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2018/09/23

反古のうらがき 卷之三 河豚魚

 

    ○河豚魚

 

 河豚魚(ふぐ)の毒ありて人を殺すことは、昔しより、人のしれることなるに、今は毒にあたる人もなくなりて、冬の頃なれば、うる人、市(いち)にみちて、あたひも昔のいやしきが如くにてはあらずなりにたり。

[やぶちゃん注:条鰭綱フグ目フグ科 Tetraodontidae のフグ類。古くからの食用種としてはトラフグ属トラフグ属トラフグ Takifugu rubripes・トラフグ属マフグ Takifugu porphyreus が知られる。孰れも猛毒で解毒剤のないテトロドトキシン tetrodotoxinTTXC11H17N3O8:ビブリオ属やシュードモナス属などの一部の真正細菌由来のアルカロイド)を持つ(卵巣・肝臓は猛毒で皮膚と腸も強毒性を持つ)。]

 こゝに何某といふ人ありける。常に物おし[やぶちゃん注:不詳。何かにつけて出しゃばって、口を挟んでは文句をつけることか。]をして、人のきらふことを好み、益なき腕立(うでだて)[やぶちゃん注:腕力の強さを誇示すること。腕力の強さを頼んで人と争うこと。]をして、人に勝(かつ)事をよろこぶが、其さがにてぞ有ける。酒は、あく迄に、くらひ、大食をこのめども、獨り、河豚の魚(うを)をば、食(くは)ざりけり。此頃(このごろ)の風(ふう)にて「河豚を食ざる人は臆病ものよ」と人の笑ふが口惜しさに、常に食ふさまにして、實(じつ)は其味をだに、しらざりけり。一と年(とせ)、雪のいたく降りつゞきて、寒さ、よのつねならぬに、風さヘつよく吹きて、たへがたきこと、いはん方なかりければ、夜になれば、河豚汁(ふぐじる)にて、酒、打(うち)のみて、寒さをしのぐ人、おゝかりけり[やぶちゃん注:ママ。]。此年は、河豚の魚、いたりて少なく、あたひも常にまして、思ふよふには[やぶちゃん注:ママ。]、食ふによしなくて、コチ[やぶちゃん注:カサゴ目 Scorpaeniformes コチ亜目Platycephaloidei の魚類の総称である(この場合は私はスズキ目Perciformes ネズッポ亜目Callionymoidei の「コチ」呼称群を考慮する必要はないと思う)。特にここではフグに化けさせるわけだから、本邦の典型的な大型種であり、寿司種にする「鯒」、コチ亜目Platycephaloidei のマゴチや近縁種のヨシノゴチ(どちらも Platycephalus sp.(以前は Platycephalus indicus と同一種とされていたが、研究の進展により現在は別種とされる。学名は未認定である)を想定してよかろう。]といへる魚を「河豚もどき」といふにして、食ひけり。何某がしれる人の家にて、貮人三人(ふたりみたり)寄合(よりあひ)て、酒、打飮(うちのみ)つゝ、かの「河豚もどき」をして食ひけるに、折節、何某も入來(いりき)にければ、主(ある)じが思ふは、『常に大酒・大食にこふじ[やぶちゃん注:ママ。「困(こうじ)」。]果(はて)たる人の來てけるは、折惡(をりあし)しとこそいふべけれ。いかにせまし』と思ふに、よにいみじき謀りごとこそ思ひ出(いで)けれ。『かれは常に河豚をば食はずといふことを、ひそかに聞(きき)けり。しらざるを幸(さいはひ)に、コチの魚を「河豚なり」といゝて、あざむきたらば、食ふことあたわで[やぶちゃん注:ママ。]、酒を飮むも、興(きやう)なく、日頃の大醉(だいすい)にも至るまじ』と、客どもにも計り合せて、「今宵は河豚の魚を得たれば、二人三人よりて食ふなり。折よくも來(き)ましたれども、君には常にきらひて食(しよく)し玉はぬよしなれば、氣の毒に侍(はべり)」ときこへければ、何某は例のさがなれば、「いや、さにあらず、常に大(おほい)に好むところに侍る」といふに、「さあらば、幸ひなり」とすゝめけるに、「こは珍らし」といひて、ふたとりのけ、筋[やぶちゃん注:「すぢ」。一切れの意か。]、とり上(あげ)たれども、口にいるべきよふ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]も覺へず、『南無』と心に念じて、一口に、一切二切、のみこむよふにして、やがて、みな、食ひ盡しけり。人々、「是はいかに」と、案に相違の思ひをなせども、せん方なく、しばし、ためらひてありけり。酒ふた𢌞(まは)し斗(ばか)りなる頃に、何某が、ふと、思ひ出(いで)たるよふに座を立ちて、「口惜しや、今宵の寒さに、あるじのうじ[やぶちゃん注:敬称の接尾語「氏」か。しかしならば、「うぢ」が正しい。]が思ひ付(つき)のもてなしにて、一醉(いつすい)よひて歸らんと思ひしに、一大事の事、申置(まうしおく)べかりしを、はたと、打忘れて來にければ、今より立歸らではかなはず侍るなり。もしも妨(さまたぐ)ることなくば、またも來りて、かたり侍らん」とて、立(たち)て去りけり。其家は近きあたりなりけるが、やがて小者が走り來りていふよふ、「主人は家に歸ると其まゝに、つよく、腹、いたみ、大熱(だいねつ)、をこりて[やぶちゃん注:ママ。「起(お)こりて」。]、もだへ苦しみ侍るにぞ、醫を迎へてとひしに、『食當(しよくあた)りなるべし』といふに、主人にとへば、『覺へ[やぶちゃん注:ママ。]なし』といひて、こなたにての、たべ物を語り侍らず。『もし、食合(くひあはせ)もやあしかりけん、とひてこよ』と、醫がいふにまかせて、此旨(このむね)、きこへ侍る」といふにぞ、みなみな、一同におどろきて、「扨は、コチを河豚と思ひて食ひしによりて、食當りとなりたるならん。益なきこと、いゝつるものかな[やぶちゃん注:ママ。]」とて、何某がり、立越(たちこえ)て、其あらまし、說き示しければ、醫も是を聞(きき)て、「扨は。さりけり」とて、藥をあたへければ、俄(にはか)に大吐下(だいとげ[やぶちゃん注:底本のルビ。])して、くるしみは、やみけりとなん。

