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2018/09/08

原民喜 淡章 《恣意的正字化版》

  

[やぶちゃん注:昭和一七(一九四二)年五月号『三田文學』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「拾遺作品集Ⅰ」のパートに配してある)、以上の書誌データと、歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今までのカテゴリ「原民喜のポリシー通り、そのように恣意的に処理した。

 本篇は現在、ネット上では未だ電子化されていないものと思われる。なお、私が既に同カテゴリで電子化した、初出誌未詳の、昭和四一(一九六六)年芳賀書店版全集第二巻に所収された「淡章」群岐阜以下の九篇。私のブログでは分割掲載した)とは同名異作であるので注意されたい。

 簡単に語注を附しておく。

 「榎」の主人公「千子」は個人的には「かずこ」と読みたい気がする。「もとこ」「ゆきこ」等の読みもある。

 「藏」の「躊躇ふ」は「ためらふ」。「猿の腰掛」は菌界担子菌門菌蕈(きんじん)綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科 Polyporaceae の漢方薬や民間薬とし用いられるそれ。

 「五位鷺」の「擘く」は「つんざく」。「對つて」は「むかつて」。

 「五月幟」の「罌粟」は「けし」。本邦では通常は双子葉植物綱キンポウゲ目ケシ科ケシ属ケシ Papaver somniferum を指す。「窄んで」は「つぼんで」或いは「すぼんで」。私は後者で読むが孰れでも。]

 

 

  

 

 誰だかよく解らないが、女學校の友達と一緖に千子は日の暮れかかつた海岸を步いてゐた。海水浴の疲れが路の上にまで落ちてゐるやうな時刻で、うつとりと頭は惱しくなるのだつた。路は侘しい田舍の眺めを連らね、それも刻々、薄闇に沒して行くのだつた。ふと、千子は甘く啜泣くやうに呼吸をした。すると、幼い頃のやはり、かうした時刻の一つの切ない感覺が憶ひ出されるやうだつた。

 見ると、路の曲り角に大きな榎が聳えてゐた。根元の方はもう薄暗くぼやけてゐたが、くねくねと枝葉を連らねた榎の方にはまだ不思議に美しい色彩が漾つてゐた。たしか、あの邊には藁屋根の駄菓子を賣る店が、ずつと昔からあつたやうに想へた。

 やがて、千子がその榎の側まで來た時である。足は自然に立留まつた。榎の根元には、大きな、黑い、毛の房房した動物が繫いであつた。千子はその何とも知れない動物に氣づいた時から、怖さはずんずん增して行つたが、動物の方では尊大に蹲つた儘、人の恐れを弄んでゐるやうであつた。怖さはもうどうにもならなくなつた。千子はとり縋るやうに友達の方を顧みた。

 ところが、伴侶の顏は吃と變つてゐた。突然、懷中電燈を點したかと思ふと、友達はすつすつと走りだした。懷中電燈の明りだけが向ふの闇にすつすつと走つて行く。そしてそれは眞直くこちらへ迫つて來るやうであつた。千子はパタパタひとりで逃げ惑つた。路は眞暗でどこをどう逃げてゐるのかわからなくなつた。そのうちに千子の足が叢に引懸ると、路傍に斃れてゐた死人の手がぐいとその足を摑んでしまつた。

 

  土藏

 

 夏の日盛りの庭を過ぎて、突當りに土藏がある。つゆは吸ひ込まれるやうに土藏の中に這入つて行くと、蹠に冷たい草履を穿いて急な階段を昇つて行つた。眼の霞むやうになつてからは、心の呆ける時が多かつたが、――慣れた階段を昇りつめると、手探りで窓を開いた。すると、飛込んで來る風が、梁に吊された燈籠の房をさらさらと搖るがし、小さな窓からは油照りの甍に夾竹桃の紅がはかなく見えた。

 つゆは錆びた鐵の引手の附いた簞笥の前に行つて、暫く蹲つてゐた。微かに睡氣をそそるやうな空氣の中に蹲つてゐると汗が襟首にじっとり滲んだが、つゆは何を探しにここにやつて來たのかもう忘れてゐた。それは針のめどを求めて躊躇ふ糸のさきに心がとろけて行くやうに快い瞬間でもあつた。

 いつの間にか、つゆは簞笥の上にある黑塗の函を抱へ降すと、その中に一杯詰つてゐる寫眞を取出してゐた。つゆは一枚一枚眼の近くへ寫眞を持上げて眺めた。だが、その繪は弱い視力のやうにひどく色褪せてゐた。ただ、乾燥した挨の淡い匂ひがつゆを闇の手探りへ導いて行くやうであつた。

