反古のうらがき 卷之三 賊をとらへし話
○賊をとらへし話
いづれの國主にかつかへたる人の、いまはつかへをやめて、余が叔父醉雪翁[やぶちゃん注:複数回既出既注。「魂東天に歸る」参照。]がり來りて、常に物語りする人ありけり。其名はわすれ侍る。
此人、弓手(ゆんで)[やぶちゃん注:左手。]の指より手の甲へかけて、いくつとなく舊(ふる)きずの痕あり、常に問ひたくおもひけるが、其人、事の次手(ついで)に語りけるは、若かりし頃、「袖がらみ」といふ物を使ふことを學びて、いかなる打物(うちもの)を持(もつ)たる人にても、からみ伏せることを心懸けけるが、或時、「時𢌞(じまは)り」といふを命ぜられて、得物なれば袖がらみを持(もち)て、屋敷の隈々殘りなく𢌞りけり。夜の九つ[やぶちゃん注:午前零時。]を𢌞る時、長屋より遙に隔りたる所に、いろいろのぬりこめの藏[やぶちゃん注:「塗籠(ぬりごめ)の藏(くら)」。入口以外を防火用・盗難防止用に厚い壁で堅牢に塗り固めた蔵。]あり。そが中に幕[やぶちゃん注:幔幕。]ども、多く入(いれ)たる藏ありしが、殊に奧まりたる所なり。其あたりを𢌞る時、ふと見れば、藏の戶、半ば開(ひ)らきてあり。挑燈のともし火もて、てらし見るに、内に、人ありけり。『盜人よ』と思ふにぞ、戶おし開(ひ)らきて、つと、入(いり)たり。『見付られけり』と思ひて、刀、引拔(ひきぬき)て、飛出(とびいで)るを、袖をからみて、はたらかせず、逐に左右の手を一つにからみ、刀を持(もつ)たるまゝに、胸のあたりにからみ付(つけ)、力を入(いれ)て突(つく)程に、仰のけに突倒し、長持の有(あり)ける上に突付(つつぷし)たり。賊は足もて、蹴(け)んとするに、及ばず、刀もて、切らんとするに、からみ付(つけ)られたれば、是も叶はず、胸のあたり、つよく突付られたれば、今は、はたらくこと、能はで、しばし息を休めて、透間(すきま)を伺ひけり。こなたは、日頃の手鍊(てれん)にて、一旦は突伏(つきふせ)たれども、『少しにても力のゆるみたらんには、はねかへされん』と思ふにぞ、金剛力を出して推付居(おしつけを)るに、跡よりつゞかん人もなく、挑灯の火さへ滅(き)へ失(うせ)ぬ。『又も夜𢌞りの來らんは、半時がわり[やぶちゃん注:ママ。]なれば、はるかのことなり。聲を上(あげ)たりとて、藏の内なれば、何方(いづかた)へか聞へん。さりとて、今さらに手を放ちて刀を拔(ぬか)ん間(あひだ)には、一打(ひとうち)に切らるべ。如何にせん』と思ふものから、こうじて果(はて)てぞ見えける[やぶちゃん注:我乍ら、成すすべなく、すっかり困り果ててしまった感じになってしまった。]。さる程に、賊も今はのがるべき術(すべ)もなく、刀持(もつ)たる手の首斗(ばかり)りはたらくにまかせて、こなたの袖がらみ持(もつ)たる先手(さきて)[やぶちゃん注:生身の手先。]のあたりをかひ拂ふ。『こは、かなわじ[やぶちゃん注:ママ。「敵(かな)はじ」。]』と思ひて、手を遠くなしてこれをさくる[やぶちゃん注:「避くる」。]に、又、刀のつかの先を持ち、かひ拂ふ[やぶちゃん注:「搔き拂ふ」の謂いであろう。]。其度每(そのたびごと)に、手の甲・指の先、少しづつ[やぶちゃん注:底本も国立国会図書館版も『つづ』であるが、特異的に訂した。]