大和本草卷之十三 魚之上 鯉
鯉 河海諸魚ノ内最貴者尓雅釋魚以鯉冠篇神農
書曰鯉為魚之主和漢共ニ是ヲ上品トス両傍ノ一
條ノ鱗大小トナク皆三十六アリ煮食ヘハ水腫ヲ治シ
小便ヲ利シ脾胃ヲ補フ作膾温補ス新鮮ナルハ尤美
山州淀ノ産ヲ佳トス
○やぶちゃんの書き下し文
鯉 河海諸魚の内、最も貴〔(とほと)〕き者。「尓雅釋魚〔(ぢがしやくぎよ)〕」、鯉を以つて篇に冠〔せ〕しむ。神農の書に曰く、『鯉を魚の主と為〔(な)す〕』〔と〕。和漢共に是れを上品とす。両傍の一條の鱗、大・小となく、皆、三十六あり。煮〔て〕食へば、水腫を治し、小便を利し、脾胃を補ふ。膾〔(なます)〕と作〔(な)〕して、温〔を〕補す。新鮮なるは、尤も美〔(うま)〕し。山州淀の産を佳とす。
[やぶちゃん注:条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科コイ亜科コイ Cyprinus
carpio。
「尓雅釋魚」〔(ぢがしやくぎよ)〕、鯉を以つて篇に冠〔せ〕しむ」中国最古の辞書「爾雅」(著者未詳・全三巻・紀元前二百年頃成立)の「釋魚」の巻頭には「鯉」が挙げられている。
「神農」炎帝神農氏。中国古代神話上の帝王で三皇の一人。人身牛首ともされ、農耕神・医薬神に位置付けられ、百草の性質を調べるため、自らありとあらゆる植物を舐めて調べたとされる。彼の「書」というのは不明だが(そもそもそんなものは実在はしない。漢代に成立したと思われる彼の名を冠した「神農本草経」があるが、鯉を魚の主とする記載はない)、先の「爾雅」の篇立てに倣って動植物を分類・解説した南宋の羅願の著「爾雅翼」の巻二十八には「鯉」の記載があるが、その冒頭には確かに『鯉者魚之主』とある。本書より前、医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書「本朝食鑑」の「鯉」の章の「集解」の冒頭にも『古へに曰く、鯉は最もな魚の主と爲したり』とある。
「両傍の一條の鱗、大・小となく、皆、三十六あり」前注に出した「爾雅翼」の巻二十八には、『鯉脊中、鱗一道每鱗有。小黒㸃文大小皆三十六鱗。案是脇正中一道爾非脊也』とある。
「水腫」浮腫(むく)み。
「脾胃」さんざん既出既注。漢方では広く胃腸、消化器系を指す語。もう注さない。
「膾〔(なます)〕」新鮮な魚の刺身。
「温〔を〕補す」漢方で当該個人の人体の温度(個人差がある)が正常な値よりも低い場合に、その不足している分を補うだけ、体内の温度上げる効果を指す。
「山州淀」山城国(現在の京都府南部)の淀川。]
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