諸國里人談卷之五 松喰虫
○松喰虫(まつくひむし)
寬永年中、武州川越の邊の松に虫つきて、葉を喰ひて、木を枯(から)す事、おびたゞし。領分の百姓、訴ㇾ之(これをうつたふ)。古(こ)伊豆守殿は、智、ふかく、名譽の將なりけるが、これをきゝ給ひ、「その虫を悉(ことごとく)とつて、壷に入〔いる〕べし」。一壷(いつこ)の價(あたひ)何(いか)ほど、といふ員數(いんじゆ)を定め、百姓に仰(おほせ)て、これを採らしむるに、ほどなく取〔とり〕つくしてけり。其〔その〕數(す)百の壷を土中に埋(うづ)みけり。三年を經て、壷を掘(ほり)て、これを見れば、壷中(こちう)、皆、松脂(まつやに)なり。世、こぞつて、これを感ず、と也。「老松餘氣結爲二伏苓一。千年松脂化爲二琥珀一。」。
[やぶちゃん注:「松喰虫」現行の「マツ材線虫病」(英名:pine wilt disease)を引き起こす、マツノザイセンチュウ Bursaphelenchus xylophilus は近代の外来侵入種で、造船用に輸入された木材に付着していた可能性が指摘されており、最初の発見は明治三八(一九〇五)年(長崎県)であるから、これはそれではなく、はっきりと「虫」と言っており、それが視認出来、それを駆除したとする以上は、松の弱った古木に寄生して食害して松を枯れさせるように見える、キクイムシ類(鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目ヒラタムシ下目ゾウムシ上科キクイムシ科 Scolytidae)・ゾウムシ類(ヒラタムシ下目ゾウムシ上科 Curculionoidea)・カミキリムシ類(ヒラタムシ下目目ハムシ上科カミキリムシ科 Cerambycidae)などと考えられる。ただ、果たして、それらが死後に松脂に変ずるかどうか、不審で、このコーダの部分は都市伝説の類いのようにも見受けられる。
「寬永」一六二四年から一六四五年。但し、次注から、これは寛政十六年以降の寛政後期の話であることが判る。
「古(こ)伊豆守」「古」は最も古く知られた「伊豆守」であって「故」(死者)の意ではない。、名老中で「島原の乱」や「由比正雪の乱」を乗り切り、川越藩藩主(寛永一六(一六三九)年一月五日移封)で「松平伊豆」の通称で知られた松平信綱(慶長元(一五九六)年~寛文二(一六六二)年)のこと。
「員數」この場合は壺に封入する虫の一定数。
「老松餘氣結爲二伏苓一。千年松脂化爲二琥珀一。」「本草綱目」の「木之一」には西晋・東晋時代の道教研究家葛洪(かつこう 二八三年~三四三年)の「抱朴子」を出典とし、『凡老松皮内自然聚脂爲第一、勝於鑿取及煮成者。其根下有傷處、不見日月者爲陰脂、尤佳。老松餘氣結爲茯苓。千年松脂化爲琥珀』と出るが、他書では同じ葛洪の「神仙伝」としたりもする。また、三国時代の魏から西晋にかけての政治家で博物学者であった張華(二三二年~三〇〇年)の「博物志」の「藥物」では、『神仙傳云、松柏脂入地千年化爲茯苓、茯苓化爲琥珀。琥珀一名江珠。今泰山出茯苓而無琥珀、益州永昌出琥珀而無茯苓。或云燒蜂巢所作。未詳此二說』(下線太字やぶちゃん)と異なった記載があるようだ。本文のそれを書き下すと、
老松の餘氣 結(けつ)して伏苓(ぶくりやう)と爲り
千年の松脂 化(か)して琥珀(こはく)と爲る
で、漢方生薬として知られる「伏苓」(ブクリョウ)は菌界担子菌門菌蕈綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科 Polyporaceae で、これは木材腐朽菌として知られ、見かけ上の変成現象としては腑に落ち、琥珀は天然樹脂で、まさに松脂のような樹液が長い年月をかけて変化したものであるから、謂いはこちらもトンデモ説とは言えないことになる。]