 又、しる人の語りしは、「近頃、シビ[やぶちゃん注:「鮪」。マグロ。]の魚を鹽漬(しほづけ)にしたるを『すき身』といひて、下人の食ふものなり。遠き國より、もて來ることなれば、いときたなげにみゆるによりて、馬の死したる肉を取(とり)まじへて漬(つけ)おきて江におくる、といふ。或人、是を食ひたるに、折節、客の來りて、「是は馬の肉なり。めし玉ふな」といゝければ、其人、よくよくみて、「扨も、おもわざりけり[やぶちゃん注:ママ。]。馬の肉がかくうまからんとは」とて、いよいよ食ひてやまざりけりとぞ。前の人にくらべば、其剛臆(がうおく)【つよき、よはき。】、いかにぞや。

[やぶちゃん注:「すき身」は「剝(す)き身」で、薄く削(そ)いだ魚肉の切り身や、そうしたものを軽く塩漬けにしたもの及びその乾燥品(干物)を広く指す。専ら、筋肉の「鮪のすき身」のように「骨に付いた魚肉をこそげ落とした片々やその半ペースト状の塊り」の意だとばかりと思っている人も多いが、そればかりではなく、鱈を開いて干したようなものもかく呼ぶ。

「剛臆」古くは「こうおく」とも読んだ。剛勇と臆病。]

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