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2018/08/23

反古のうらがき 卷之一 狐狸字を知る

 
  ○狐狸字を知る

[やぶちゃん注:これも読み易さを狙って、改行を施した。]

 植木玉厓が親戚に、妖怪、出(いづ)る。大害なし。唯、障子其外の處へ文字を書く。文理(ぶんり)も大體通るよし。たわひも無き事斗(ばか)り書く。其内に、折々、滑稽ありて、人の心をよくしる。其主人の母、戲場を好み、其頃の立役(たちやく)八百藏(やおざう)、贔屓(ひいき)にて、常々、稱譽(しやうよ)せしに、其節、狂言餘り入(いり)もなくはづれなりしが、妖怪、大書して、

「八百藏大はたき」

といふ。又、常に一家親類の人を評することあり。

「誰(たれ)、こわくなし[やぶちゃん注:ママ。次も同じ。]」

「誰、少しこわし」

など著(しる)す。大體、

「こわくなし」

といふ方、多し。

 或時、人、來りて、

「野瀨の黑札、よく狐狸を退(しりぞく)る。」

とかたりければ、直(ただち)に障子に大書して、

「黑札 こわくなし」

と著す。これ等は大害なき事ながら、不思議なる狐狸なり。

 玉厓、予に語りしは、

「狐狸の書、至(いたつ)て正直なる、よくよめる山本流などの如し。よくもなき手也。ひらがなの内に、少しづゝ近き文字交(まざ)りて、平人(へいじん)の書く通りなり。」

とぞ。

[やぶちゃん注:以下、底本では本条最後まで全体が二字下げ。途中の「天狗の文」はさらに一字下げなので、ブラウザの不具合を考え、改行を施した上、前後を一行空けた。]

 

 これにて見れば、狐狸、人に化して、山寺にて學問修業せしなどいふ事、よく言傳(いひつた)ふる事なるが、文學などは學びなくて覺ゆることはなるまじければ、人に化して學びたるも、必(かならず)、虛談とせず。

 

 文政の季年、赤坂の酒店にて大だらひを失(しつ)す。數日の後、自然(おのづ)と元のところに歸りてあり、書一通を添たり。文(ふみ)、云(いはく)、

 鞍馬山、大餅、舂(つく)に付(つき)、
 借用候處、最早、御用濟に付、返却す
 る 者也。一度、御用相立(あひたち)
 候品(しな)、以來、大切にいたすべし。
 家内繁昌、疑なきもの也。
 仍如ㇾ件(よつてくだんのごとし)。

  月日           鞍馬山執事

其書、美濃紙一枚程に大書す。

「書法絕妙、米元章(べいげんしやう)の風(ふう)也。「諸藝高慢なる物、天狗になるといゝ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]傳ふるによれば、これは書家天狗の書たるなるべし。」

といゝて、笑ひたりしが、

「かの狐狸に比すれば、書、大(おほい)によし。狐狸と天狗との別、これにて、上下、判然たり。」

といゝし。

 然れども、此事、信ずるに足らず。事は實(じつ)なるべけれども、彼(かの)書を作りたる物は、近きわたりのいたづら者、遺恨にてもありしや、大だらい[やぶちゃん注:ママ。]をかくし置(おき)、其後、程經て歸すに、手持なく、又、手風(てぶり)の人の見しりあらんをおそれ、出家などに賴みて書(かき)てもらひたる者なるべし。

[やぶちゃん注:「植木玉厓」(うえきぎょくがい 天明元(一七八一)年~天保一〇(一八三九)年)は幕臣で儒者にして詩人・狂詩作家。本姓は福原。名は飛・巽・晃。字(あざな)は子健・居晦。通称、八三郎。別号に桂里など、狂号は半可山人。大番与力植木彦右衛門の養子となった。昌平黌に学んだ。狂詩集「半可山人詩鈔」に収めた「忠臣蔵狂詩集」で知られる。

「文理(ぶんり)」書いた文章の内容。文脈。

「戲場を好み」芝居小屋見物が好きで。ここは歌舞伎狂言。

「立役八百藏」八百蔵を名乗った歌舞伎役者はかなりいるが、時制上と、立役で知られたことから見て、四代目市川八百蔵(安永元(一七七二)年~弘化元(一八四四)年)が最も可能性が高いように私には思われた。舞踊藤間流の家元初代藤間勘十郎の弟で、天明四(一七八二)年に四代目岩井半四郎の門下に入り、「岩井かるも」を名乗った。天明七(一七八七)年十一月、「岩井喜世太郎」と改名し、若女形として舞台を勤めた。文化元(一八〇四)年十一月、三代目八百蔵が二代目助高屋高助を襲名した際、四代目「市川八百蔵」を襲名して、立役に転じた。その後、上方で舞台を勤め、文化十年に江戸に戻った。文政元(一八一九)年に二代目助高屋高助が没したのを機に「市川伊達十郎」と名乗り、旅回りに出たが、文政一〇(一八二七)年に江戸に戻ると、再び「市川八百蔵」を名乗っている。天保五(一八三四)年以降に舞台を引退した。容姿に優れ、華のある役者で実事・和事・所作事を得意とした(以上はウィキの「市川八百蔵(4代目)」に拠った)。

