大和本草卷之十三 魚之上 アユモドキ
【和品】
アユモドキ 其形色恰如鰷ニシテ口ニ泥鰌ノ如ナルヒゲア
リ山州桂川ノ名物也其上流嵯峨ノ大井川ニモア
リ大ナルハ一尺ハカリアリ身ト尾トアユニ似テ頭ハ不似
頭ハ粗ドヂヤウニ似タリ凡大井川ニアユスマスイダアメノウ
ヲアユモドキミコ魚ナトアリ
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
アユモドキ 其の形・色、恰も「鰷〔(アユ)〕」のごとくにして、口に「泥鰌」のごとくなる「ひげ」あり。山州桂川の名物なり。其の上流、嵯峨の大井川にもあり。大なるは一尺ばかりあり。身と尾と、「アユ」に似て、頭は似ず、頭は粗〔(ほぼ)〕「ドヂヤウ」に似たり。凡そ、大井川に「アユ」すまず。「イダ」「アメノウヲ」「アユモドキ」「ミコ魚〔(ウヲ)〕」など、あり。
[やぶちゃん注:本邦固有種の条鰭綱コイ目ドジョウ科アユモドキ亜科 Parabotia 属アユモドキ Parabotia curtus。御覧通り、アユとは無縁なドジョウの仲間である(但し、ドジョウの行う空気呼吸はしない。和名は特に尾鰭がアユのように中央が縊れて上下に分岐していることに由る)。絶滅危惧IA類(CR)。ウィキの「アユモドキ」より引く。現在、棲息が確認されているのは『京都府亀岡市の桂川水系、岡山県の旭川・吉井川水系』のみで、『琵琶湖・淀川水系(宇治川、鴨川、木津川、清滝川)、岡山県の高梁川水系、広島県の芦田川水系では』、『絶滅したか』、『ほぼ絶滅したと考えられている』。『同じアユモドキ亜科のBotia属、Leptbotia属が、インドシナ半島に生息する』。『分布の中心域は東南アジアから中国南部であり、日本のアユモドキの分布はその縁辺部にあたる』。『日本淡水魚ではアユモドキ(Leptobotia
curta)が唯一のボティア系の魚であり』、『そのため』、『本種は日本産淡水魚の起源と分散経路を探究する手がかりとなり』得、『動物地理学的にきわめて重要な種であると考えられている』。全長は十五~二十センチメートルで、『体形は側扁』し、『背面や体側面の色彩は黄褐色で、腹面の色彩は白』。『頭部も鱗で覆われ』ている。『体側面は小型の円鱗で覆われ』、『側線は明瞭』。『上顎の吻端に左右に』二『本ずつ、下顎の口辺に左右に』一『本ずつ、計』六『本の口髭がある』。『眼下部に左右に』一『本ずつ』、『先端が二股に分かれた棘状突起がある』。『形態や分子系統解析からアユモドキ亜科Botinaeを、独立した科Botiidaeとする説もある』。『以前はLeptobotia属に分類されていた』。『河川の中・下流域、水路などに生息し、底質が砂礫や砂泥で石組みなどの遮蔽物が多い環境を好む』。『生息地の水質階級は岡山県の報告例では貧腐水性もしくは貧腐水性に近い中腐水性βで、水温は夏季も』摂氏三十度『を超えない水質に生息していた』。『日本に分布するドジョウ類では唯一』、『底層ではなく』、『中層に生息し、遊泳性が強い』。『薄明薄暮性で、昼間は物陰などに潜む』。『底棲のトビケラ・ユスリカの幼虫などの昆虫、イトミミズなどを食べ』、『仔魚や稚魚はプランクトンや付着動物などを食べる』。六~九月に♀一尾を♂が一尾『もしくは複数尾で追尾し、体側を擦り合わせるようにして放卵・放精する』。『河川の氾濫や水田の灌漑によって生じた一時的な水場で』、『流れが緩やかで陸生植物が繁茂し』、『一定期間水位低下がない環境でのみ産卵する』。生後二年で『成魚になる』が、『一方で生後』一『年で性成熟したオスが発見された例もある』。『滋賀県の方言で「あいはだ、うみどじょう」、岡山県の方言で「あもず、きすうお」』、『京都方言で「ウミドジョウ」』『と呼称される』(この異名「ウミドジョウ」の「ウミ」は、かつて棲息していた「琵琶湖」を指す。