反古のうらがき 卷之一 魂東天に歸る
○魂東天に歸る
予が叔父醉雪老人、加役(かやく)の吟味方を勤(つとめ)しが、科人(とがにん)をつよく詰問(きつもん)するとて、氣(き)上(あが)りしにや、休息所に入(いり)て其儘に打伏(うつぷ)し、中風の病(やまひ)起り、半身不隨にて人事を省(せい)せず、百藥驗(しるし)なく、凡(およそ)一月斗(ばかり)有(あり)けり。春の永き夜なれば、皆、看病につかれて、はては一人持(ひとりもち)となる。命、盡(つく)るの前夜は、予と甲麗生と二人也。半夜に至りて、あたり凄(すさま)じく、風、吹荒(ふきあ)れて、しばらくして止(やみ)ぬ。物靜(ものしづか)になりしは、さわがしきよりも、更にすさまじくて、打寄(うちより)て物語などする内に、屛風引𢌞したる外(そと)にて、殊に厲(はげ)しき物音して、一貫目斗(ばかり)のかたき物の、椽板(えんいた)などの上に落(おち)たる音也(なり)。出(いで)てみるに、物、なし。予、恠(あや)しみて燭を取(とり)て仔細に見るに、年久しく床の間に懸(かけ)ありし鯨骨(げいこつ)の腰差(こしざし)、挑燈の棹(さほ)なり、細き皮を以て釘にかけたるが、自然(おのづ)と切(きれ)て落たるにてぞ有ける。下に繪の具箱など重(かさなり)て有り。思ふに其上なる故に、殊に音もはげしかりしか。こなたの思ひよらぬ筋は、少しの事にもたまきゆる計(ばかり)におもふものなれば、世に人の死する前に、魂氣(こんき)、出(いづ)るなどいふも、此やうなる事などに驚きたる時、其事ありと思ふならん歟。
[やぶちゃん注:鈴木桃野自身の、日付も明確に分かる実体験擬似怪談である。桃野の、世間で怪異とされる現象に対する極めて冷静にして、近代的科学的心理学的な立ち位置がよく判る話柄であり、こうした事例を敢えて怪奇談集の頭の方に持ってくる態度は、私には優れて好ましく感ずるものである。標題「魂東天に歸る」は「魂(たましひ)、東天(とうてん)に歸る」。
「醉雪」底本の朝倉治彦氏の注に『母の弟。多賀谷氏。字』(あざな)『は仲徳。丈七と称す。兄のあとをついで先手与力』(先手組与力(さきてぐみよりき):江戸幕府の番方(軍制・武官)組織の一つ。若年寄に属し、江戸城各門の警備・将軍外出時の警護・江戸城下の治安維持等を担当した。同じ治安を預かる町奉行及びその配下の町与力・町同心が役方(文官)であるのと対照的に、先手組の組与力・組同心の取り締まり方は極めて荒っぽく、江戸の民衆から恐れられたという。ここはウィキの「先手組」に拠った)となった。天保一〇(一八三九)年『三月十五日歿、六五歳。法号酔翁院古庭雪道居士』とあり、高円寺鳳林寺の彼の墓にある古賀侗庵筆の漢文の碑文が記されてあるが、それを見ると、読書や詩を綴ることを好み、最も耽ったのが絵を描くことであったとあり、この条の「繪の具」が腑に落ちる。「命、盡(つく)るの前夜」とあるから、このシチュエーションは天保十年三月十四日と考えてよかろう。さすれば当日はグレゴリオ暦で一八三九年四月二十七日に当たる。標題から見て、三月十五日の明け方、逝去されたもののようである。
「加役」彼が先手組であることが前の注で判明していることから、彼は、かの江戸で最も恐れられた「火付盗賊改方」(主に重罪である「火付け」(放火)・「盗賊」(押し込み強盗団)・たちの悪い集団「賭博」等の凶悪犯を専門に取り締まった)であることが判る。実は「火盗改(かとうあらため)」(略称)は本来は臨時役職であって、幕府常備軍である御先手組弓及び筒(鉄砲組のこと)の頭(かしら)から選ばれ、御先手頭職務との兼役であったことから、「火盗」(やはる略称)は単に「加役(かやく)」とも呼ばれたのである(ここはウィキの「火付盗賊改方」を参考にした)。
「氣(き)上(あが)りしにや」血が頭にのぼったものか。「中風」(ちゅうぶう)「半身不隨」とあるから、脳卒中(重い脳梗塞)や高血圧性脳内出血の可能性が高い。
「人事を省(せい)せず」人事不省となること。通常の知覚や意識を失う、或いは失ったようにしか見えない状態となること。意識不明の昏睡状態を指すのが普通。この場合の「人事」とは「人として普通に為し得ること」「見当識があること」を指す。
「一人持」枕元に就く看病人が一人となること。ここは少し前から、夜伽では一夜を二人が交代して担当するようになってことを指すのであろう。但し、シークエンスは病人の容態が悪化していて気が気でなく(実際に翌日亡くなったのだから)、風も激しく吹いていたりして、二人とも起きていた(「打寄て物語などする」)のである。
「甲麗生」「甲麗」が名で「生」は青年男子を示す添え辞であろうが、不詳。
「半夜」真夜中。
「一貫目」三キロ七百五十グラム。
「椽板」縁側の板。芥川龍之介など、近代以降も「緣」を「椽」(本来は「垂木」を指すので誤り)と書く作家は多い。
「年久しく床の間に懸(かけ)ありし鯨骨(げいこつ)の腰差(こしざし)、挑燈の棹(さほ)なり、細き皮を以て釘にかけたる」ちょっといみが採り難いが、私は――「永年、床の間に懸けてあった鯨の太い骨を刳り抜いて作った「腰差」(=腰刀(こしがたな):腰に差す鍔のない短い刀。いろいろな趣味を持っていたようだから、これも「醉雪老人」の手製の遺愛の品だったのかも知れない。でなければ、床の間には飾るまい)で、「挑燈の棹(さほ)」のような「なり」(=「形(なり)」)をした腰刀で、「細い皮を以」つて「釘に」掛けておいたのが」――という風に読んだ。
「こなたの思ひよらぬ筋」想定が思った以上に狭められている状況下。
「たまきゆる」「魂消ゆる」。]