違」「たがはず」。
「言述たりし」「いひのべたりし」。
「諸人」「もろびと」。
「恐入たる」「おそれいつたる」。
「無ㇾ之候」「これなくさふらふ」。
「去ながら」「さりながら」。
「遙々と」「はるばると」。
「迚」「とて」。
「逆語」「さかご」。一字一字の文字列を総て逆にして台詞をやらかしたのである。
「言ひ伸ける」「いひのべける」。「言ひ述べける」。
「與ん」「あたへん」。