 つゆは立上つて、薄闇の中をもう一つの窓の方へそろそろと步いて行つた。大きな長持の上にアイスクリームを造る道具があつた。嘗てつゆの亡夫が都會から求めたものである。白木の棚の上には、亡夫が愛用してゐた小道具の類が朧な闇に並べてあつた。鶴の恰好をした瓢簞、蜂の彫刻のある煙草入れ、籠の中にとり蒐められた猿の腰掛、――つゆはその側を通りながら、それらの存在を疼くやうに感じた。

 漸く、小窓の壁につゆの手は屆いてゐた。鐵の引手を把んで、つゆは重みのある窓をぐいとこちらへ引いた。すると、淸々しい朝の光線とともに、三十年前の異樣な光景が轟々と展開された。今、向うの靑空の下に白い大きな土藏が――これははじめてこの土藏が出來た時のことだつた――萬力の力によつて、見る見る方向を變へて行くのであつた。つゆは茫然として、足許がぐるぐる囘轉して行くやうであつた。

 

  五位鷺

 

 雄二はキヤツと叫ぶと、その聲が自分の耳まで擘くやうに想へた。その聲が五位鷺に似てゐるのだつた。キヤツと叫ぶ時、咽喉の奧から何か飛出すやうだ。そして、時々、どう云ふ譯か突然叫びたくなるのだつた。

 五位鷺は、晝間でもそつと池に降りて來て、鯉を攫つた。人の姿を見た時にはもう水の靑ばかりが殘されてゐるのだつた。

 父はランプの下で、謠を復習つた。その聲を聞いてゐると、雄二はとろとろと睡むたくなり、妖しく瞬く火影のむかうに不圖もの凄い翳を感じた。さう云ふ時、屋根の上を五位鷺は叫んで通つた。

 父は池に網を張つて、五位鷺を獲る工夫をした。ふと、雄二は父が五位鷺ではないかとおもつた。鞍馬天狗の話を聞くと、その天狗も父ではないかとおもへた。月の冴えた夜の庭から雄二がなにものかに攫はれてゆく夢をみたのはその頃のことだ。

 

 三十年後のことである。ある宵、彼は窓の向うに出た月を見てゐた。松の枝に懸つて、細く白い橫雲の下に、晚秋の月は冴えるとも冴え亙つてゐた。見てゐるうちに、彼はただならぬ興奮を覺えた。松も雲も空も叫んでゐるのだ。彼のゐる陋屋も今は消え失せたやうで、遠く深山のせせらぎの音が聞えた。攫つてゆけ、攫つてゆけ、と彼は月に對つて叫んだ。

 その夜、彼は寢床のなかで、ふと目が覺めた。ひとり耳を澄してゐると、たしかに五位鷺の渡る聲がした。

 

  五月幟

 

 どこかで、娯しさうな子供がひとり進んでゐた。罌粟の花が咲いて、屋根の瓦の上には晝前の靑空が覗いてゐる。靑空は背伸びして、その子供を見つけようとする。すると、子供の方はそつと隱れるので、罌粟の花が笑ひ出す。子供は跳ねだして、罌粟の花を搖すぶる。子供は風だ、微風であつた。

 しかし、もう一人の子供は夜具の中で、ぼんやりと眸を開いてゐた。その眼は生れてからまだ一度も笑つたことのない眼であつた。眼ばかりではない、顏も手足も日蔭の植物のやうに靑白く、寢かされてばかりゐるので、頭は扁平になり、首筋はだらりと枕に沈んでゐた。誰かが彼の名前を呼ぶと、虛ろな表情の儘、微かに「うん」と答へる。それが生れて以來今日までの彼の唯一の言葉であつた。

「松ちやん、松ちやん、松ちやん」

 母親はよく松雄の返事を求めて夢中であつた。しかし、この二三日、松雄は母親の呼聲にも應へなかつた。そして、いつの間にか額に幼い皺が刻まれてゐた。

 

 もう一人の子供は跳ね𢌞つた揚句、ふと、いいものを見つけた。見上げると高い竿の上に大きな鯉幟がさがつてゐた。鯉幟は今、だらりと窄んでゐるのであつた。「よし」と、子供は跳ね上つた。すると、鯉幟はふわりと脹んでゆき、ゆるゆると空を泳いだ。「泳げ、泳げ」と子供は夢中で叫んだ。

 幟の鯉はぐるぐる𢌞つて、松雄の家の高窓の方へ姿を現した。松雄のうつろな眼に、大きな異樣なもの影が映ったのはその時である。彼はかすかに脅えたやうに、そして、かすかに誰かに應へるやうに、「うん」と靜かな聲を洩した。

 

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