反古のうらがき 卷之三 打果し
○打果し
いつの頃にか、若侍二人ありけるが、ともに武邊をはげみて、常に心も剛(こう)なりけり。いかなることにや、いゝ[やぶちゃん注:ママ。]爭ふことありて、はては、互に「一分(いちぶん)立難(たちがた)し」などいふ程に、「打物(うちもの)の勝負して雌雄を決すべし」といふこととはなりぬ。されば場所よき所を選みて、「明朝、立合ふべし」と約して別れけり。既に其日になりければ、朝霜(あさじも)踏(ふみ)しだきて、年壹つおとりたる方、まづ其場に到れり。しばしありて年增(まさ)る方(かた)、來れり。出向(でむか)へて見れば、必死を極めたると見へて、草履もはかで、素足也。こなたも、「不覺なりけり」とて、草履ぬぎすて、「いざ、參らん」とて、刀ぬき合、しばし打合ふに、年增る方、其すきを伺ひ、足をのべて、敵のぬぎすてし草履をかきよせて、はきけり。としおとれる方、是を見るとひとしく、うしろざまにかへりみて、雲霧(くもきり)の如くにげ去りて、影をだに見ずなりぬ。これは年增りたる方は必死を極(きはめ)たるにあらず、途中にて草履踏切(ふみきり)たる故に、是非なく素足にて霜の中を踏み來りしが、敵があやまりて『必死』と見て、吾が不覺を悔ひ、草履脱(ぬぎ)すてつるを、膽太(きもふと)く奪ひて、足のひへ[やぶちゃん注:ママ。「冷え」。]をのがれし也。かゝれば、年おとれる方は、かへすがへす、不覺を取(とり)たることにて、勝負のほども心元なく、自然(おのづ)とおくれ出(いで)、立(たち)こらふべくもあらず、忽(たちまち)に逃去りたる也とぞ。人々、許しけるとぞ。かかればふるまひの中に不覺のことあれば、勝負にかゝはること多し。武邊に志し深き人は、思慮も深からんことぞ、ねがはし。
[やぶちゃん注:標題「打果し」は「うちはたし」で、果し合い・決闘のこと。]