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2018/09/25

柳田國男炭燒小五郞が事 七

 

      七

 例へば江戸周圍の平原の如きは、村が少ない爲か採鑛地が遠い故か、いつ迄も金屋の移動が止まなかつたやうである。尤も鍛冶屋の方だけは國境の山近くに、領主の保護を受けて二戸三戸づゝ、さびしく土着した者が農村の中にまじり、由緖は記憶し技藝は忘れてしまつて、後は普通の耕作者になつて居るが、鑄物師の部落は佐野の天明(てんみやう)武藏の川口等、取續いて土着して居た者は至つて稀であつて、他の大部分の工人等の、地方の需要に應じて居た者は、空しく遺跡のみを殘留して、皆どこへか立ち去つてしまつた。現在武藏相模の中間の樹林地に、カナクソ塚などゝ云ふ名のある小さい塚の、附近から多量の鐵の滓を發掘するものが多いのは、何れも鐵の生産地とは關係無く、他に想像の下しやうも無い彼等の仕事場である。又カネ塚又はカナイ塚と稱して、小さな封土の無數にあるのも、或は之を庚申の祭場に托する人もあるが、他の府縣に在るカネイ場と云ふ地名と共に、是も金を鑄る者の假住の地であつたらしい。彼等は單に在來の塚に據つて、露宿の便宜を求めたのか。仕事の必要から時として自ら之を構へたか。はた又別に信仰上の動機でもあつたものか。之を決定することはまだ六かしいが、兎に角に是が塚の名になつて殘るのには、單に稍長い滯留のみで無く、或期間を隔てゝ繰返し、同じ場處に訪ひ寄ること、富山の藥屋や奧州のテンバ[やぶちゃん注:嘗て山間や水辺を漂泊して川漁や竹細工などを生業とした民「サンカ」「山窩(さんか)」の別称。恐らくはその放浪形態に基づく「転場」である。]のやうな、習性があつたことを想像せしめる。殊に金吹きの勞作には、人の手を多く要した。今のイカケ屋のやうな小ぢんまりとした道具では旅は出來なかつた。猿蓑集[やぶちゃん注:蕉門の最高峰の句集とされる俳諧七部集の一つ「猿蓑」(松尾芭蕉監修/向井去来・野沢凡兆編/宝井其角序/内藤丈草跋)。元禄四(一六九一)年刊。]の附合の中に、

     押合うて寢ては又立つかり枕

     たゝらの雲のまだ赤き空

 とあるのは、おそらくは貞享[やぶちゃん注:一六八四年~一六八八年。]頃までの、武藏野あたりの普通の光景であつて、或は妻子老幼をも伴のうた物々しいカラバン姿が、相應にい印象を村の人に與へた結果ではないかと思ふ。

[やぶちゃん注:「猿蓑」の引用は正確な表記では、

 押合て寢ては又立つかりまくら   蕉

  たゝらの雲のまだ赤き空     來

で、謂わずもがなであるが、前句が芭蕉の、付句が去来の作である。

「カラバン」砂漠を隊を組んで行く隊商の意の英語“caravan”(キャラヴァン。ペルシャ語の「旅行者の一団」の意が語源)、ある目的のために隊を組んで各地を回るその様態。]

