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2018/08/22

反古のうらがき 卷之一 尾崎狐 第一

 

  ○尾崎狐 第一

 

 鎗術師範伊能一雲齋は、予が先婦の叔父なりけり。築土(つくど)下に住す。門人もあまたもてり。

 其あたりに御旗本の門人ありて、其若黨も門人也。劍術も相應に出來たるよし。

 一日(あるひ)、忽然と狂氣して、大太刀引拔(ひきぬき)、あたるを幸(さいはひ)に切(きり)まくる。

 主人も是非なく、奧口(おくぐち)を引〆(ひきしめ)、門を鎖(とざ)して、狂人一人、玄關より表座敷・中(なか)の口のあたりを狂はせて、出向ふ者もなし。

 主人より使(つかひ)を以て伊能申越(まうしこ)すよふは[やぶちゃん注:ママ。]、

「御存(ごぞんじ)の家來某、狂氣致し、白刄を振𢌞し、手に餘り候也。何卒、とらへ玉わらんよふ[やぶちゃん注:総てママ。]主人より願ひ侍る。」

と也。

 伊能きゝて、

「是は存(ぞんじ)もよらぬ御賴(おたのみ)なり。それがし、是迄、鎗劍師範はいたせども、狂人を相手に無手取をせん心懸(こころがけ)なし。併(しかし)ながら、折角の御賴なれば、それがし、先(まづ)切られに參り申べし。各方(おのおのがた)、すかさず、御取押(おとりおさへ)被ㇾ成(ならる)べし。」

と、常の衣服に一刀を帶(おび)て、使の人とともに門より入、玄關に案内を乞ふ。

 狂人、其聲とともに走出(はしりいで)、玄關にて、大言(だいげん)して、

「誰(たれ)にても此内へ入らん者は眞二つなるべし。」

といゝて[やぶちゃん注:ママ。]、白刄を引提(ひつさげ)て玄關の敷臺に腰かけたり。

 伊能は何氣なき體(てい)にて玄關に通り、右の狂人と推並(おしなら)べて腰をかけ、右のかたに、

「むづ。」

と坐す。狂人、思ひの外、取もかゝらず、

「此刀の切(きれ)あぢ、今日、こゝろむべし。」

とて振𢌞し、スウチなどして狂ひけり。

 伊能、斜目(はす)に見やりて、

「寸、少々のびたれば、思ひの外、用に立(たた)ぬ事あるものぞかし。心して遣ひね。」

といゝければ、

「イヤ、吾には手頃也。」

といふ。

「見せ玉へ。」

といへば、

「いざ。」

とて、出(いだ)しけり。

 刀、請取(うけとる)と、其儘、遠く投捨(なげすて)、取(とつ)ておさへて組伏(くみふせ)たり。

 其時、人々、片影(かたかげ)より、一時に走寄(はしりよつ)て、終(つひ)に取押へける。

 此事、評判となりて、

「伊能は無手取の名人。」

など言(いひ)あへりしよし。

 伊能、大に憂ひ、

「狂人を相手に無手取をする不覺者やある。」

とて、いろいろと、

「無手取に非らず、賴まれたれば是非なく命を捨(すて)に出で、すき間ありし故、手取にせし事也。努々(ゆめゆめ)無手取などといふ事、云(いふ)べからず。」

と制しけるよし。

[やぶちゃん注:ここは、底本も改行している。]

