甲子夜話卷之五 6 天井の説幷角赤と云器の事
5-6 天井の説幷角赤と云器の事
小笠原常方に【平兵衞】聞たるは、今世に天井と謂ものは、塵除(ヂンセウ)と唱べし。天井と謂ふは格組(ガウグミ)にしたるもの也。總じて家居は水の緣を取ゆゑ、天井の名も水に由ると云。又御厨子棚に具する箱の中に、布をきせ赤漆にして四方黑漆なるあるは、其名を角赤(スミアカ)と云。もと婦人の下結を納る箱なり【下結はふんどしなり】。因て今官家御婚禮御用に、小笠原氏より五色の服紗を納めて上る。是則下結をいるゝの遺風と云。
■やぶちゃんの呟き
「小笠原常方」現在の礼法の小笠原流宗家とは別に、旧旗本小笠原常方の子孫である小笠原清忠が「小笠原流礼法三十一世宗家」を称していると、小学館「日本大百科全書」の「小笠原流」にはあり、歴史部分の解説にも、現在の礼式の小笠原流とは『別家で、甲斐』『を本国とする歴代』五百『石の平兵衛(へいべえ)・孫七を号して先手弓頭、鉄炮頭』『を勤めた旗本小笠原家(小笠原赤沢経直(つねなお)の子孫)があ』り、『将軍吉宗』『のとき、旗本の縫殿助持広と平兵衛常春が弓馬儀礼の制定に参画したと伝え、常春、常喜(つねよし)、住常(すみつね)、常倚(つねより)、常方、常亮(つねあき)、常脇、常高と続き』、『明治維新を迎えた』ともある(下線太字は私が引いた)。
「今世に」「いま、よに」。
「塵除(ヂンセウ)と唱べし」塵除(ちりよ)けと別に呼ぶべきのがよい(ほどにちゃちなもので、本来の「天井」とは似ても似つかぬものである)、と主張しているのであろう。
「家居は水の緣を取ゆゑ」木造である日本の家屋は回禄に遇い易いことから、水に所縁(ゆかり)するように、則ち、人為的に呪術的な意味に於いて縁を有意に待たせようとしているということを言っているものと思う。「天」に「水」に縁のある「井」桁=「井」戸があれば、火は防げるからである。
「御厨子棚」「みずしだな」。御厨子所(みずしどころ:本来は宮中で天皇の食事や節会の酒肴を掌った役所を指したが、後に普通の台所の意となった)にあった食物を入れておく扉のついた棚。後には、美しい装飾を施して身近に置き、器物・草子類などの手回りの品を納めた。「御厨子」に同じい。ここは最後のそれ。
「具する」必ず付帯して入れ置いておく。
「角赤(スミアカ)」「隅赤」とも書く。昔、婚礼に用いた手箱の一種。四辺を雲形の朱塗りにして高くし、他の部分を黒塗りとした手箱。「日本国語大辞典」には女性の化粧品や装飾品を入れるとする。古美術商のこちらで骨董の豪華なものが見られる。
「下結」「したむすび」。「日本国語大辞典」によれば、下紐(したひも)と同義で、腰巻のことである。「ブリタニカ国際大百科事典」の「腰巻」によれば、腰に巻く布乃至衣服のことであるが,大別すると二種あるとし、①小袖形式のもので、十五世紀以降、宮中の下級女官たちが盛夏の時節の帷子(かたびら)の上に着けた。着装法は一度着てから、両肩を脱いで腰に巻きつけた。
十六世紀後半からは武家の貴婦人の夏季礼装となり、黒紅色練貫地に亀甲・宝尽くし・松竹梅・鶴亀などが五彩の糸と金糸で刺繡にされた普通の常用着衣を指し、其れとは別に、②長方形の布帛で作られ、左右の角につけられた紐で女性の腰部を纏う「湯文字(ゆもじ)」を指すようになった。しかし、本来、正しくは「湯文字」の上に纏う模様のある同系統のものが腰巻である。また、男性も十九世紀中頃までは白地の腰巻をしたことがあるとある。ここで小笠原に言っているのは②の紐である。なお、以上から判る通り、腰巻は肌に直接着用するものの、所謂、ショーツ・下着ではなく、あくまで外装着衣の一つである、という点に注意しなくてはならない。男の褌は下着であるが、和装時代の女性は下着は着用しなかったと考えるのが正しいように思われる。
「上る」「たてまつる」。
「是則」「これ、すなはち」。