の疵を受たれども、賊が刀を振るも、手の首斗りの力なれば、よくもはたらかず、いく度となく切拂ふに、彌(いよいよ)手元近く覺えて、最早、袖がらみの柄、纔(わづか)に二尺斗(ばかり)を持(もつ)てこらへぬれば、力は彌(いよいよ)つかれて、こらへ果(はつ)べくも見えずなりぬ。かくて、夜はいよいよ靜(しづか)になるに、『もはや半時斗りも經ぬらん』と思へば、さにはあらで、遲九つの鐘のつきもはてぬ鐘の音など耳に聞へて、眞くらなる藏の内に、二人、ともに、『氣根(きこん)[やぶちゃん注:根気。気力。]の限り』と、おしあひてぞ、ありける。しばしありて、はるかに人の聲の聞へて、こなたへ來るにぞ、『あな、うれし』とおもひて、聲を放ちて呼(よび)けるに、相士(あひし)の者が二人迄、來にける也。「いかにありける。餘りに歸りの遲きが心元(こころもと)なくて、いひ合せて來にける」といゝて、藏の内に入れば、賊は、初めより、長持の上に仰のけにおし倒されて、腰をかけたるよふ[やぶちゃん注:ママ。]に壁の隅によりかゝりたれば、刀を用ゆること、能はず、おめおめと、とらへられけり。扨、手先の疵を見れば、幾處(いくところ)となく切付(きりつけ)たれども、みな少しばかりなれば、さわりなし。みなみな、「よくしつる哉(かな)」とて、たゝヘけり。此事、國主、聞(きき)玉ひて、大(おほい)によろごひ[やぶちゃん注:ママ。]玉ひ、もの、おゝく[やぶちゃん注:ママ。]たびけり。今より、二十年斗り前のこと、とて語りける。
[やぶちゃん注:「袖がらみ」「袖搦・袖絡(そでがらみ)」或いは「もじり」とも呼んだ、一般には長柄の先に特殊な金属器が装着された捕り物道具。ウィキの「袖搦」によれば、『袖搦は、先端にかえしのついた釣り針のような突起を持つ先端部分と刺のついた鞘からなり、鞘に木製の柄に取り付けて使用する。容疑者の衣服に先端部分を引っ掛けて絡め取る事で相手の行動を封じる。鞘の刺は相手に』摑『まれて奪われない様にするための工夫である。棍棒や槍としても使用可能である』。『刺又』(さすまた)・『突棒などとともに捕り物の三つ道具とよばれ、抵抗する人を取り押さえる際に使用された武具である。どれも』七尺(二・一メートル)の『長さがあり、相手が振るう打刀、長脇差の有効範囲外から攻撃が可能である』とある。これ(ウィキの挿図)。但し、以下の賊を押さえつけたシークエンスを見るに、この主人公の持っていた「袖搦み」は、使い勝手のいいように、この柄の部分をやや短く加工したものではないかと私には思われる。
「打物」武器。
「時𢌞り」「じまはり(じまわり)」と読んでおいたが、所謂、「地𢌞(ぢまは)り」(隠語を含め、こちら
(「Weblio辞書」の縦覧検索結果)を参照)の意味ではなく、夜間の定「時」巡「廻」(じゅんかい)の意である。
「得物なれば」やや言い方が雑。賊等に対抗するための武具を持ってのこと(巡回)に当たることになっているので。
「今より、二十年斗り前のこと、とて語りける」この話の冒頭は「余が叔父醉雪翁がり來りて、常に物語りする人」の話としており、桃野叔父醉雪は天保一〇(一八三九)年三月に亡くなっているのであるから、それよりも前(因みに桃野は寛政一二(一八〇〇)年生まれ)の「二十年斗り前」となるから、文政二(一八一九)年以前の話ということになる。]