甲子夜話卷之五 5 興津鯛、一富士二たか三茄子の事
5-5 興津鯛、一富士二たか三茄子の事
或人より聞く。駿海産の甘鯛を生干にしたるを、おきつ鯛と稱して、名品の一なり。今は興津鯛と書て、興津の産なりなど覺ゆる人もあるは、誤なり。是は駿城に烈祖の在らせられしとき、奧女中のおきつと云しもの、宿下りして戾りたるとき、生干甘鯛を獻じたり。殊に御口に協ひ、戲におきつ鯛と御諚ありしより名高くなり、其地にて專らおきつ鯛と呼に至れることなりとぞ。かゝることさへ轉靴多きものなりけり。又樂翁の話られしは、世に一富士二鷹三茄子(ナスビ)と謂ことあり。此起りは、神君駿城に御坐ありしとき、初茄子の價貴くして、數錢を以て買得るゆゑ、其價の高きを云はん迚、まづ一に高きは富士の山なり。その次は足高山なり。其次は初茄子なりと云し言なり。彼土俗は、足高山をタカとのみ略語に云ゆゑなるを、今にては鷹と訛り、其末は三物は目出度ものをよせたるなど心得、畫にかき掛て翫ぶに至るは、餘りなることなり。
■やぶちゃんの呟き
「興津鯛」スズキ目アマダイ科 Branchiostegidae の静岡地方での異名。鮮魚を指す場合もあるようだが、通常はここにある通り、一夜干しにした干物を「興津鯛」と呼ぶ。日本近海で普通に見られるアマダイ属にはアカアマダイ Branchiostegus japonicus・キアマダイ Branchiostegus argentatus・シロアマダイ Branchiostegus albus の三種がいる。なお、「興津」は現在の静岡県静岡市清水区の地名として残り、古くからあった地名であり、海辺の宿場町で、見るからに旧漁村という感じはするし、アマダイの一夜干しの「興津鯛」は実際に興津の名産である。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「興津鯛」によれば、『ストーリーにはいくつかバリエーションがあり』、『家康が興津を訪ねたときに食べたのでこの名がついた』とするもの、『家康が食べたのは江戸城で、そこに興津という名の女中がいた』、『そもそも家康は関係なく、駿河湾で美味しいアマダイが取れたので名産となった』『など諸説があり定かではない』とする。しかし、「馬琴道中記」に、『このあたりもみじめずらし興津鯛』『の句が残っていることなどから、江戸期にはすでに定着した名称であったことが窺える』とする。『アジの干物などでは二枚に開いて半身に中骨を残すが、興津鯛は中骨を取り去ることが特徴的である。さっと炙って食べる』ともある。
「烈祖」徳川家康。
「樂翁」既出既注。松平定信の隠居号の号。
「話られし」「かたられし」。
「一富士二鷹三茄子(ナスビ)」小学館「日本大百科全書」によれば、『夢にみるもののなかで縁起のよいものの順位。とくに正月』二『日の初夢の縁起に用いられる。語源については、この諺が一般に流布した江戸時代中期にすでに諸説あ』り、①駿河『国(静岡県中央部)の諺で、駿河の名物を順にあげたとする説がもっとも有力である。江戸時代の国語辞書』「俚言集覧」に『よれば、駿河の名物を「一富士二鷹三茄子四扇五煙草(たばこ)六座頭」とする』。②『徳川家康があげた駿河の国の高いものの順位、すなわち一に富士、二に愛鷹(あしたか)山』(「足高山」は静岡県の富士山南麓にある愛鷹山(ここ(グーグル・マップ・データ))の古い表記。最高峰は標高千五百四・二メートルの越前岳)『、三に初茄子の値段といったことに由来するとする説』(本条の説)、③『富士は高く大きく、鷹はつかみ取る、茄子は「成す」に通じて縁起のよい物とする説、などがある』とある。
「數錢を以て買得るゆゑ」数銭も出してやっと買えることから。
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