 其後、これも門人の宅に、狐、出で、妖怪、やむ時なし。

「何卒、先生の武威を以て謐(しづ)め給われ[やぶちゃん注:ママ。]」

と申入る。

 伊能、聞て、

「是は目に見えぬ鬼神との爭ひ、鎗劍のほどこす所なし。修驗にても賴み玉へ。」

といゝて[やぶちゃん注:ママ。]斷はれども、取用(とりもち)ひず。

「先(まづ)、兎角に一夕(いつせき)來りて、見屆けて玉(たまは)れかし。」

とて、終に引連れて其家に往(ゆき)けり【水道端と聞へし[やぶちゃん注:ママ。]。】。

 折節、冬の事なり、夜も永ければ、先づ、内に入て、四方山(よもやま)の物語して、一時餘(あまり)を經(ふ)れども、何もなし。

 主人、大に喜びて、

「扨こそ、先生の御武威におそれしか、一向に恠異なし。」

とて、皆、一同に稱しけり。

 伊能は、心の内に、

「未だ勝負もせぬ相手に恐るゝといふ道理なし。今に出(いづ)るに疑ひなし。餘りに左樣のことはいふ間敷(まじき)事。」

と制して、又、四方山のはなしに時移り、四つ過頃になる迄、何の事もなければ、

『今は家路におもむくべし。先(まづ)今夜は恠異なし。少しは、吾、來りし故にても有るや。』

と思ふ心、出(いづ)ると均(ひと)しく、二貫め斗(ばか)りの大石、伊能が鼻の先を掠(かす)めて、

「どふ。」

と落つ。

「これは。」

と、人々、驚く間に、茶碗・火鉢、飛廻(とびまは)り、ややしづまると思ふに、盆に盛(もり)たる蜜柑、一つづゝにころげて、牀(とこ)の間の下に竝ぶ。

 最後に、盆、ころげ出で、床の間の上に上(のぼ)ると均しく、右の下に並びたる蜜柑、十五、六、次第々々に飛上り、元の如く盆の上に山形に積上りたり。

 伊能、面目(めんぼく)なくて、

「吾は最初よりかくあらんと思ひつるに、果して夜の深(ふかま)るに隨ひ、怪異あり。宵の間(あひだ)の靜(しづか)なりしは、あてにならぬ事と思ひけることよ。」

と申(まうし)て立歸りけるとぞ。

 自(みづ)から語りけるよし。

 左(さ)れども、「一念の慢氣に百魔是に乘ずる」よしは、武人の常套語なれば、此話をかりて心の油斷・慢心を戒(いま)しめし作り話かもしらず。

 但し、尾崎狐の怪異は、珍らしからず。

[やぶちゃん注:「尾崎狐」(「おさききつね」と訓じているものと思う。次注参照)の「第二」はこの後の九話目に出る。臨場感を出すために、特異的に改行を施した。

「尾崎狐」底本の朝倉氏の注に『飼いならして、飼主の命により種々不思議なことをするう狐の意であるが、のち妖狐の意となった』とあるが、これは所謂、キツネの憑き物を指す「おさき」或いは「おさききつね」のことである。ウィキの「オサキ」によれば、『「尾先」と表記されることもある。「尾裂」「御先狐」「尾崎狐」などとの表記もある』。『関東地方の一部の山村で行われる俗信であり、埼玉県、東京都奥多摩地方、群馬県、栃木県、茨城県、長野県などの地方に伝わっている』。『多摩を除く東京には伝承が見られないが、これはオサキが戸田川』(現在の荒川の一部となっている蕨付近の流域の古称。江戸方から板橋宿及び志村の一里塚を過ぎた中山道は、ここを越えなければ、蕨(わらび)宿に辿り着けない。の中央附近(グーグル・マップ・データ))『を渡れないため、または関東八州のキツネの親分である王子稲荷神社があるため』、『オサキが江戸に入ることができないためという』。『もと那須野で滅んだ九尾の狐の金毛が飛んで霊となったものであり、九尾の狐が殺生石に化けた後、源翁心昭が祟りを鎮めるために殺生石を割った際、その破片の一つが上野国(現・群馬県)に飛来し、オサキになったとの伝説もある』。『名称については、九尾の狐の尾から生まれたために「尾先」だといい』、『曲亭馬琴らによる奇談集』「兎園小説」に『よれば、尾が二股に裂けているために「尾裂」だとあり』、『神の眷属を意味するミサキが語源との説もある』。『オサキの外観は土地や文献によってまったく違った特徴が語られている。曲亭馬琴』の「曲亭雑記」では、『キツネより小さいイタチに似た獣だとあり』、『群馬県甘楽郡南牧村付近ではイタチとネズミ、またはフクロウとネズミの雑種のようなもの、ハツカネズミよりやや大きいものなどといい、色は斑色、橙色、茶と灰の混合色などと様々にいわれ、頭から尾まで黒い一本線がある、尾が裂けているともいい』、『同郡下仁田町では耳が人間の耳に似て鼻の先端だけが白い、四角い口をしているなど、様々な説がある』。『身のこなしが早いために神出鬼没で、常に群れをなすという』。『オサキを持つ家をオサキモチ、オサキ屋』、『オサキ使いなどという』。『常には姿を見せず、金銀、米穀その他なんであれ心のままに他に持ち運ぶという。オサキモチを世間は避け、縁組することはなく、オサキモチどうしで縁組するという。オサキの家から嫁を迎え入れた家もオサキモチになるといわれたためであり、婚姻関係で社会的緊張の生まれる原因の一つとなることが多かった』。著者不詳の江戸の奇談集「梅翁随筆」に『よれば、家筋についたオサキはどんな手段を用いても』、『家から離すことができないとある』。『家ではなく個人に憑く場合もあり、憑かれた者は狐憑き同様、発熱、異常な興奮状態、精神異常、大食、奇行といった症状が現れる』と言い、また、『群馬県多野郡上野村ではオコジョを山オサキと呼び、よく人の後をついて走るものだが、いじめると祟りがあるという』。『同じく群馬県の別の村では、オサキは山オサキと里オサキに大別され、山オサキは人には憑かないが、里オサキの方は人に憑くという』とある。

