諸國里人談卷之五 大蟹
○大蟹(おほがに)
三河國幡頭(はづの)郡吉良(きらの)庄富吉新田(とみよし〔しんでん〕)の海邊は大塘(〔おほ〕づゝみ)にして、根通りは石を以て築立(つきたて)、高さ、一丈二、三尺余(よ)、小山のごとくなるが、享保七寅八月十四日の大嵐にて、此堤(つゝみ)、切れたり。里人、多く出〔いで〕て、これを防ぐに、甲(こう)の徑(わた)り、七尺ばかりの蟹、出〔いで〕たり。水門の傍(かたはら)を穿(うがち)て栖(すみか)としける。其穴より潮(うしほ)、おし込(こみ)て、切〔きれ〕たる也。人夫大勢、棒・熊手を以て、追〔おひ〕まはしける。右の撛(はさみ)を打折〔うちをり〕たり。それながらにして、海中に、沈む。件(くだん)の撛は、人の兩手を束(つかね)たるがごとし。今、以て、時として、出けるなり。一方の撛、また、出生〔いでしやう〕ず。しかれども、左よりは、拔群(ばつぐん)、ちいさしと云〔いふ〕。
[やぶちゃん注:「三河國幡頭(はづの)郡吉良(きらの)庄富吉新田(とみよし〔しんでん〕)」現在の愛知県西尾市吉良町富好新田。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「根通り」堤の下部(特に河川側)のことであろう。
「一丈二、三尺余」約三メートル六十四センチメートルから三メートル九十四センチメートル。
「享保七寅八月十四日」グレゴリオ暦一七二二年九月二十四日。
「七尺」二メートル十二センチメートル。沿岸域に棲息するカニ類ではあり得ない。都市伝説の類いである。同定する気も起らぬ。
「撛(はさみ)」中国語で「挺」の意味があるから、すらりとした刃物のような意味はありそうだ。
「一方の撛、また、出生〔いでしやう〕ず」カニ類は自切行動をとり、自切線も有する。脱皮後に再生もする。再生鉗脚が有意に小さいのも問題ない。しかし、全長があまりに桁外れ。]