譚海 卷之三 少碌なる堂上の事
少碌なる堂上の事
○少碌なるをば鍋取公家(なべとりくげ)などといひて、案内(あない)をしらぬものは、爨炊(さんすい)をも自身せらるゝ樣に覺えたり、臺所などのぞき見らるゝ事は決してなき事也。少碌の公家衆は家々の雜掌(ざつしやう)に養はるるやうなるもの也。上﨟なる故、俸入のさしつかひも存知なく、大(おほ)やう成(なる)事にて、たとへばしかじかの品ほしきよし云付らるゝ。高價にて求(もとめ)がたけれ共(ども)、夫(それ)を雜掌成難(なりがた)き由(よし)はいはぬ事、只(ただ)唯諾(ゐだく)して果さず打置(うちおか)ば、又催促ある時畏(かしこま)りたりと斗(ばかり)りいひて打おき、自然と事の止(やむ)を待(まつ)斗(ばか)り也。雜掌奉公の樣子謹愼なるものにて、主卿(しゆぎやう)の用(もちひ)られし鼻紙、はき捨(すて)られし草履(ざうり)、朝夕の餐餘(さんよ)、衣服の破壞せしに至るまで、皆火に焚(たき)穴に埋(うづめ)て、苛(いささか)も暴露せず、外事(ほかのこと)に用ひ汚(けが)す事はせず、鬼神のものを取(とり)あつかふが如し。
[やぶちゃん注:一見、冒頭は「日本鍋取公家雑掌残酷物語」であるが、主の要求を「唯諾」(人の言うことをそのまま承知すること、或いはその返答)しながら、一向にそれに応じないというシークエンスはなかなかに、その公家の救い難い阿呆面が浮かんできて面白い。
「鍋取公家」老懸(おいかけ:武官の正装の冠に附けて顔の左右を覆う飾り。馬の尾の毛で扇形に作ったものを掛緒(かけお:冠や烏帽子を顎の下で結び留める紐)で装着した。「冠(こうぶり)の緒」「ほおすけ」とも言った)を付けた冠を被った公家。また、下級の公家を嘲って呼ぶ語。
「案内をしらぬものは、爨炊をも自身せらるゝ樣に覺えたり」「爨炊」(サンスイ)は炊事一般のこと。「爨」も「かしぐ」で「飯を炊く」の意。この部分、意味が採り難いが、「腐っても公家であるのだが、そんな手元不如意の落ちた公家の有様について、本来的な彼らの根っからの公家意識に通じない者(「案内を」知らぬ「者」)の中には、そうした貧乏公家は炊事をさえ自分でやるように思っている者がいると心得る――が、そんな下々の者の担当することは決して彼らはすることはないしない――」と言う意である。そうでないと、直後の「臺所などのぞき見らるゝ事は決してなき事也」とジョイントしない。
「大(おほ)やう」「大樣」。ここは世間知らずの極致を言うべき、途轍もなくいい加減で大雑把なさまを指す。
「主卿」この「卿」は単に高貴な人・貴族の意の尊称の添え辞。
「餐餘(さんよ)」この場合、僅かな残飯も含まれようが、寧ろ、殆んど、或いは全く手を付けていない、十分に食べるに値するような残り物の謂いでとるべきであろう。
「暴露せず」芥(ごみ)として家から出すことはしない。
「鬼神のものを取(とり)あつかふが如し」この「鬼神の」の「の」は所有格(主である公家)の格助詞で、主格(雜掌)ではない。御霊(ごりょう)たる鬼神に触れたものは畏れ多く、触れることを憚る神聖にして危険なものであるから、下々の者の目に触れぬよう、塵芥としてゴミ屋に出すことをせず、燃やして天に昇らせ、地に埋めて土に返すというのである。]