「伊能一雲齋」(安永六(一七七七)年~嘉永七(一八五四)年)は江戸後期の槍術家で、江戸牛込の宝蔵院流の達人。名は由虎。上総貝淵藩の槍術指南となり、江戸藩邸で藩主林忠英(ただふさ)に仕えた。門弟には、かの水戸藩の儒臣で尊攘派の指導者藤田東湖や、勘定奉行兼海防掛として日露和親条約に調印し、外国奉行にも起用された幕政家川路聖謨(かわじとしあきら)が含まれている。また、神谷潤亭にならった一節切(ひとよぎり)尺八の名手でもあり、その普及に努めた。別号に無孔笛翁。底本の朝倉氏の注には筆者鈴木『桃野との関係については不明』とある。

「予が先婦の叔父なりけり」桃野には死別した先妻がいたか。

「築土」現在の新宿区津久戸町(つくどちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「奧口」家の奥の方へ通ずる出入り口。

「門」正門。

「中(なか)の口」屋敷の玄関と台所口の間にある入り口。

「よふは」「樣は」。

「無手取」読みは「むてどり」でよいか。得物(武器)を主たる法としては使用せずに、敵を討ち取る、組み伏せる術のことと採る。則ち、槍を用いたり、刀を抜いたりせずに(事実、彼はここでこの後、「一刀を帶(おび)て」向かっている)、今で言う、柔術や合気道のような技で、切創を与えずに捕縛することとする。

「取もかゝらず」突然の伊能の登場を気に掛ける様子もなく、何か有意に向かってくる感じや色を成して身構える挙動をしない、の意で採る。則ち、特に「取り掛かる風情もなく」「スウチ」底本の朝倉氏の注には『素打』とある。ネットのたのもうや@武道具店編の「剣道用語辞典」のこちらを読むと、剣道で正面の何も存在しない空間を力を籠めて「普通に対象物体を斬る運動をする」ことを指すようだ。我々が知っている「素振り」の「振る」というのは、斬るのではなく、「棒の一端を持って他の一端を動かす運動」を指し、意外かも知れぬが(私は一応、中学以来、大学まで剣道を選択してきた。ただ、幼年時に左肩関節の結核性カリエスに罹って変形しているため、遂に真っ直ぐに素振りをすることは出来なかった)、本来は自分の力を意識的に作用させて空間を斬っているのではない。同辞典によれば、『剣道で一番嫌うことは空間打突であり、空間で打突すれば』、『必ず』、『無駄な力でこれを空間でとめなければならない。その無駄力のブレーキが剣道上達の障害をなすものであり、それがいけないのである。素振りはどんなに早く激しくやってもよいが』、『素打ちはいけない』とあり、『今でも正面打ちを分解して一、二、三と掛声をかけながら』、『昔式の空間打突をやらせているところがあるが』、『これは即日改めるべきであろう』。『重心の上下動は剣道では禁物であり、正面打ちや上下振りも重心を落着けてすり足でやることが望ましい』とある。

「斜目(はす)」「なのめ」「ななめ」でもよいが、間延びして私は厭だ。

「寸、少々のびたれば」この「寸」は「ごく僅かな長さ」の意で採り、刀が(現在の自分が使うのに最も適した長さより)ごく僅かに長いだけでも、の意で採る。

「謐(しづ)め」「静謐(せいひつ)」の「謐」。「謐」も「静か。ひっそりと静かなさま。静かで平隠なさま」の意。

「水道端」神田上水路のあった現在の文京区小日向から東の文京区水道附近。(グーグル・マップ・データ)。

「四つ過頃」定時法ならば午後十時過ぎ。不定時法でも季節が冬と明記されているので、同時刻である。

「二貫め」七キロ五百グラム。]

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