 タヽラと云ふ地名も亦無數に殘つて居る。此徒は燃料の豐富なる供給を要とした他に、尚水邊に就てその臨時の工場を開設せねばならぬ事情が有つたと見えて、沼地の岸、淵川の上などに、タヽラと呼ばるゝ地があつて、前代の金屋の事業を語り、さうで無くても鐵の澤を掘り出すものが多く、しかも其主はもう行方を知らぬのである。水の神が鐵を怖れると云ふ話、或はそれと反對に、釣鐘其他の金屬の器を、極度に愛惜すると云ふ物語は、踏鞴師(たたらし)のことに重きを置くべき言傳へであるが、今は一般の俗間に弘く分布して居るのも、何ぞの因緣らしく考へられる。炭燒藤太が將に運勢の絶頂に辿り付かんとするとき、必ず水鳥の遊ぶ水の邊を過ぎて、天下の至寶を無益の礫[やぶちゃん注:「つぶて」。]に打たずんば止まなかつたのは、所謂隴畝[やぶちゃん注:「ろうほ」。「壟畝」とも書く。「畝(うね)と畦(あぜ)・田畑」転じて「田舎・民間」。]に生き送つた單純な人々には、寧ろ聊か皮肉に失したる一空想であつた。或は此話が金を好むこと彼等に越えた者の、草枕の宵曉[やぶちゃん注:「よひあかつき」。]に靜かな水の面を眺めつゝ、屢想ひ起し語り傳へた昔の奇談であつたとしても、尚今一段と丁寧なる説明、例へば其鳥は神佛の化する所にして、夫婦を導いて新たなる發見の端緖を得せしめたと云ふ類の、信心の奇特などを附け加へる必要があつたかと思ふが、旅の金屋は亦之を爲すにも適して居たやうである。關東地方に於けるカナイ塚の築造、殊に其保存と尊敬は、或はまだ宗教的の起原を證するに足らぬかも知れぬが、次第に北に進んで下野の山村に入れば、金井神若くは家内(かない)神社などゝ書く神が著しく多くなり、福島宮城山形の三縣に於ては、其數が更に加はつて、その或ものは鍛冶鑄物師の筋を引く家に、由緖を以て祭られ、他の大部分は普通の村に、只の祠(ほこら)となつて祭られて居る。卽ち此徒の第二の業體、若くは少くとも旅行の補助手段が、斯う云ふ特殊の信仰の宣傳であつたことは、これでもう疑が無いのである。中部日本の金屋の神は、今は唯霜月八日の吹革(ふいご)祭に、近所の小兒たちが蜜柑を拾ひに參加するだけであるが、海南屋久島(やくのしま)などに行けば、鍛冶屋神は村中から信ぜられて居た。白齒[やぶちゃん注:「しらは」。嘗て女性は結婚すると鉄漿(かね=お歯黒)をつけたことから、「未婚女性」の意。]のうちに身持ちになる女があれば、此神に賽錢を納めて鐵滓(かなくそ)を申請け來り、此に唐竹(たうちく)[やぶちゃん注:単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科トウチク属トウチク Sinobambusa tootsik。]と柳との葉を加へ、煎じてその婦人に飮ましめる。魔性蛇體などの種ならば忽ちに下りてしまひ、人の子であれば何の障[やぶちゃん注:「さはり」。]もないと謂つたさうである。屋久では此神を槖籥神(とうやくしん)、又は金山大明神と呼ぶと謂ふが、他の島々ではどうであらうか。中國地方の鐵産地に於ては、多くの村に金鑄護(かないご)又は金屋子といふ祠あり。金屋既に去つて後も、神のみは留まり、此も學問ある神官に由つて、金山彦命などと屆けられて居るが、人は依然として之をカナイゴサンと稱へるのである。備後の双三郡[やぶちゃん注:「ふたみぐん」。現在の三次(みよし)市の大部分に相当する。]に行はるゝバンコ節は俚謠集にも出て居る。曾てタヽラの作業の折に歌つたものが、遺つて昔を語るのである。

    たゝら打ちたや、此ふろやぶへ

    鹽と御幣で、淨めておいて

    いはひこめたや、かないごじんを

山脈を隔てゝ出雲の大原郡にも、又別種のタヽラ歌がある。

    ヤーむらげ樣がナーよければナー

    炭燒さまもよけれ

    イヤコノ世なるでナ

    その金が金性がよいわ

ムラゲは鎔爐[やぶちゃん注:「ようろ」溶鉱炉。]のことであるらしい。炭燒樣も爰ではもう祭られる神であつた。

[やぶちゃん注:「バンコ節」これは踏鞴(たたら)を踏んで風を起こし続けるのを担当した「番子(ばんこ)」の労働唄と思われる。数日に及ぶ絶え間ない連続作業で、交代で踏鞴番を代わったことから、現在の「かわりばんこ」の語が生まれたとされている。

「俚謠集」文部省文芸委員会編の大正三(一九一四)年国定教科書共同販売所刊。当時の文部省が全国の府県提出を命じて蒐集した俗謡集成(但し、東京・大阪を始めとして十五府県は提出されなかったのでそれを欠き、歌詞に特徴のあるものを採用し、一般的なものと猥褻なものは省き、手毬歌・子守歌等の童謡に類するものは一二の例外を除いて採用しなかった、と緒言にあって、なんとなく面白い)国立国会図書館デジタルコレクションの画像縣」で視認出来る。最後に『是は昔たゝらに唄ひしもの』『(雙三郡)』とある。

「此ふろやぶへ」「このふろやぶへ」であるが、「ふろやぶ」というのが判らぬ。「風呂」は「炉」の意があるが、だとすると「藪」は複数の炉が集合している箇所を指すか。或は「ふろ」は「ふうろ」の短縮形であるから、「風露」で「風と露」、「この風が冷たく、露がおりるこの山間(やまひ)の藪の辺りへ」の意とも採れなくはない。識者の御教授を乞う。

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