「稱譽」称讃。称揚。

「はたき」評判が悪いこと・不評の意の語。

「野瀨の黑札」「野勢の黑札」の誤り。「日本国語大辞典」に『江戸、神田和泉町の旗本野勢熊太郎の邸内に勧請した稲荷社で、初午』『に出した御札。狐憑』『を治すのに効果があったという』とある。

「よくよめる山本流などの如し。よくもなき手也」「山本流」は不詳だが、「よくよめる」(誰が見ても判読は出来る読み易い)書法であったか。而してその狐の文字は、凡そ達筆ではなく、繊細でも綺麗でもないが、やはり書いてある字は判読出来る字だったのであろう。

「ひらがなの内に、少しづゝ近き文字交(まざ)りて、平人(へいじん)の書く通りなり」この言いからみて、この狐、漢字はあまり書けなかったのではないか? しかも「ひらがな」も崩し方(というより書き方)がおかしいものが混じっていたのである。これは漢字を殆んど知らない、書けない、しかも「ひらがな」も正規にちゃんと習い上げたものではなく、自己流で見様見真似で書いたものであることを明確に示している。さすれば、正体見たり! まず、その植木玉厓の親戚の家には、若い女中がいるはずである。そうして、その彼女がこの怪奇現象の真犯人である可能性が極めて高いと言えるのである。江戸時代には既に、人気が全くないのに、突如、屋根や室内に石が投げられたり、ないはずの物がひとりでに移動したり、隣室で巨大な物が落ちる音がしたりするといった、ポルターガイスト現象(ドイツ語:Poltergeist:騒ぐ霊)は、が多数記録されており、これらは「天狗の飛礫(つぶて)」などと呼ばれたりした。また、明治にかけても同様の現象が起こり、調べてみると、その家には若い女中(時には特定の地域から雇った)が必ずいるのである。これはまた「池袋の女」という話柄でよく知られるが、他に「池尻の女」「沼袋の女」「目黒の女」という土地の鎮守の神霊絡みの実話怪談として広まっていたのである。例を挙げるなら、私の「耳囊 卷之二 池尻村の女召使ふ間敷(まじき)事」や、「北越奇談 巻之四 怪談 其三(少女絡みのポルターガイスト二例)」がよかろう。而して後者の注でも述べた通り、私はこれらは、基本的に、霊感を持っているということで他者とは違うという特別な存在という意識を持つことを志向する思春期の少女らによる似非怪奇現象と捉えており、近代以降の無意識的或いは意識的詐欺師としての霊媒師の存在と全く同じものであると考えている。因みに、ここまで黙っていたが、実は後の「尾崎狐 第二」では、まさに同様のポルターガイスト現象が扱われ、そこにまさしく『池袋の奉公人』が登場するのである。

「文學などは學びなくて覺ゆることはなるまじければ」その通りであるが、ちょっと違和感がある。ここで「文學」を出す必然性は、ない。全体を見渡す時、ここは実は「文字」の誤記なのではあるまいか? と疑うのである。但し、国立国会図書館蔵版も『文學』ではある。

「虛談とせず」「完全な空事として退けることはしない」の意。ここまで読んでくると、鈴木桃野は本作で怪奇談を蒐集してはいるものの、怪談に対しては、実はかなり懐疑的で現実主義的傾向を持っていることが判る。だから、ここも狐狸が人に化けて学問を修めるということが、時には在り得る、などと玉虫色に言っているのでは全くなく、怪奇談集の体裁上、全否定を敢えて抑えて表現しているのであろうぐらいに捉えておく必要があると私は思う。

「文政の季年」文政の末年。文政十三(一八三一)年。この挿入と以下の評によって、植木の話がこれより前であることが判る。

「大だらひ」「大盥」。

「米元章」北宋末の文学者で、特に書画の専門家として知られた米芾(べいふつ 一〇五一年~一一〇七年)元章は字(あざな)。湖北襄陽の人。後に潤州(現在の江蘇鎮江)に住んだ。参照したウィキの「米芾によれば、『書においては蔡襄・蘇軾・黄庭堅とともに宋の四大家と称されるが、米芾は』四『人の中で最も書技に精通しているとの評がある』とある達人である。なお、この評言を言っているのは鈴木桃野であり、この二字下げの全文全体は、「天曉翁」浅野長祚の添書きの評言ということになるので注意されたい。

「手持なく」読みは「てもちなく」であろうが、意味不明。推理したように「遺恨」なら奪ったことへの謝罪の金子の「手持ち」というのは如何にもヘン。「遣(や)り様」で、「犯人が自分であることがばれないように上手く酒店へ大盥を返す手段」の意か。

「手風(てぶり)」手跡。]

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