フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 20250201_082049
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 反古のうらがき 卷之三 ふちがしら | トップページ | 反古のうらがき 卷之三 金貮枚刀 »

2018/09/13

反古のうらがき 卷之三 打果し

 

    ○打果し

 いつの頃にか、若侍二人ありけるが、ともに武邊をはげみて、常に心も剛(こう)なりけり。いかなることにや、いゝ[やぶちゃん注:ママ。]爭ふことありて、はては、互に「一分(いちぶん)立難(たちがた)し」などいふ程に、「打物(うちもの)の勝負して雌雄を決すべし」といふこととはなりぬ。されば場所よき所を選みて、「明朝、立合ふべし」と約して別れけり。既に其日になりければ、朝霜(あさじも)踏(ふみ)しだきて、年壹つおとりたる方、まづ其場に到れり。しばしありて年增(まさ)る方(かた)、來れり。出向(でむか)へて見れば、必死を極めたると見へて、草履もはかで、素足也。こなたも、「不覺なりけり」とて、草履ぬぎすて、「いざ、參らん」とて、刀ぬき合、しばし打合ふに、年增る方、其すきを伺ひ、足をのべて、敵のぬぎすてし草履をかきよせて、はきけり。としおとれる方、是を見るとひとしく、うしろざまにかへりみて、雲霧(くもきり)の如くにげ去りて、影をだに見ずなりぬ。これは年增りたる方は必死を極(きはめ)たるにあらず、途中にて草履踏切(ふみきり)たる故に、是非なく素足にて霜の中を踏み來りしが、敵があやまりて『必死』と見て、吾が不覺を悔ひ、草履脱(ぬぎ)すてつるを、膽太(きもふと)く奪ひて、足のひへ[やぶちゃん注:ママ。「冷え」。]をのがれし也。かゝれば、年おとれる方は、かへすがへす、不覺を取(とり)たることにて、勝負のほども心元なく、自然(おのづ)とおくれ出(いで)、立(たち)こらふべくもあらず、忽(たちまち)に逃去りたる也とぞ。人々、許しけるとぞ。かかればふるまひの中に不覺のことあれば、勝負にかゝはること多し。武邊に志し深き人は、思慮も深からんことぞ、ねがはし。

[やぶちゃん注:標題「打果し」は「うちはたし」で、果し合い・決闘のこと。]

« 反古のうらがき 卷之三 ふちがしら | トップページ | 反古のうらがき 卷之三 金貮枚刀 »