「あいはだ」の「あい」は「アユ」か)。『食用とされ、琵琶湖で漁獲されることもあった』。『河川改修や圃場整備による生息地や産卵場所の消失、堰による移動の妨害、水量低下などにより生息数が減少したと考えられている』。『カワウや人為的に移入されたオオクチバスによる捕食によっても生息数が減少している』。『後述するように法的に採集は禁止されているが、密猟される事もある』。『桂川水系で最大の生息地であった八木町(現:南丹市)の個体群は』一九八七年から一九八八年に、『冬季に越冬場所が枯渇してから』、『生息が確認されず』、『絶滅したと考えられ、飼育下で系統が維持されるのみとなっている』。『日本では』一九七七年に『国の天然記念物に指定されて』おり、二〇〇四年には、「種の保存法」により』、『国内希少野生動植物種に指定されている』。『休耕田を利用した産卵場所の整備、礫の設置による生息環境の改善、保全調査、保全団体や地方自治体による啓蒙活動、密漁者の監視などの保護対策が進められている』。二〇一五年『現在における生息数』は約八百頭と推定』されており、『桂川水系個体群は』二〇一四年の報告では成魚の生息数は』十『年間で』八十~七百三十尾と『推移している』。『旭川水系個体群は』二〇一〇年から二〇一五年に五十~百六十尾が『産卵場所で確認されている』。『吉井川水系個体群の生息数は』三十~五百尾と『推定され』、二〇一五年に『おける生息数は約』二百十尾『推定されている』。『人工孵化や飼育法は確立しており、神戸市立須磨海浜水族園、滋賀県立琵琶湖文化館(休館)、姫路市立水族館などで累代飼育が行なわれている』。『大阪府水生生物センターでは精子の凍結保存に成功している』とある。You Tube で、神戸市立須磨海浜水族園で保護飼育されているアユモドキの動画を神戸新聞社の「国天然記念物のアユモドキ」が見られる。
「鰷〔(アユ)〕」先行する「大和本草卷之十三 魚之上 鰷魚(アユ)」を参照。
「泥鰌」条鰭綱骨鰾上目コイ目ドジョウ科ドジョウ属ドジョウ Misgurnus anguillicaudatus。次項がドジョウ。
「嵯峨の大井川」桂川の嵐山周辺及び上流域での異名。「大堰川」とも。ウィキの「桂川(淀川水系)」によれば、『嵐山下流域以南では「桂川」または「葛河(かつらがわ)」と称されるようになった。『土佐日記』では「桂川」、『日本紀略』では「大堰川」、『徒然草』では「大井川」の記載が見える。うち『徒然草』の第』五十一『段では、嵯峨野の亀山殿に大井川から水を引く様子を伝えている。『雍州府志』では、川の西に「桂の里」が有ることから』、『嵯峨より南の下流域を「桂川」と呼ぶようになったとあり、それより上流にあたる嵐山流域を「大井川」としている』とある。
『大井川に「アユ」すまず』「すまず」は「棲まず」。しかし、これは嘘。桂川にはアユは古来より棲息していたし、現在もいる。
「イダ」これは広汎にウグイ(コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Tribolodon hakonensis)の異名でもあるので注意が必要。
「アメノウヲ」先行する「大和本草卷之十三 魚之上 鰧魚(ビワマス)」で考証した通り、この和名異名は条鰭綱サケ目サケ科サケ亜科タイヘイヨウサケ属サクラマス(ヤマメ)亜種ビワマス Oncorhynchus masou rhodurus のそれの方が遙かに古くから定着しているので注意が必要。益軒は言わんでもいいことを言って混乱を招いていることは、既に「大和本草卷之十三 魚之上 鯇(ミゴイ/ニゴイ)」で考察した。
「ミコ魚」異名確認は出来たが、語源は不詳。]
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