反古のうらがき 卷之四 やもめを立し人の事
○やもめを立し人の事
もろこし荆溪(けいけい)といへる所に、何がしとなんいへる人ありける。其むすめ、某氏、とし十七にして、同じ家がらよき人にゆきけるが、程もなくて、おつと[やぶちゃん注:ママ。]、身まかりてけり。かゝるなげきの中にも、幸にわすれがたみをやどしければ、これをちからとして、月のみつるを待(まち)けるが、當る月に男の子をぞ、もふけける[やぶちゃん注:ママ。「儲(まう)ける」。]。
氏はこれをもりそだてゝ、よくやもめを守りしによりて、此事、上に聞へて、節婦の名を賜り、物おゝく[やぶちゃん注:ママ。]たびけり。
とし八十餘に及ぶ迄、家富(とみ)さかへ、子孫繁昌してける。
後(のち)、おわりにのぞみて、媳(よめ)・孫婦(そんふ)[やぶちゃん注:男性の孫の妻のこと。]等(ら)を枕のもとに呼び迎けて、いふよふ[やぶちゃん注:ママ。]、
「人々、我家によめりて、偕老(かいらう)のちぎり百年(もゝとせ)もかわらでおへなん事は、さいわい[やぶちゃん注:ママ。]の中にも殊に目出度(めでたき)ことになん[やぶちゃん注:結びの省略。]。もし、不幸にして年若くてやもめならん人あらば、よくよく事のよふ[やぶちゃん注:ママ。「樣(やう)」。]を考へ、やもめを立(たつ)べきか、別に人にゆくべきかとを定めて、のち、いづれともなすべきぞ、一概にやもめを立ると定(さだめ)るは、あしかるべし。なまじいに仕出(しいだ)して、事仕果(ことしは)てぬは、人の笑ひものぞ。此斗(はか)らひも、亦、大なる方便ぞ。」
といひければ、媳(よめ)等は目を見合せて、
「年老(としおひ)て病(やまひ)もおもらせ[やぶちゃん注:「重らせ」。]玉ひたれば、かゝるすぢなき言(いひ)いひ出で玉ひけり。」
とて、よくも聞かで居(ゐ)にけり。
氏、重ねていゝけるは、
「やもめを立るといふこと、實(まこと)にいひがたき事なり。おのれは其中を經(へ)て來(き)にたれば、其味をよくしりたり。いざ、かたりきこへん。」
といひけるにぞ、みな、しづまりて、きゝけり。
[やぶちゃん注:以下は底本ではも改行がなされてある。]
「扨、いふ、おのれ、やもめを立(たて)し時は年十八なりけり。家がらの娘は、下下(しもじも)の如く、二夫(にふ)にまみゆるといふことはなきことなれば、中々に改めて他(ほか)にゆくべきこゝろ、なし。ましてや、わすれがたみをいだきたれば、絶(たえ)てこころの動くこともなくて、すぎけり。
されども、若き女のひとりねは、いとどさへさびしきに、秋風の萩の葉ずへをわたる夜半に、入る月のさやかに窓のうちにさし入(いる)など、心うきこといわん方なし[やぶちゃん注:ママ。]。
又は、ともし火のくらく、深(ふけ)て行く夜に、蟲の音(ね)、雨の聲(おと)、木の葉のとぶ聲(こえ)などきくときは、ねやのふすま、ひへ[やぶちゃん注:ママ。]わたり、獨り其中に打(うち)ふして永き夜を待明(まちあか)すぞ、又なく、心ぐるし。
かくすること、度々なる中に、
『さりにし夫がいとこなり。』
とて、年頃、夫に似合(にあひ)たる人、しうと[やぶちゃん注:「舅」。]がり、訪ひ來て、吾家(わがや)を宿として日久しく居(ゐ)にけり。
其人、年の頃の似たるのみならず、おもざし・物いふさま迄、吾(わが)夫によく似て、殊にうるわしく生れ付(つき)たる人なりければ、これを一目見しより、心、われならず動き出で、とゞめんとすれども、其かひなし、日每々々に思ひ積りて、果(はて)は、吾をわすれて立(たつ)よふにぞ有ける[やぶちゃん注:「よふ」はママ。(恐らくは夜寝ていても)無意識のうちに起き上がって立ち歩くような感じになってしまったのであろう。男にあくがれて体が動くのである。]。
一と日、宵の間(ま)より雨ふりて、いとゞ心うき夜、人の寐(ね)しづまりし時、ひそかにねやを忍び出で、幾重(いくへ)かのへだてを越(こえ)けるが、よくよく思ひめぐらすに、
『父母のおしへもなく、いやしくおひ立(たち)ぬる女こそ、かゝる時に、たへかねて恥なきことも、なしつらめ、[やぶちゃん注:「こそ~(已然形)、……」の逆接用法。]われもこれと同じわざし侍らば、後に悔(くい)たりとも、かひあらじ。』
とて、立歸りけるが、
『さりとて、又も、かゝるおりもあるべからず、一夜(ひとよ)ぎりのことならば、など、くるしからん。』
とおもふにぞ、引(ひき)とゞむべきよふなく、又、貮足、三足、忍ぶ程に、俄(にはか)に人ありて、
「あれはいかに。」
といふにぞ、大におどろき、逃げかへりて、きぬ、引(ひき)かづきていきもせず、よくよく聞(きく)に、先に寢たるはしたの女(め)が、寢(ね)ぼけて、たはごといふにてぞありける。
『よしなきことにさまたげられけり。』
