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2018/09/03

昨夜の二つの夢

最近はあまり夢を見なくなった(忘れているのではなく、実際に見なくなった可能性が高い)が、夕べは二つの表面上、関連性のない奇妙な夢を見た――

最初の夢――

……私は古代の都(平城京か)の、死者の名を管理する官吏であるらしい。
何人もの死んだ者たちの名が筆で紙に記してあり、それを見ている私を、夢を見ている私はその背後の斜め左肩上から見下ろしている。
そこには当時にありがちな「太子」「忌部」「麻呂」といった文字が見えるのであるが、それに向かっている私が、それらの字の上に、墨を含ませていない筆をすうっと下ろすと、それらの字が一瞬にして消え、そこは空白になってしまうのであった。
と、見る間に、そうした虫食いになった無数の名前は、紙から綺麗な列になって抜け出し、白黒斑の蛇のようにして室内を飛び交ったかと思うと、再び、紙の上に戻って来る。
すると、そこには漢字が組み換えられた死者の新しい名が出現している。
私はそれを見て、頷いているのである…………

第二の夢――

私は博多に移住している。
「博多どんたく」の夜なのだろう、私も羽織を裏返しにした「肩裏(すらせ)」に軽衫(かるさん)を着、例の「博多にわか」の奇体な面をつけている。
〔注:実際の私は徹底した祭り嫌いで、「博多どんたく」も、ニュース映像でちらと見ただけであり、そもそもが、博多も、私(わたくし)の旅行と修学旅行引率の新幹線乗り換えで小一時間を過ごしたことがあるばかりである。さらに言うと、「博多にわか」のあの面は、何故か、私には江戸川乱歩的猟奇感を惹起させ、生理的嫌悪の、強い対象物なのである。〕

その恰好で、私はかの梅崎春生(彼は普通の開襟シャツ姿である)と飲み屋に入って酒を飲んでいるのである。
〔注:言わずもがな、梅崎は福岡生まれである。〕

私は尿意を催し、鞄を置いたまま、席を離れる。店にはトイレがないので、それを探すために路地を徘徊した。

祭りの囃子が遠く近くに聴こえ、若い女性たちの着飾った「どんたく」の一団とすれ違った。

その時、その一団を押しのけるように、一人の背の高い若い男(私と同じ格好で「博多にわか」の面をつけている)が乱暴に抜けて行く。

その右手に、キラりと光ったのは拳銃であった。

私は
「あっ! 拳銃を持ってる!」

と叫んだ。女性たちの悲鳴が揚がる。
男は、露地を、私のいた居酒屋の方へと、いっさんに走り抜けて行って見えなくなった。
 
私は反対側の通りに抜けると、一区画分、大回りをし、さっきの店へ戻ろうとした。鞄には財布が入っているからであった。
 
廻り込んだところには一階がスーパーになったビルが建っていた。
 
そこの駐車場に先の若い男が現われ、スーパーの中に銃を乱射し始めた。
  
人々が逃げ惑う中を私は逆行し、先の居酒屋に入ると、そこはもう、皆、逃げてしまって「もぬけのカラ」となっていた。
〔注:因みに、無論、梅崎春生もおらず、彼の出演は最初のシーンだけで淋しかったな、というのは覚醒してからの私の思いではあった。〕
 
私は幸いに残っていた鞄をひったくると、何故かまた、銃声の続く方の露地を抜けて、いっさんに逃げた。

流れ弾が ピュン! ピュン! と空を切るのが、ごく近くに聴こえた。
 
大分、走って、人気のない路地の街灯の下で、鞄の中を確かめた。

財布はあったが、取り出したその財布は、二発の銃弾が美事に貫通していた。
 
紙幣はもとより、一緒に入れていた病院の磁器診察カードも打ち抜かれていた。
 
「あぁ、また、カードを作り直すの、面倒っちいな。」
 
と私は呑気に呟いた。
 
――見ると、その財布は左右に穴が二つ空いて――
 
「博多にわか」の面に、そっくりなのであった…………

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