反古のうらがき 卷之一 奇病 / 反古のうらがき 卷之一~了
○奇病
いつの頃にや、或太守の、姬君一人持(もち)玉ひけるが、二八(にはち)の春を向へて、花の姿、世にいつくしく生立(おひたち)玉ひけり。父母の、よろこび、めで玉ふものから、よき婿君もがなと、よりより尋(たづね)玉ひけり。此姬、自(みづ)から思ひ玉ふに、十二分の顏色、かく處はなけれども、少し鼻の大きく思ひ玉ふにぞ、つねづね心にかゝり玉ひけり。或日、何心なく自から探り見玉ふに、鼻の大きさ、こぶしの大きさになりけり。「こわ[やぶちゃん注:ママ。]。そもいかに」と驚き玉ふ。いよいよ大きくなりて、おもてとひとしくなりけり。今はたまりあへず、衣(ころも)引(ひき)かづきて伏し玉ひけるが、いよいよ大きくなるにぞ、聲を上(あげ)て泣叫(なきさけ)び、物狂るはしく見え玉ひける。人々おどろき、そのよふ[やぶちゃん注:ママ。]を聞くに、「吾、何の因果にや、かゝる奇病にかゝりたれば、とても人に面(おも)てを見すること能はず。此儘、飮食を絕ちて死(しな)んと思ふなり」とて、絕(たえ)て飮食もし玉はざりけり。其頃、名醫の聞へありける何某とかいへる者、御藥りすゝめけれども、つやつや用ひもし玉はざりけるを、父母、せちにすゝめ玉ひければ、止事(やむこと)を得ず、用ひ玉ひけり。數日を經て少しづゝちいさくなりて、元の如くになりけり。姫君、うれしく、鏡を取(とり)て見玉ふに、元より少し小ぶりになりて、人並みになりて、はじめ、心にかゝりけるも、「此病(やまひ)のつひで[やぶちゃん注:ママ。]に、ちいさくなりつることこそめでたけれ」とて、殊に黃金(こがね)あまたをたびて、醫師に謝し玉ひけるとなん。これは世にある病にて、鼻の大きになるにあらず、かゝる心持に覺ゆる心の病也と、後、醫師、人に語りけると聞けり。
予が友櫻園(わうえん)鈴木分左衞門も、この病を煩ひけり。これは手の大きくなるよふに覺ゆる病也。夜の間は殊(ことに)甚しく、衾(ふすま)の内にて、だんだんと大きくなりて、後には箕(み)の大さ程になるよふなれば、ともし火の下に出して見れば、何もかわることなし、眼を閉て寐んとすれば、だんだん大きくなる、探りてみるに、やはり大きなるよふ也。かかる故に寐ること能はず、燈火、明(あかる)くして、手を見つめて、夜を明(あか)すより、外なし。外に苦しむ處なしといへども、身の疲るゝこと甚しく、大病となりけり。肝氣の病なるべし。これも數月の後、癒(いえ)たり。予も訪ひ行けるに、「先(まづ)、病も癒侍り」とて、手を出(いだ)して撫でつさすりつして、「人に見せ侍りては、初(はじめ)より手の病にては非ざる物を、手を見たりとて何にかせん、かゝればこれはも肝氣の病とは知りながら、兎角に手の大きくなる病と思ふ心は忘れがたしと見ゆ」とて、人に語りて笑ひけり。されば、彼(かの)姬君の鼻の、前よりちいさく成(なり)たるよふに覺(おぼゆ)るも理(ことわ)りこそ、と思ひ合せて、同病とおもわるゝ也[やぶちゃん注:ママ。]。
[やぶちゃん注:本話が「反古のうらがき 卷之一」の最終話である。本話は既に『柴田宵曲 妖異博物館 「氣の病」』の私の注で電子化しているが、今回はゼロからやり直した。
「櫻園鈴木分左衞門」は底本の朝倉治彦氏の注によれば、鈴木桃野の友人で、大田南畝の門人であった鈴木幽谷。「櫻園」(おうえん)は号。幕府徒(かち)目付を勤め、諸著作がある、とある。
「肝氣の病」と断じているのは、洋の東西を問わぬ面白い一致である。西洋でも古代より「メランコリア」(現行の鬱病や抑鬱症状)は「胆汁質」タイプ(体質・性質)に発生し易い病いとされ、肝臓を病原臓器として強く挙げているからである。]