と思ひけれど、再び忍び出(いづ)ることも、なにとなくさまたげがちにて、其夜はおもひ止(とどま)りしが、とかくにおもひ止(や)まで、幾重の隔(へだて)を打越(うちこえ)て、其人の伏しける處に行(ゆき)て、思ひのたけを語るにぞ、同じ心に打(うち)とけて、伏戶(ふしど)[やぶちゃん注:「臥所」。]に入らんとせし時に、こはいかに。
床の上に、おもても手足も血にまみれたる人、ありけり。
よくよく見るに、さりにし夫にてありければ、
『淺まし。』
と思ひて、聲を上げて泣(なき)ける、と見て、獨り寐(ね)の夢は醒(さめ)にける。
しばしありて思ひみるに、
『吾ながら、はづかしき仇(あだ)ごころかな。先の夫が靈魂(みたま)は、まさに夢中のありさまのごとくなるべし。』
と思ふにぞ、おそろしく、かなしくて、此よりのち、かゝる仇(あだ)しき[やぶちゃん注:危ない。]こゝろを起さず、我にもあらで、六十餘年を經(へ)にたれば、「節婦」の名をもよばるゝよふ[やぶちゃん注:ママ。]になりしも、はじめより、かく、やもめを守るべきこゝろにては、あらざりけり。
彼(かの)閨を忍び出(いで)たる時、はしためが、たわ言(ごと)[やぶちゃん注:ママ。]なかりせば、仇なる心をとげはつべし。さらずとも、おそろしき夢なかりせば、再び、三たび、此心おこりてやまざるべし。
かくて、寡婦(やもめ)を守るとも、よく守り果(はつ)べしとも覺へず[やぶちゃん注:ママ。]。
さあらんよりは、舅・姑に告(つげ)て、改(あらため)て他に行くこと、大なる方便なりとはいふなり。」
とぞかたりける。
此事、「諧鐸(かいたく)」といへる小説に載(のり)たり。おもしろく思ひ侍れば、こゝに譯(やまとよみ)して、からぶみ[やぶちゃん注:「唐文」。漢文。]讀まぬ人に、しらせつ。
[やぶちゃん注:読み易さを考えて改行を施した。最後の桃野の言葉は一行空けた。「反古のうらがき」の中に出る初めての本格中国物である。モノクロームでイタリアのネオ・リアリスモ風に撮ってみたい、いい訳文である。
「荆溪」現在の江蘇省常州市金壇市荊渓村であろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「蟲の音(ね)、雨の聲(おと)、木の葉のとぶ聲(こえ)」読みは私の趣味で変化を持たせて附した。
「諧鐸」清の沈起鳳(しんきほう)の書いた文言小説集。同じ清の先行する蒲松齢の志怪小説集「聊斎志異」の影響を受けて書かれた志怪回帰的作品群の一。全十二巻百二十二篇。原刻版は一七九一年成立。本話は第九巻の「節母死時箴」。中文ウィキソースのこちらにある原文を少し漢字と記号を変更・追加して示す。
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節母死時箴
荊溪某氏、年十七適仕族某、半載而寡、遺腹產一子。氏撫孤守節、年八十餘、孫曾林立。
臨終、召孫曾輩媳婦、環侍牀下、曰、「吾有一言、爾等敬聽。」。衆曰、「諾。」。氏曰、「爾等作我家婦、盡得偕老百年、固屬家門之福。倘不幸靑年居寡、自量可守則守之、否則上告尊長、竟行改醮、亦是大方便事。」。衆愕然、以爲惛髦之亂命。氏笑曰、「爾等以我言為非耶。守寡兩字、難言之矣。我是此中過來人、請爲爾等述往事。」。衆肅然共聽。曰、「我居寡時、年甫十八。因生在名門、嫁於宦族、而又一塊内累腹中、不敢復萌他想。然晨風夜雨、冷壁孤燈、頗難禁受。翁有表甥某、自姑蘇來訪、下榻外館。於屛後覷其貌美、不覺心動。夜伺翁姑熟睡、欲往奔之、移燈出戶、俯首自慚、囘身復入、而心猿難制、又移燈而出、終以此事可恥、長歎而囘。如是者數次、後決然竟去。聞灶下婢喃喃私語、屛氣囘房、置燈桌上、倦而假寐、夢入外館、某正讀書燈下、相見各道衷曲。已面攜手入幃、一人趺生帳中、首蓬面血、拍枕大哭。視之、亡夫也、大喊而醒。時桌上燈熒熒作靑碧色、譙樓正交三鼓、兒索乳啼絮被中。始而駭、中而悲、繼而大悔。一種兒女子情、不知銷歸何處。自此洗心滌慮、始爲良家節婦。向使灶下不遇人省、帳中絶無噩夢、能保一生潔白、不貽地下人羞哉。因此知守寡之難、勿勉強而行之也。」。命其子書此、垂爲家法、含笑而逝。
後宗支繁衍、代有節婦、間亦有改適者。而百餘年來、閨門淸白、從無中冓之事。
鐸曰、「文君私奔司馬、至今猶有遺臭、或亦卓王孫勒令守寡所致。得此可補閨箴之闕。昔范文正隨母適朱、後長子純祜卒、其媳亦再嫁王陶爲婦。宋儒最講禮法、何當時無一人議其後者。蓋不能於昭昭伸節、猶愈於冥冥墮行也。董相車邊、宋王白畔、益歎爲千秋之僅事矣。」
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悪夢から醒めた直後のシークエンス(桃野の訳ではカットされている)が非常に優れている。]