諸國里人談卷之五 方廣寺鐘
○方廣寺鐘(ほうくはうじのかね)
京都大佛殿方廣寺の鐘は、秀賴公、建立なり。
長〔たけ〕 一丈四尺
口ノ徑(わたり)
九尺二寸
厚〔あつさ〕 九寸
洛の智恩院、江都(こうと)増上寺の鐘、是に、ひとし。大和招提寺(しようだいじ)の鐘、また、是に亞(つげ)り。これは百濟國(くだこく)より渡りたる鐘なり。
[やぶちゃん注:例の「國家安康」の「鐘銘事件」の梵鐘。慶長一九(一六一四)年完成。京都三条釜座の名古屋三昌により鋳造された。重量は八十二・七トン。例の銘は撞座の左上にある。現在、重要文化財(ここはウィキの「方広寺」に拠った)。
「長〔たけ〕」「一丈四尺」高さ四メートル二十四センチ。現在の公式数値は四メートル二十センチ。
「口ノ徑(わたり)」「九尺二寸」直径二メートル七十九センチ弱。現行は二メートル八十センチ。
「厚〔あつさ〕」「九寸」二十七センチ。現行も同じ。
「知恩院」の釣鐘は高さ三メートル三十センチ、直径二メートル八十センチ、重量約七十トン。寛永一三(一六三六)年鋳造(「知恩院」公式サイトのデータに拠る)。
「増上寺の鐘」延宝元(一六七三)年、七度もの鋳造を経て完成した。高さ約三メートル三〇センチ、直径四メートル五十四・五センチ、重量約十五トン。東日本では最大級の大きさを誇る。
「大和招提寺」不審。唐招提寺の釣鐘は数少ない平安初期の作で重要文化財で、「百濟國(くだこく)より渡りたる鐘」ではない。]