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2018/09/22

反古のうらがき 卷之三 砲術

 

    ○砲術

 余がしれる佐々竹氏[やぶちゃん注:不詳。]は、少年より砲術をよくし玉へり。おしへ子も多く侍りて、人をおしゆる事も他に越(こえ)て、くわし[やぶちゃん注:ママ。]かりけり。予に語り玉ひけるは、「『弓の當るは不思議なり、鐡砲のはづるゝは不思議なり』といふこと、常に人の言(いひ)ならわす[やぶちゃん注:ママ。]ことなり。かく迄當るべき器(き)をもて、おめおめと打(うち)はづすこと、言(いひ)がひなきよふ[やぶちゃん注:ママ。]なれども、人は萬物の靈にて、不思議の術をもなすといへども、又、不思議の病(やまひ)あり。是れ、七情[やぶちゃん注:人の持つ七つの感情。儒家では「喜・怒・哀・懼(く:恐れ)・愛・悪(お:憎むこと)・欲」。仏教では「喜・怒・憂・懼・愛・憎・欲」を挙げる。]の動くにつれ、一たび、『おそろし』と思ひしことは、吾にもあらで[やぶちゃん注:無意識のうちに。]、忘れがたきことあるによりてなり。凡(およそ)此術を學ぶ程の人が、其聲[やぶちゃん注:発砲音。]のおそろしといふにあらず、あやまりて、吾身を害せんと思ふにあらず、都(すべ)ておそろしきことはあらずと思へども、心の底におそろしと思ふこと、いかになりしても、忘られざることありて、其器を取れば、必(かならず)其(その)心、おこりて、術(じゆつ[やぶちゃん注:「すべ」でもよい。冷静適切な射撃術の意。])も消失(きえう)せ、思ふよふに[やぶちゃん注:ママ。以下、総て同じ。]打當(うちあ)つることもならずなり行(ゆく)なりけり。かゝる心のつよくおこりし人には、から筒(づつ)に口藥(くちぐす)り計(ばか)りをこめて[やぶちゃん注:火薬だけの空砲。]打(う)たすに、何のかわり[やぶちゃん注:ママ。]たることもなく、よく打(うつ)也。其時、腰と腹とに手をあて、つよくおさへて、はらをはらする[やぶちゃん注:「張らする」。臍の下のツボである丹田(たんでん)に力と安定の意識を集中することか。]よふに教ゆ。はらもよくはり覺へたるときは、ひそかに玉藥(たまぐすり)をこめて[やぶちゃん注:実弾を装填し。]、其人にしらさぬよふに手に持たしめ、常のよふに打たすに、必ず、的の星に當る。これ、器(き)は當るべき道理なるに、おしえを守ればなり。其次に、又、から筒を打たすに、こたびも『玉ありや』と思ふにぞ、腹の下の方より、ゑもいわれ[やぶちゃん注:ママ。]ざる一筋の惡物(あくもつ)、うねくり上(のぼ)りて、胸中(きようちゆう)に入る。癪(しやく)[やぶちゃん注:腹部や胸部の非常に生ずる強い「さしこみ」、特に腹部を襲う強い突発性の激痛を指す。]の病(やまひ)のさし込(こむ)がごとし。此時、玉ある筒なれば、必ず、打(うち)はづすにぞありける。其次も、又、から筒なれば、四、五度にして、『扨は、皆、から筒なりける』と思ふにぞ、かの惡物の上るも休(や)みて、常の如し。しばしありて、又、玉藥を用ゆるに、腹も常の如く、放てば、星に當る。其次は、惡物、また、上りて、玉ありても當らず、偶(たまたま)當るといへども、ほしにはいらで、上下左右、さまざまと當りをなせば、さだかに打得(うちえ)たりとはいゝ[やぶちゃん注:ママ。]がたし。此事、傍(かたはら)より見たりとて、しらるべきにあらず、又、其人は、もとより、しることなく、唯、腹に手を當(あて)たる人のみ、しることなり。吾も人も、みなみな、かくあるべけれども、久しく學びてい[やぶちゃん注:ママ。]たる人は、此事、甚(はなはだ)しからぬのみにして、絶(たえ)てなきこととは、いひがたし。偶(たまたま)、『百發百中の人、世にこれあり』と、きく。其人、定めて、此事、なきなるべし」と語り玉ひき。予、これをおもふに、かの『おそろし』と思ふ心、火器の故(ゆゑ)のみならず、唯、『打(うち)はづさじ』と思ふ欲心(よくしん)、惡物となりて害をなすなれば、凡(およそ)藝事(げいごと)、何によらず、皆、此事、あるなり。物かくこと、物よむことなどにおそろしきことはあらねど、みな、此惡物に害せられて、其場に臨めば、常の習らひも打忘れ、藝事、常よりおとりて見ゆること、おゝし[やぶちゃん注:ママ。]。七情の發すること、其(その)正しきを得ざる故ぞかし。予が物かくことを學びて年久しけれども、其場に臨めば、手(て)振(ふる)ひて、思ふよふ[やぶちゃん注:ママ。]にも書き得でやみぬるを、雲樓[やぶちゃん注:既出既注。不詳。因みに、江戸後期の山水画家三宅西浦(みやけせいほ 天明六(一七八六)年~安政四(一八五七)年:本名・三宅高哲(たかてつ))は「看雲楼」の別名を持っていた。彼かどうかは判らぬが、ウィキの「三宅西浦」をリンクさせておく。]が每(つね)にいゝ[やぶちゃん注:ママ。]けるは、「子が書を學ぶは、無益なり。學び至らざるにはあらず、肝氣(かんき)高ぶりて、學びの如くなること能はざるなれば、是より、學びを休(や)めて、藥(くすり)を服し玉へ」といゝき[やぶちゃん注:ママ。]。此事、思ひ合せて、同じ道理なること、しらるゝなりけり。

[やぶちゃん注:底本の朝倉治彦氏の冒頭解説によれば、桃野の著作「無何有鄕」の下巻所収の自身の叙述によれば、『幼年より多病、八歳より』母方の親族『多賀谷向陵に従って楷法を学んだが覚えず、同じ頃、父』白藤(はくとう)『に読書を受けたが、これまた』、『勉強嫌いのため、母から』「家嚴(かげん[やぶちゃん注:(通常は自分の)父の異称。]、學問をもつて、家より作つて、名、四方に、しく。爾(なんぢ)讀(よむ)を厭(いと)はば、家を出でて、他に行け。敢へて其の嫌ふ所を(し)いざるなり」『と叱責されてより、勉学に努めるようになったとし、それでも『九歳より寺子屋に行ったが』、諸知識を覚えることが出来ず、『深く恥とした』とある。しかし、そこから刻苦勉励して満三十九歳の天保一〇(一八三九)年に部屋住みから、昌平坂学問所教授方出役となったのだから、独特の知的才能があったのである。にしても、「雲樓」なる人物、「肝氣(かんき)高ぶりて、學びの如くなること能はざるなれば、是より、學びを休(や)めて、藥(くすり)を服し玉へ」とは、「お前は一種の精神病(今でいうなら、癲癇的疾患或いは強迫神経症等)だから、学問するのは止めて、それに効く薬(今で言うなら、抗癲癇剤や精神安定剤のようなもの)を服用して生涯を送られ給え」とはトンデモないひどい謂いだな。

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