反古のうらがき 卷之四 刀を見る人の事
○刀を見る人の事
大名に松平何の守、町人に伊勢屋何右衞門、俳優に市川何十郞、繪師に狩野何信などいふは、世に其類ひ多くて、かぞふるにいとまなければなり。かりにも名の聞(きこ)へ[やぶちゃん注:ママ。]たらん人ならば、一字だも、やすくよぶこと、なし。關の兼定を之定・疋定などいひて、同じ文字も分ちていふにて、しるべし。予がしれる人に、刀の目きゝする人ありけり。さる方(かた)に行(ゆき)たれば、主(あるじ)がいふ、「子(し)は刀を見る事にたけ玉ふよし、此刀は家重代なり。いかゞあるべき、見てたべ」といふにぞ、「易き程のこと」とて見てけるが、さまでの物にてもあらざりければ、よくも見はてで、「これは『關の兼何(かねなに)』とかいふものなるべし」といひてさし出(いで)ければ、主(あるじ)、大(おほい)にあきれたるおもゝちして、「扨も。子が目きゝ、かく迄(まで)妙ならんとはおもはざりけり。いかにも、『兼何』とかいふ者なり。これ、見玉へ」とて、中心(なかご)引拔(ひきぬき)てみせけるに、上り物にて、『兼』の字斗(ばかり)ぞ殘りて有ける。あるじは、物に精(くは)しからぬ人なれば、かくいひてこたへたるなれども、めきゝしたる人は、『あざけるにや』とおもひて、しばし打まもりて居てけるが、さにはあらざりければ、おのれ獨(ひとり)がこゝろのうちにはづかしくて、其座をさりしと、後に人にかたりけるとぞ。
[やぶちゃん注:「關の兼定」日本刀刀工である和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)のこと。室町時代に美濃国関(現在の岐阜県関市)で活動したことからかく呼ぶ。初代を「親兼定」、以下、ここに出る二代目「之定(のさだ)」(和泉守兼定)、三代目「疋定(ひきさだ)」がいる。ウィキの「和泉守兼定」によれば、『美濃国の刀工に著名工が輩出するのは南北朝時代以降である。室町時代には備前国と美濃国が刀剣の二大生産地とされるが、新刀期(慶長以降を指す)には備前伝が衰退していったのに対し、美濃伝系統の鍛冶は各地で活動しており、新刀期の刀剣の作風に大きな影響を与えている。美濃の関鍛冶は南北朝時代の金重に始まると伝える。関を含め、美濃の刀工には、兼氏、兼元など「兼」の字を冠する名を持つ刀工が多い』。『兼定は同銘の刀工が複数存在するが、初代(通称「親兼定」)』、二『代(和泉守を受領し和泉守兼定と銘する通称「之定」)』、三『代(通称「疋定」(ひきさだ))の評価が高い』。『特に』二『代の通称「之定」は』、『この時代の美濃国では随一の刀匠といわれ』、『有名である』。『初代兼定については、かつてはその作刀が明確でなく、「之定」が事実上の初代とみなされていたが、享徳二二年』(享徳四(一四五五)年の意味)『二月日の年紀を有し、「濃州関住人兼定」と銘する太刀が発見され、これが初代に該当するものとされている』とある。
「關の兼定を之定・疋定などいひて、同じ文字も分ちていふにてしるべし」桃野の謂いは「定」の字の変体字の構成要素の一部を取り出して、継承者を指す通称の一部としていることを指す(この場合は、後代、彼らを呼ぶ際の通称であって、当時の本人がそう名乗っていたわけではないようである(前の例示は、皆、自称だが)ので注意が必要である)。サイト「名刀幻想辞典」の「兼定(刀工)」に、二代『兼定は「定」の字を「㝎」』と、『独特の書体で切ることが多いことから、「之定」(のさだ)と通称される。文亀二』(一五〇二)『年以降のもの(二代目)からノサダとなる』とあり、三『代兼定は銘の「定」字を「疋」と切ることから』、『「疋定」(ひきさだ)と通称される』とある。ウィキの「和泉守兼定」によれば、二代兼定の銘字は明応八(一四九九)年から翌年の『間に銘字を変えている。「定」字を初期は「定」に作るが、後には』「㝎」を『記したため、通称「之定」(のさだ)と言われる。「兼」字のタガネ使いにも特色があ』り、「兼」も現行の「兼」とは『字体が異なる』とあることから判るように、茎(なかご)の銘として二代目は「兼㝎」(かねさだ)と、三代目は「兼之」(かねさだ)と名を彫ったことが判る。則ち、伝わる刀としての「関の兼定」には、刀工者「かねさだ」の名銘として、「兼定」「兼㝎」「兼之」の三種が存在するということになる。これを認識してかからないと、本条の「關の兼何」の面白さが判らない。
「上り物」底本は「上け物」(「け」はママ)。国立国会図書館版を採った。これは「神仏への供え物」の謂いであろう。則ち、銘の上部にその旨の刻文があったのであろう。【2018年10月1日取消・追記】何時も情報を戴くT氏より、こ『の「上り物」は刀の定寸』(二尺三寸『前後)に寸法を切り詰めた「磨上」』(すりあげ)『を行い』、『茎を切り詰め』た結果、『銘の一部がなくなったのではないでしょうか』というメールを先ほど頂戴した。それが本シークエンスには美事にしっくりくる。とすれば、この読みは底本に従い(底本は濁音落ちが有意に見られる)、磨り「あげもの」でいい気がしてきた。]

