反古のうらがき 卷之二 賊
○賊
何某といへる劍術師、浪人して、さる方【井上左太夫なり。】に客となりて養はれありける。
其主人、三月三日、花の宴を催し、客多く來りて夜をふかしけるが、扨、人々は家に歸り、家人は前後もしらで醉(ゑひ)ふしける。
何某は酒多くも飮(のま)ざりければ、先に座を退(しりぞ[やぶちゃん注:底本には「しぞ」と振るが、従わない。])きて、おのがふし戶に入(いり)て、いまだ寢(ね)もやらずありけるに、庭のほとりにて足音のするよふ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]に覺ゆるにぞ、やをらおき上りてうかゞふに、まさしく人音(ひとおと)なり。
刀拔(ぬき)そばめて侍(はべり)ける中(うち)に、こなたへは入らで、奧庭の方へ入けり。
戶をそと[やぶちゃん注:そっと。]明(あけ)て出(いで)て見るに、夜は墨の如く、東西だに分たねば、探り探り付從(つきしたが)ひて行けり。
『枝折戶(しほりど)のあたりにて足音止みたるは。跡に人あるをしりしにや。』
と、一反(たん)斗り下(さが)りてうかゝへば、鼻の先、三寸斗り隔(へだ)てゝ、風を切る音して、枝など打振るよふに覺(おぼえ)ければ、心得て身を潛め、刀引拔(ひきぬき)、あちらこちらと、かひ拂ふに、刄物(はもの)と覺しき物に打當てたり。
直(ぢき)に、聲もいださで寄せ合(あは)せて、打合(うちあふ)こと、五十餘合と覺へしが、忽ち、引放(ひつぱ)づして逃出(にげいる)る樣(さま)、
『手ににても負ひたるや。』
と覺(おぼ)しかりければ、其儘、追ひすがりて表の方に出たるに、足にかゝりて妨ぐる物あるになやみて、少し後れたるひまに、裏門の木戶を明(あく)る音して逃出たり。
引(ひき)つゞひて[やぶちゃん注:ママ。]出(いで)れば、向ふずねに物のつよく當るにおどろきて、とみに追ひもやらず、其儘、ものわかれとなりけり。
[やぶちゃん注:以下は底本でも改行が施されてある。]
扨、おのが部屋に入り、手燭して照らしけるに、少し血の引たるによりて、正しく手負ひて逃たることをしりぬ。
侍どもよび覺(さま)して、ともに裏門に行て見るに、其道筋、庭の木立々々に繩(なは)引張(ひきは)り、飛石打(うち)かへしなどして有けり。
侍ども、舌を振(ふる)ひ、
「かゝる心得有る賊の入(いり)たるに、皆、醉伏(ゑひふ)して、前後もしらず。君なかりせば、いかなる禍(わざはひ)を仕出(しいだ)すべかりしを。」
とて、大(おほい)にたゝへければ、
「そは、さまでのことにあらねども、大戰(たいせん)五十餘度(よたび)の間(あひだ)、定めて太刀音もはげしかりつらんに、壹人の目、醒(さめ)給はぬは、餘りに心懸けなきよふにて、見苦しく覺へ侍る。」
など、ゑんずるにぞ、みなみな、面目(めんぼく)なく、
「さはれ、少しの手疵も受(うけ)玉はぬこそめでたし。」
と祝しけり。
「さるにても、血の引たるを見れば、彼者、手疵(てきず)受(うえ)たるに相違なし。刀にのりあるべし。」
とて、引拔(ひきぬき)て見れば、血跡(ちのあと)、少しも見へず、あまつさへ五十餘合の戰(たたかひ)と言(いひ)しにも似ず、打合(うちあひ)たる跡、纔(わづか)に二つありて、血の引たるは、おのがひざ頭(がしら)打破(うちやぶ)りたる血にぞありける。
これにて、何某、大に辱入(はぢいり)て、再び言(げん)も出(いだ)さず、おのおの入て寢にける。
後に餘がしれる人に逢ひていゝけるは、
「口惜きことなり。正しく五十餘合斗りと思ひしは、纔に、三、四合にて、つよく打合せたるは、たゞ、一、二合なりしを、かゝる大戰と思ひしは、やはりおくれたる心よりかくありしなり。兎かくに仕(し)なれざることは、都(すべ)ておつくふに思ふ故、かくは思ひつるなり。」
と語りしよし。
[やぶちゃん注:何時もの通り、改行を施した。
「井上左太夫」幕府鉄砲方に代々「井上左太夫」を名乗った人物がいるから、その人であろう。
「一反」凡そ十一メートル。シークエンスとしては間をとり過ぎていて、ピンとこないが、仕方がない。
「枝折戶」竹や木の枝を折って作った簡素な開き戸。足にかゝりて妨ぐる物あるになやみて、少し後れたるひまに、裏門の木戶を明(あく)る音して逃出たり。
「其道筋、庭の木立々々に繩(なは)引張(ひきは)り、飛石打(うち)かへしなどして有けり」「飛石打かへし」とは、庭の飛び石をわざわざ掘り出して立て、追手の障害物にしてあるのである。確かに高度な盗賊で、相当に夜目が利き、方向感覚と空間認識の記憶力が抜群によい者であるらしい(そうでないと自分が張ったトラップに自分が掛かってしまうから)。何某が追った際に「向ふずねに物のつよく當」ったのも、後で判る膝頭の傷も、結局はそのトラップに引っ掛かったのであった。
「少し血の引たるによりて」後の展開から何某の衣服に付着した血痕であることが判る。実はそれは自分がトラップに掛かって受けた膝頭からの自分の血痕だったに過ぎなかったのである。
「ゑんずる」「怨ずる」。不満・不快の感じを持ったのである。
「のり」刀剣の刃に付着した血糊(ちのり)。
「後に餘がしれる人に逢ひていゝけるは」後に、私(鈴木桃野)の知人が、その「何某」に逢った際、何某あ語ったことには。
「おくれたる心よりかくありし」「怯(おく)れたる心」で「気後(きおく)れがした結果としてこの為体(ていたらく)となってしまった」の意であろう。何某は剣術師であるが、この情けない話から見ても、浪人していて食客で、実際の真剣による命を張った戦闘経験など実は全くなかったのであろう。
「おつくふ」気乗りがせず、めんどうくさいことの意の「億劫」。歴史的仮名遣は「おつこふ」「おくくふ」で音転訛が複雑に変化した複数のものがあるから表記に問題はない。]