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2018/08/28

ブログ1130000アクセス突破記念《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 寒夜

[やぶちゃん注:芥川龍之介の作文で、底本(後述)では明治四〇(一九〇七)年頃の作とする。明治四十年ならば、龍之介は東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)二・三年次(当時の旧制中学は五年制)で、満十四、十五歳(龍之介は三月一日生まれ)当時のものということになる。

 底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」に載るものに拠ったが、葛巻氏はこれを「第一高等学校時代」のパートに入れており、上述の通り、これはおかしい(龍之介の一高入学は明治四三(一九一〇)年九月である)。なお、作品末の葛巻氏の註では、これは、先に電子化した「菩提樹」「ロレンゾオの戀物語」同様、この『「寒夜」も、同じ』学校に提出した『「作文」答案かも知れない。――が、必しも、そうとのみは云い切れないものも、持っている。それらは半紙にも書かれている跡がある』とある。

 下線(底本は右傍線)及び句読点なしの字空け、第三段落の「絶ゑ」はママである。踊り字「〱」は正字化した。

 本文最終段落冒頭には「この事ありてより早くも十とせを經たり」とある。これを葛巻氏の執筆年代クレジットで逆算するなら、作品内時制は明治三十年か三十一年辺りとなる。当時の龍之介は(既に芥川家の養子)四歳から六歳、江東(えひがし)尋常小学校付属幼稚園入園(明治三〇(一八九七)年四月)から翌年の江東尋常小学校(現在の両国小学校)入学年に当たる。芥川家は当時も執筆時も本所小泉町(現在の墨田区両国三丁目)にあった

 本作内にはこの十年の間に亡くなった作者の主人公「童」の「姊」(あね:「姉」)が登場するが、これは芥川龍之介の事蹟に合わせると、事実ではない(芥川家には子はいない)。彼の実の次姉である「新原(にいはら)ヒサ」は健在であり(龍之介より四歳年上。葛巻義定(底本編者義敏の実父。離婚するも西川の自殺後に復縁)・西川豊に嫁す。昭和三一(一九五六)年没)、長姉の「新原ハツ」は龍之介の生まれる前の明治二一(一八八八)年に三歳に満たずして夭折しているからである。私には、この本文に出る「姊」とは、この次姉「ヒサ」を事実上のモデルとしながらも、実は、龍之介が逢ったこともないにも拘わらず、終生、特異的な親しみを感じ続けた長姉「ハツ」の面影が感じられて仕方がないのである。龍之介晩年の名品で、大正一五(一九二六)年十月一日発行の雑誌『改造』に発表した點鬼簿(私の古い電子テクスト)の「二」を、是非、見られたい。

 「伯父なる人」は不詳。系図を見るに、新原・芥川家には該当する「伯父」はいないように思われる。架空の設定か。

 なお、本電子テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1130000アクセスを、昨日、突破した記念として公開した。【2018年6月28日 藪野直史】]

 

 

     寒 夜

 

 ほのかなるラムプの火影に、二人の女ありて衣を縫へり。一人は若く、一人は老いたれども、縫へるは共に美しき紅の絹なり。部屋の中狹ければ、うすけれどもともしび隈なく流れて、縫針の寒うきらめくも見ゆ。

 芍薬描ける二枚折りの屛風引きよせたるかたへには、八つあまりのわらべありて、炬燵に足をさし入れつゝ寢ころびて、眞鍮の竪笛を弄べり。古りたれど頰赤きすこつとらんどびとが くゆり濃き琥珀の酒に醉ひて、草野の宵月にふきふくはこれなりと云ふ。伯父なる人の遠き海の彼方より贈りたるを、童は幼き心にもそのさびたる響の中に 白楊と湖との國を夢みて、日も夜も手を離さず弄ぶなり。

 戸の外は雪、未、止まずと覺ゆ。道を行く人は絶ゑたれども庭には折々八つ手のひろ葉をすべり落つる雪の音す。童は西洋紙の手帳を、黄なる書物の上におし廣げつゝ、覺束なき平假名にて其日の日記をつけ始めぬ。書物は、朽葉色の地に紅の蘭の花を描きたるが、そが上に、あらびあんないと物語の金文字うつくしく光りつ。

 二人の女は猶、紅の絹を縫いて止めず。老いたるは鼈甲の緣ある大なる眼鏡をかけたり。折々手をとゞめてほゝえむは童の物かくとてむづかしき顏したるが可笑しければなるべし。若きは手も止めで、童の方を偸み見つゝほゝ笑む 縫へる絹とかたへのすびつの火との赤く頰にうつれる床しく見ゆ。

 母上 またかの薔薇と頰白との物語してきかせ給へ、日記をつけ了れる童は 再 竪笛を手まさぐりつゝ云ふ。母はよべも語りつと老いたる女笑へば、さらば姊上こそと童は若き女の眉をゆすりね。

 風やふき出でし、さらさらと雪の窓をうつ音す。「朝よりふりて止まず。やがて道も絶えなむ」と老いたるが呟けば、若きはともしびをとりつゝ立ちて窓をひらきぬ。童も炬燵より出でてその後に從ふ。よはき燈の光に 白く雪に輝ける道と、向ひの家の掛行燈のおぼろめきたるとが見えたり。「文鳥も寒からむ」と窓を閉しつゝ若き女云ひぬ。「文鳥も寒からむ」 こだまの如く童も答へつ。部屋の隅には朱骨の鳥籠ありて 長く紫の紐を垂れたり。二人は眉を合せつゝ靜に籠の中をさしのぞきつ。されど文鳥は動かず、眼をとぢ頭をたれて止り木にうづくまりたる、眞珠鼠の羽がひもほろろ寒げに見ゆ。「文鳥は眠りぬ われも眠らむ」 程へて童は云ひぬ。

 

 この事ありてより早くも十とせを經たり。その夜の童なりし我の今も雪ふる夜每に思出づるは其宵の雪のびゞき、其宵のともしびの色なり。紅き絹を縫ひ給へる姊上も 眞鍮の竪笛を贈り給へる伯父上も今は共に此世を去り給ひて、彼の薔薇と頰白の物語し給ひし母上のみ、猶、日夜 我が側に衣を縫ひ給ひつゝ、時にふれて我亡き姊上の上を語り給ふも悲し。なつかしきは、其宵の雪のびゞき、其宵のともしびの色なり。あはれ、昔を今になすよしもがな、昔を今になすよしもがな。

 

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