小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(52) 武權の勃興(Ⅳ) / 武權の勃興~了
吾人の見た如く、日本に於ける武力的統治の歷史は、信賴するに足る歷史の殆ど全期間を包含して、近代に迄至り、國民的完成の第二期を以て終つて居るのである。量初の第一期は、諸氏族が初めて最大なる氏族の主長の指導を受け容れた時に始まつた、――爾後この主長は天皇として、最高の司祭として、最高の審判者として、最高の司令官として、且つ又最高の長官として尊敬されて居た。この族長的王國の下にあつた最初の完成の出來るまで、どれ程の時日が要せられたか、それは解らない、併し二頭政治の下にあつた後の完成が、優に一干年以上を占めてゐたことは既に述べた通りである……。今や注意すべき異常な事實は、これ等の世紀を通じて、皇室の祭祀はみかどの敵すらも大事にこれを守つて來たと云ふことである。みかどは、國民的信仰の唯一の正統なる統治者であり、天子則ち『天の子息』――天皇則ち『天の王』である。騷亂の各時代を通じて、日の子孫は國民的禮拜の的であり、又其の宮殿は、國民的信仰の神社であつた。偉大なる武將は、或は天皇の意思を制肘した場合もあつた、併しそれにも拘らず、彼等は自分自身を神の化身の禮拜者であり、奴隷であるとしてゐた。そして法令を以て宗敎を悉〻く廢棄してしまはうといふやうなことを考へる者もなかつたと同樣に、皇位を占奪しようといふやうな事を考へるものもなかつたのである。ただ一度、足利將軍の專橫なる愚舉に依り、宮廷の祭祀は甚だしく阻害されたこともあつた。そして皇室の分裂から起つた社會上の地震は、纂奪者等をして、その過失の如何に大なるかを思ひ至らしめた……。萬世一系の皇位、皇室禮拜の連綿たる繼續のみが、家康をしてすらも、社會の融和し難き諸單位を纏めて、鞏固にする事を得せしめたのであつた。
[やぶちゃん注:「皇位を占奪しようといふやうな事を考へるものもなかつた」或いは、平安中期に「新皇」を名乗った平将門を想起して「彼はどうか?」と主張される向きもあるかも知れぬが、ウィキの「新皇」によれば、『この将門の新皇僭称は、朱雀天皇を「本皇・本天皇」と呼んでおり、藤原忠平宛ての書状でも「伏して家系を思いめぐらせてみまするに、この将門はまぎれもなく桓武天皇の五代の孫に当たり、この為たとえ永久に日本の半分を領有したとしても、あながちその天運が自分に無いとは言えますまい。」とあり、また除目も坂東諸国の国司の任命に止まっている事からも、その叛乱を合理化し』、『東国支配の権威付けを意図としたもので、朝廷を討って全国支配を考えたものではなく』、『「分国の王」程度のつもりであったと思われる』とあることで、八雲の謂いは有効である。]
ハアバアト・ベンサアは、社會學の徒に次の事を認めるやうに敎へた、則ち宗敎的な王朝は異常な永續性を有つてゐる。それは變化に抵抗する異常な力を有つてゐるからである。然るに武力的王朝は、その永續性が主權者の個性に據るので、特に崩れ易いのであると。日本皇室の偉大なる永續性は、單に武力的支配を代表する幾多の幕府や執權府の歷史と對照して、この說を最も著しく說明してゐる二千五百年を振り返つて見る時、吾々は皇位繼承の連綿たるを辿り、終に過去の神祕の中にその姿を沒するに至るのを見るのである。玆に吾々は宗敎的保守主義の本來の特質である、あらゆる變化に抵抗する絕大な力の證據を見る次第である。それと共に一方に、幕府や執權府の歷史は、何等宗敎的基礎を有たず[やぶちゃん注:「もたず」。]、從つて何等宗敎的凝集力を有たない制度の、崩壞に至る傾向をもつて居る事を證明して居る。藤原氏の統治の、他に比較して著しく繼續した事は、藤原氏は武力的と云ふよりも、寧ろ宗敎的貴族であつたと云ふ事實に依つて說明され得るであらう。家康が工夫した驚異すべき武力的構造すらも、異國の侵入がその避くべからざる崩壞を早めた以前、既に衰退し始めてゐたのである。
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